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鈴が生まれたのは、元禄十年のことだった。父・藍右衛門は江戸でも指折りの染物師として名を馳せていた。母・おちよは商才に長け、二人の力で藍風堂は栄えていた。長女のお琴は父に似て几帳面で、次女の鈴は母に似て人当たりが良かった。
姉妹の仲は良く、特に染物の技術においては、藍右衛門の厳しい指導の下、互いに切磋琢磨していた。鈴には特に才能があり、若くして父から技を盗み取るほどの上達ぶりだった。
「鈴は天性の才がある」
父がそう言うたびに、姉・お琴の顔が曇るのを、鈴は見逃さなかった。しかし、幼い鈴にはそれが嫉妬だとは気づかなかった。
転機は宝永四年、鈴が十四歳の時に訪れた。父の取引先である越後屋呉服店の若旦那・喜助と出会ったのだ。
「鈴さん、あなたの描く模様は、まるで風が見えるようじゃ」
喜助の言葉に、鈴の頬は紅潮した。十八歳の喜助は、鈴の目には大人の男性に映った。その後も、商談と称して藍風堂を訪れる喜助と鈴は、次第に惹かれあっていった。
「鈴、越後屋の息子とは縁を切りなさい」
父の言葉は厳しかった。
「なぜです?喜助様は立派な方です!」
「越後屋は我が家の商売敵じゃ。取引はしていても、婿にするわけにはいかん」
家族の猛反対を押し切り、鈴は十七歳で家を出て喜助と結婚した。その日、藍風堂の戸を出る鈴を見送ったのは母だけだった。父は病に伏せり、お琴は鈴の部屋に閉じこもったまま、顔を見せなかった。
「どうか幸せになりなさい」
母の涙ながらの言葉を最後に、鈴は藍風堂を後にした。