完璧な翻訳機
A国の宇宙省外交局が、地球へと近づきつつある宇宙船の反応をキャッチした。
「どうやら、有人らしいぞ」
「本当か。これでA国が最初に情報を掴んだ宇宙人反応は、3件目となるな」
「今度こそ、上手く外交をやらないといけない。今までの2件の内、1件は我々の宇宙通信技術の程度が低すぎたのか、見向きもされず、2件目は通信にまで漕ぎつけたものの、今度は言語翻訳技術がなさすぎて、向こうの言っていることが分からず、呆れて去っていかれたものなぁ」
外交局の局員たちが、口々に話した。ある局員などは、追い詰められたような表情でみんなに話しかけた。
「聞くところによれば、C国も秘密裏に、もう2回ほど宇宙人との接触を行ってるらしい。幸い、まだ表沙汰になっていないということは向こうも外交が上手く行かなかったということだろうが、いつ先を越されるか分かりもしない。ここをしくじると、とうとうまずいぞ」
なんて、冷や汗を垂らしながら語るのだったが、そんな彼を、みんなどこか余裕そうな表情で、肩を叩いて、落ち着かせた。
「そう心配するなよ、ブラザー。このときのために、開発局と連携して、僕たちは秘密兵器を開発したんじゃないか」
「そうだぜ、ブラザー。テスト運用も申し分ない結果を出していたし、確かに緊張はするが、今度の外交こそ上手くいくよ。なんてたって、今俺達は〝完璧な翻訳機〟を持っているんだから」
完璧な翻訳機とは、A国の言語学と工学の粋を結集して作られた、世界に二つとない翻訳専用コンピューターだ。これさえあれば、どんな未知の言語も、音声も、一度スキャンすることで文法を解明し、地球言語との双方向での翻訳が可能となる。結果のほどは、以前外交に失敗した2番目の宇宙人たちが最後に残していったメッセージの解読によって確認された。(内容は『いくら宇宙が広いといっても、私たちの汎用文法が解読できない宇宙人がいるとは思わなかったよ。ウスノロどもめ』だ。)
皆の言葉に、追い詰められていた彼も、少し自信を取り戻したようだった。
宇宙省は今までの二度の失敗から、宇宙社会における外交のキモは、何よりファーストインプレッションなのだということを学んでいた。
向こうからのメッセージを俊敏にキャッチできる通信技術もそうだし、滞りなく解読できる翻訳技術もそうだ。そういうところで、自分の星の文明の格を示さないとならないらしい。それがなんなくできてこそ、初めてコミュニケーションの土俵へと上がれるらしかった。
地球最大の国家であるA国としては、宇宙規模で考えればまだまだ地球そのものが取るに足らない星だという事実を歯がゆく思う気持ちもあったけれど、そこは未だ途絶えぬフロンティア精神、アンダードッグからなり上がった大国としてのアイデンティティを今一度思い出すように、いざ宇宙社会に進出せんと言う志で、全霊を上げて、この完璧な翻訳機の開発を成し遂げたのであった。
宇宙人から宇宙技術の一つでも聞きだせれば、いまだ体験したことのないような、文明的発展が訪れるだろう。覇権国家として、この覇道を逃してはならなかった。
機を逃さぬよう、完璧な翻訳機は常にスタンバイモードで稼働しており、宇宙省オフィスに鎮座し続けてきた。
そして、今全ての準備が報われるときがきたのだ。
通信機器のオペレーター役を勤める、ベテラン局員が叫ぶ。
「たった今、向こうもこちらの存在に気づき、メッセージと思われる電波信号を送ってきました。今、モニターに映します」
どやどやと、局員たちがオフィス中央の天井にぶら下がった巨大モニターの下に集まった。ご丁寧に向こうはこちらのコンピューターのファイル形式を分析したらしく、既に.png形式になっているデータを送りつけてきた。
画像がモニターに表示される。
そこには、彼らの固有言語と思われるニョロニョロとした文字が3行ほど。
「解析しろ、解析しろ」
局員の誰が言ったかも分からぬうちに、オペレーターはすぐにデータを完璧な翻訳機に読み込ませた。
──そして、一時間にも思えるような一分の後。
完璧な翻訳機が、翻訳後の一文を出力した。
『我々は(識別不明)星人です。どうやらあなたたちの星は高度な文明をお持ちの様子。同じ文明種族として、強く興味があります。場合によっては、今後とも友好的な関係を築きたい所存。よろしければ、映像通信でお話しませんか』
おおっ、とオフィス全体がどよめいた。なんて友好的な内容だろうか。
間髪入れず、オペレーターが言う。
「今度は、映像通信をつなぐための電波が送られてきました。こっちもまた、向こうが気を遣ってうちのコンピューターと通信しやすいよう、既に通信方式が調整されてますから、すぐモニターにつなぐことができます。どうしますか、すぐつないで良いですか」
局員たちは、熱に浮かされるように、口々に叫ぶ。
「なんて優しい宇宙人だ。こんな機会、またとあるはずない」
「そうだそうだ、向こうはすぐ通信したがってる。政府承認も待たず、いまここで通信を開始するべきだ。フレキシブルでスマーティブな文明であることを示すんだ」
「俺達には翻訳機がある。こちらからの言葉は皆で考えて、一番いい口上を向こうへ発信することにしよう」
「つなげ、つなげ、これは外交局の総意だ」
外交局も三度目の正直となってはもはや尻ごむもおらず、一丸となって、大胆にも即時通信開始の意見が全会一致の決を取った。
「じゃあ、モニターに映しますからね」
「オペレーターが映像切り替えのスイッチを押すと、すぐモニターの映像が切り替わった。
そしたら映るのは──イソギンチャクみたいに無数の触手が生えた胴体の真ん中から、一段と太い触手を真上に伸ばし、その先端には目らしき二つの丸をつけているから、きっとそこを頭部とするのであろう──メッセージの送り主たる、宇宙人だった。
彼、もしくは彼女は、きっとお辞儀と意味を同じくするだろう、頭部を前に倒す動作を一回やった。外交局員たちはごくりと固唾を呑んだ。
それから宇宙人は──体の前で、ニョロニョロ複雑に、胴体の触手を動かし始めた。
音声はすでに繋がれているが、無音だ。──いや、向こうの宇宙船の駆動音らしき、ごうごうという音だけはちゃんと聞こえている。
外交局員の半分くらいが、意味が分からず呆気に取られてぽかんとし、もう半分ぐらいが、何かに気づいたか、愕然として言葉を失った。
外交局員の誰かが言った。
「手話か……」
その一言で、局員全員が一斉に気持ちを同じくし、顔を青くした。
そんな反応が、全部向こうにも見えていた。
宇宙人の方も、顔を青くした地球人たちを見て、事情を察したようだった。
落胆したのだろう。ニョロニョロ動いていた触手はしょぼんと垂れ下がり、小さな二つの目は、悲しそうに細まった。
「あっ、またメッセージが来ました……」
オペレーターの報告の後に、また完璧な翻訳機に掛けられたメッセージが、今度は字幕としてモニターに映し出される。
『まさか、音声言語至上主義の文明の方々だったとは……残念です』
それから、ぶつりとモニターの映像はとぎれた。きっと、宇宙人は宇宙手話も解せないような文明に失望して、地球近辺を去っていったのだろう。
外交局オフィスには重い沈黙だけが残った。
そして、しばらくたってからまた、局員たちの誰かが、ぽつりぽつりと口にし始めた。
「まったく、私たちの配慮不足だった……」
「あぁ、今度はA国中……いや、世界中の手話話者からもデータを取って、翻訳機をアップデートしなければな……」
酷く落ち込んでも、彼らの宇宙進出の志が根元から折れることはなかった。
A国宇宙省外交局は今日も行く。明日も行く。