44:ドロシー・ユーグレースの事情
「信じられないと思うけどさ。あたしは創造神オルガに作られた七人の『始まりの魔女』のうちの一人なのよ」
エンドリーネ伯爵邸に戻り、伯爵夫妻に事の経緯を説明した後。
私たちは別館のサロンに集まってお茶を飲んでいた。
私の右隣にリュオン。向かいの長椅子にユリウス様とノエル様。
ドロシーは長方形テーブルの右端、短辺に用意された席に座っていた。
ノエル様は腰から双剣を外したけれど、彼女の攻撃のせいで頭に包帯を巻くことになったリュオンはまだドロシーを信じられないらしく、彼女の一挙手一投足を見逃すまいと厳しい目を向けている。
その気になればドロシーは一瞬で私たちを無力化できる。
リュオンが警戒するのも当然だとは思うのだが、紅茶を飲むドロシーの気配は凪のように静かで、戦闘意欲は全くなさそうだった。
ユリウス様とノエル様に叱り飛ばされた彼女は両手を上げて「もう二度とあなたたちに危害は加えません」と宣言した。
私にもリュオンにも改めて頭を下げて謝った。
リュオンが彼女を信用できるかどうかは今後の彼女の行動次第だ。
「『始まりの魔女』? 何の話をしてるんだ?」
リュオンは眉をひそめた。
「知らなくて当然よ。いまの時代の人間や魔女の知る神話は『創造神オルガは人間と魔女を作りました』の一文で終わりでしょ? 正しくはね、人間と『固有魔法を持つ七人の魔女を作りました』なのよ。あたしはそのうちの一人。口外しないで欲しいんだけど、『不老不死』の固有魔法を持ってるの。あたしの身体は十歳程度のまま成長しないし、何をしようと何をされようと魔法によって蘇る」
一様に戸惑いと困惑を浮かべる私たちを見て、ドロシーは右手を上げ、その手の甲に爪を立てようとした。
「実際に治るところを見せてあげる」
「止めて! わかった、信じるから。自分を傷つけるようなことはしないで」
慌てて制止すると、ドロシーは微笑んで手を下ろした。
「ふふ。やっぱり優しいわね。あなたは何度生まれ変わっても本当に……眩しいくらいに善良。リュオンが『世界で一番綺麗なもの』と表現するのもわかるわ」
「戯言と切り捨てたくせに、察しがついてたのか」
「もちろんよ。あたしだってフリーディアの魅力にやられた魔女の一人だもの。あの子は本当に優しい子だったわ」
私と誰かを重ねているのか、懐かしそうな目でドロシーは私を見つめた。
「あの、フリーディアって?」
「セラは『魔力増幅』の固有魔法を持っていた『始まりの魔女』フリーディアの生まれ変わりなのよ。『始まりの魔女』は死ぬと転生し、再び固有魔法を持って生まれ変わるの。他の五人がどんな固有魔法を持っているかは内緒にするわ。軽々しく扱っていい情報じゃないのよ、これは。千年前に起きた《大災厄》は知ってるわよね? 空から隕石が降ってきて人口の九割が失われ、古代文明が滅びたっていう話。あれは隕石じゃなくて、戦争が原因なの」
「えっ!?」
全員が仰天してドロシーを見た。ドロシーはただ小さく頷いた。
「本当よ。戦争の発端となったのは『始まりの魔女』の転生体の所有を巡る小競り合い。それが段々激化して、世界中を巻き込む泥沼の戦争になった。実戦投入された大量殺戮兵器や悍ましい魔法のせいで空気も大地も汚染され、異形の魔獣や魔人が生まれて――――聞いてて楽しい話じゃないから詳細は省くけど、それはもう大惨事よ。あたしが保護してなかったら、あのとき人間も魔女も全滅してたかもね」
ドロシーは大げさな感情を表すことなく、書類の数値でも読み上げるような口調で言う。
だからこそ、彼女の言葉は奇妙な真実味を帯びていて――あまりも衝撃的な話に、脳の処理が追い付かない。
「上に立つ人間や魔女が全員死んで戦争は終わった。生き残った人間と魔女は手を取り合って――もちろん、多少諍いはあったけど――傷ついた大地の修復と町の復興に励んだ。あたしは世界中を回り、行く先々で『世界が壊れてしまったのは戦争ではなく隕石のせいだった』と皆の記憶を改竄しつつ、『始まりの魔女』についての記録を全て消した。二度と悲劇が起きないように」
ドロシーは淡々と言って紅茶を飲んだ。
部屋に重苦しい沈黙が落ちる。
「……ドロシー。もしかして、『魔力増幅』の魔法を持つ魔女を巡って戦争が起きたの?」
恐る恐る問う。
「んー、まあ、彼女の存在も戦争の一因ではあったわね」
ドロシーはティーカップをソーサーに置き、曖昧に言葉を濁した。
「でもね、彼女だけじゃなく、『始まりの魔女』の転生体はほとんど全員が狙われたの。唯一転生体ではなく、オルガに作られた『始まりの魔女』そのものであるあたしも例外じゃなかった。なんたってあたしは不老不死、これほど知的好奇心が刺激される存在はなかなかないでしょう? 人間の科学者、研究者、学者、時の権力者――ありとあらゆる人間があたしを捕まえようと躍起になった。同胞の魔女すらもあたしの敵だった。全く、神様も厄介な魔法を授けてくれたもんだわ」
なんと声をかければよいのかわからず黙っていると、ドロシーは長い三つ編みの先端を指先で弄った。
「ま、あたしの話はおいといてさ。戦争当時の『魔力増幅』の魔法を持つ魔女の転生体はフリーディアと同じくらい優しい子だったから、自分のせいで争いが起きることに耐えられなくて死んじゃったの。あたしは彼女が生まれ変わるのを待った。運よく巡り会えたときには戦争から百年以上の年が過ぎてた。彼女――フィーナは小さな島国で暮らしてて、珍しい男性の魔女の恋人がいた。恋人は第五王子で、将来結婚するんだって、幸せそうに笑ってた。でもフィーナの恋人はフィーナを愛してなんかいなかった。本当に好きな相手は他にいた。フィーナは第五王子が他の王子を蹴落とすために利用されるだけ利用されて、国王となったそいつにゴミみたいに捨てられた。用無しになった道具でも他人に利用されたら困るからと、身勝手な理由で投獄された挙句、ありもしない罪をでっちあげられて処刑された」
ドロシーは眉間に皺を作り、心底忌々しそうに吐き捨てた。彼女の手の中で三つ編みが無残に潰れている。
「…………」
言葉が出なかった。愛した人に裏切られて殺されて。フィーナはどれほど無念だっただろう。
リュオンが無言で私を抱き寄せた。彼の肩に自分の頭を乗せ、濡れた目元を拭う。
高まった内圧を下げるようにドロシーは息を吐き出し、潰れた三つ編みを手放して再び口を開いた。
「あたしがそれを知ったのはフィーナが殺された一年後。あたしはいつもそう。気づいたときにはいつだって手遅れ。フリーディアが死んだときもあの子の傍には居られなかった……なにせ、こんな身体だからね」
ドロシーは自嘲するように言って目を伏せた。
『居られなかった』――そうか、決して成長しない肉体を持ったドロシーは一か所に留まることはできないんだ。
長く留まると見た目が変わらないことを周りの人間や魔女に怪しまれてしまう。
彼女が変身魔法を学んだのも必要に駆られてだったのだろう。
「『魔力増幅』の魔法を持つ魔女が幸せな一生を送れることは滅多にない。フィーナの例が示す通り、大抵が悪党に狙われて使い潰され、悲惨な死を遂げる。そこで今回は傍観者でいることを止めて、思い切って干渉することにしたの。セラの傍にいるリュオンがどんな魔女なのか見定めようと思ったのよ。あたしが知りたかったのはセラを狙う強敵が出現したときのリュオンの反応。口だけなら何とでも言えるし、人間って極限状態に置かれたときにこそ本性を現すものでしょう? だから、悪いとは思ったけど悪役を装って攻撃させてもらった。リュオンが我が身可愛さにセラを差し出したり、尻尾を巻いて逃げるような奴ならあたしの手元でセラを保護しようと思ったんだけど……余計なお世話だったわね。いくらあたしに勝てないからって、まさか自爆攻撃してくるとは思わなかったわよ。セラのこと愛しすぎでしょ、あんた。聞けばセラのために天災級の魔獣を三頭も倒したって? もはや感心を通り越して呆れるわ。あんまり無茶ばっかりしてると、そのうち本当に死ぬわよ?」
ドロシーはリュオンの額に巻かれた包帯を見て苦笑した。