バイクで闇バイトしたら幼馴染と再会した件について
夕方六時半。
俺は、祖母の家の車庫から、まるで泥棒みたいに這い出ていた。
バイクと一緒に。
実際、半分は泥棒みたいなもんだし。
この家には、ひとりの“猛獣”が棲みついている。
無職の叔父、虎太郎。
昼夜逆転のゾンビライフを満喫しながら、ゲーム実況に向かって「ワンチャンある!」とか叫んでる哀愁モンスターだ。
昔は憧れてたんだよ、マジで。
俺とアイリを助けてくれた、あの頃の虎太郎は、ちょっとした英雄だった。
今は……炭酸抜けたコーラ。瓶だけ立派で中身は空っぽ。
まあ、気づかれるはずがない。
むしろバレたら人生終了のベルが鳴る。
――でもまあ、俺も似たようなもんか。
コンビニ行くふりして外へ出る。
家には誰もいない。
夜勤の母、出張中の父、焼肉中の妹。
ばあちゃんは何も言わず、煮物と俺の背中を交互に見てたけど、見逃してくれた。
今夜、俺は自由だ。誰にも邪魔されない。
……ある意味、自由で。ある意味、孤独。
存在が“透明”になった人間は、たいてい何かやらかす。
俺の場合は──
夜な夜な、ヘルメットかぶって、他人の人生を“送迎”することだった。
最初は、ただの冷やかしだった。
「バカな募集だな」って思った。
冗談半分でアカウントを作って、“ユア便乗”なんて名前の送迎アプリに登録した。
でも、マッチした。
──本当に、「乗せてくれ」ってやつが現れた。
それから、俺は止まらなくなった。
ヒーローになりたかったわけじゃない。ただ、誰かに必要とされたかっただけだ。
「生きてる実感」なんて、そんな大それたものじゃない。
せめて、誰かの“代わり”になれたら──それで良かった。
安っぽいと思うか? でも、案外そういうのがスタートラインだったりする。
バイクの振動。ヘルメット越しの呼吸音。
誰かを乗せるってことは、誰かの人生に“ちょっとだけ”関わるってことだ。
──そんな実感、学校では一度も味わえなかった。
だから今夜も、透明人間の俺が、ひとつ誰かの役に立とうと思う。
バレなきゃ合法。捕まらなきゃヒーロー。
この世界、嘘と匿名が通貨だ。
午後七時半前。少し早かったが、俺は目的地に到着していた。
夜のグラウンドは、昼間とはまるで別の惑星のようだった。
部活の掛け声も、教師の小言もなく、ただ冷えた空気だけが静かに支配している。
――まるで葬式。いや、祈りの場か。
そんな静けさの中、俺の耳にだけは別の音が鳴り響いていた。
ドゥゥン、と。
……来たな。俺の“開幕の鐘”。
CB400 SUPER FOUR。
叔父・虎太郎から譲り受けたこの鉄の塊が、今夜、ついに俺の“中二魂”と融合する。
うん、だが正直に言う。
めっちゃうるさい。
チューニングなしでもこのマフラー音。
静寂の中で響くそれは、ほぼ騒音テロの類だった。
隠密性? そんなもん、ゼロだ。
目立ちすぎて帰りたくなるレベル。
……でも、もうエンジンはかけちまった。
「やめたい。でも、サイコロは投げられた。ルビコン川も渡った。
──つまり、GOってことだろ? バカか俺」
誰に向けたセリフかは、自分でもよく分からない。
自己肯定と自己嫌悪が入り混じる中、
俺の脳内では“青春”という名の戦争が勃発していた。
……でもな。こういうセリフを吐かないと、始まらないんだよ。
これは俺にとっての“儀式”だ。
アウトレットで買ったヨレたTシャツ。
オリーブ色のミリタリージャケット。
チープカシオの腕時計に、黒のコンバース。
全部、ダサさを計算してのチョイスだ。
金がないわけじゃない。
ただ、これが“俺のスタイル”ってだけだ。
この格好で、俺はヒーローをやる。誰にも頼まれてないけどな。
──「虎太郎,お前の残した“力”、今夜、使わせてもらうぜ」
意味深で臭いセリフを夜空に吐きながら、俺は一歩踏み出した――はずだった。
……が、足が動かない。
いや、ちょっと待て。
俺が今やろうとしてるのって、「非合法」な送迎サービス《ユア便乗》の初出動だよな?
これ、言ってしまえばただの闇バイクタクシーじゃねぇか。
バレたらアウト。
即退学。
学園生活、ワンパンKO確定。
いや、もう孤立してるし終わってるか? 俺の青春。
……とにかく。
今夜が初出動だ。
校門へと、バイクを押して向かう。
帰ったところで、誰も困らない。
でも、それじゃ負けだろ。
だから俺は、震える足でアスファルトを踏みしめた。
そして正門前。
そこで“それ”は立っていた。
──ボブカットに、揺れるリボン。
風にたなびく制服のスカート。
……間違いない。
白峰アイリ。
まさかの、俺の幼馴染。
依頼内容には「男子生徒の送迎」と書かれていたはずなんだが?
え? 詐欺? 情報操作? 陰謀論か?
まさか、これって政府の罠?
──やめろよ、その顔で出てくんのは反則だろ。
こっちは“過去”を忘れるために夜を走ろうとしてんのに、
よりによってその“過去の象徴”が再登場とか、ホラー演出すぎる。
しかもスマホを操作するフリ、ってやつな。
操作する指は止まってるし、画面の明かりもついてない。
……バレバレだぞ、アイリ。
でも逃げられない。
彼女が今夜の依頼人であることは、ほぼ確定だった。
そして――何か、おかしい。
スマホをチラ見しながら落ち着かない足取り。
「私はただの女子高生です☆」みたいな無理アピールが、逆に怖い。
俺はそっと、バイクを近づけた。
エンジン音は抑えめだが、存在感はゼロにはならない。
アイリの肩が、ビクッとすくんだ。
「ホントに来た……黒バイク……怪しさ満点……」
──よし、ビビってる。
でも俺だって、こっちが本業じゃない。
手汗が止まらんし、マジで帰って寝たい。
それでも口から出たのは、一言だけだった。
「……乗れ」
我ながら、超低音ボイスでキメたった。
フルフェイス越しのセリフって、案外迫力あるんだな。
「は? はい誘拐未遂? 今なら警察呼べば間に合うけど?」
即レス。
でも俺は動じない。
「俺は、正義の運転手だ」
ここでブレたら終わりだ。
口先だけの正義感でも、信念っぽく言えばセーフ。たぶん。
「……ふぅん。やっぱり、あなただったんだ」
声のトーンが変わった。
……完全に“確信犯”の顔だ。
最初から気づいてたのか? この女。
「《ユア便乗》を立ち上げたの、駆でしょ?」
……バレてんじゃん。
「見てたのかよ」
「小学校からの幼馴染だよ? 忘れた?」
クソ。完全に読み負けた。
この感じ、昔からだ。
こっちは勝ったつもりでも、アイリには全部見透かされてる。
「止めに来たんじゃないのか?」
本音半分、負け惜しみ半分で聞いてみた。
すると、彼女はふっと笑って――
「止める? 逆だよ。
むしろ応援したい側ってやつ。バカで、無駄で、最高に面白い。
……そういうの、見逃すわけないじゃん」
マジかよ。
アイリ、お前ってやつは……。
もしかして、俺より頭ぶっ飛んでない?
「これ、着ろ。身バレ防止だ」
俺は、黒パーカーとフルフェイスのヘルメットを差し出した。
「え〜、暑いしダサいし、ヤダ〜」
アイリはいつもどおり、文句から入る。
「バレたいのか、アイリ」
「ウザ。駆、もっと陰キャかと思ってたし」
「アイリこそ、もっと真面目な優等生かと思ってた」
軽口の応酬。
なんてことないやりとりが、妙に心地いい。
……そうだ。この感じ、懐かしい。
アイリはしぶしぶパーカーを着込み、ヘルメットも装着する。
そして――
何のためらいもなく、俺のバイクの後部シートに跨がった。
その手が、そっと俺の腰に回る。
「……意識させちゃって、ごめんね?」
「……俺、修行中だから。意識しない努力中」
「はいはい。がんばってね、修行僧さん」
……心拍数だけが青春してる。
本体の俺は、緊張で崩壊寸前だ。
こんなに背中が密着してるのに、あいつのぬくもりも、呼吸も、何ひとつ届かない。
なのに――
「……行くぞ、アイリ」
ドゥゥン。
夜を切り裂くエンジン音が、すべてをかき消した。
バイクはゆっくりと動き出す。
俺とアイリ、ふたりだけの逃避行。
その背中越しに、彼女の声が聞こえてきた。
「その目、好きだよ。
でもさ、“正義感”ってのはコスプレじゃないんだよ。
……最後まで、演じきってよね?」
――ああ、分かってる。
俺は、もう走るしかない。
何者にもなれなかった俺が、ようやくギアを入れた。
エンジンの鼓動が、俺の心音を上書きしてくれる。
余計なことを考えずに済む。
音に飲まれれば、空っぽになれる。
そしてその“空っぽ”が、たまらなく気持ちいい。
こうして――
“非合法ラブコメ革命”は、静かに始まった。
今夜、俺は透明人間のまま、誰かの人生にだけ触れていく。
これは伝説の、ほんの幕開けにすぎない。
……ま、事故らなきゃ、の話だけどな。