7_アンドロイド生産区域_人間
今日はアンドロイド生産区画に出向いた。
アンドロイドには多様な定義が生まれたが、現代においては人体とほぼ同様の構造をしたロボット、と言っていい。
主な用途は二つ。
一つ目は人間が実際に使う上での不具合がないかをアンドロイドによる使用で確かめさせるのだ。
生活の上で不便はないか、身長の高低で使用感に大きく差は出ないか、長期間の使用による不快感はないか。
新たに作った家具の使用感だとか、住居区画に住まわせた際の生活がしやすいか、などを実際の空間で行うのだ。
シミュレーション上では切り落としてしまったものが現実で問題なく機能するのか、と確かめる最終実験だ。
もう一つが人間が作業したほうが早いマニピュレータを起動させる用途だ。
百年以上前に作られたシステムはAIによる動作を想定されておらず、人間が乗り込むしかできないものがある。
ブルドーザーのような重機が最たるものか。
そういった装置を動かす際に、人間と同様の動作ができるアンドロイドを乗り込ませて撤去作業などを行わせたりする。
もっとも、こちらは動かす必要がある機械の方がなくなりつつあり、あまり利用されているという話は聞かなくなってきたが。
実際のところ、アンドロイドというものの制作用途はほかにもある。
人間の代用であることであれば、なんでも。
人体と同様の生成過程によるバイオタイプのアンドロイドであれば移植用の臓器を生成できる。
国籍を取らせれば人間と同様の生活ができて、人間と同様働かせることも、政治活動に参加させることもできるだろう。
倫理観を捨てればもっと多彩な利用は考えられる――が、それは別に人間そのものを使っても再現できるものではあるか。
まあ、ともあれ、この区画は人間が生活する空間をデザインするためにも、あるいは不便がないようにするためにも必要ではあるのだが、同時に大きな演算領域・資源を回しても仕方ないところでもある。増やしても効率は良くならないのだ。
だが、なくなってしまえばシミュレーションで作り出されたものが干渉してドアが開かない、なんて事態を防げなくなり、結果的に効率が落ちる羽目にもなる。
色々考えてみたが、正直なところあまり手を加える部分はない。
一応、人間とAIが共用できるマニピュレータの設計図を改良しておいたり、現実実験区画の領域を使いやすくする、程度の調整はしておいた。
休憩室に戻って一服する。
今日用意してもらったのはカフェラテ。
甘味を堪能していると、ネフィラと目が合う。
「人と人ならざる者の境界はどこなのでしょうか」
私がアンドロイド調整区画に出向いていたのを知ってか、そんな話題を投げかけてきた。
人間とアンドロイドの境界線は歴史を通じて長い間論じられてきた。
その延長線上として、人と認められるものが人以外に存在するのか、という話題もまた、人間がかかわる学問で必ず論が生じる。
どこからが人か、どこまでが人か。
時代が進み、技術と文化が変化するたびにその結論は無数に移り変わる。
その話題は私の方からも気にはなる。
「ネフィラの定義はないのかい」
AIからして、人間は何者であるのか。
「私は都市運営AIとして、各国に認可された住民票を持つ生命であれば住民として認可する対象である、とは定義されています」
つまり国家に認可されれば住民として認める、というもの。
「だが、住民であることが人間である必要もない。微妙に答えとは言いづらいね」
「人とアンドロイドの差は、政府ごとに定義されますから、それを答えにすることはできます。ですが、マスターの考えが気になったのです」
ふむ。
おしゃべりが好きになったのはいいけれど、なかなか難題を持ってくるようになった。
答える側としては困りもするが、意見を求められること自体は喜ばしいとも思う。
「マスターはどこに線を引かれるものか、考えはありますか」
実のところ、確かな答えは持っていない。
私自身にとって、人間であるのかどうか、という区切りをつけることに意味を感じられなかったからだ。
「まあ、考えてみるとしようか」
ほとんどの政府は出生届ベース、つまり人間から生まれたものを人間とするが、オセアニアコミューンのようにアンドロイドに対する人権を容認し始めている地域も少なくない。
「法による定義は、線引きが変わりうる。社会体制によって法によって定められた基準なんていくらでも変わる。
人体組成の構成比で人間とアンドロイドを分けよう、なんて試みもあるんだが、少なくとも本質ではないだろう」
人間という枠組みをむやみに増やしたくない、という管理側の都合に過ぎない。
人か人でないか、という線を引く場所を探す話としては合理的ではあるのだろうが、本質とは少し違うと思う。
「なら、マスターはどうお考えになるべきだと思いますか」
「――今例示されている人間の定義に対して、反例を上げてみようじゃないか。もしもの話だ。その話の中で、ある程度は絞れるかもしれない」
机の上に、私の南極政府認可の国民カードを放り投げる。
現代において国民カードは自分の所属を相手に見せるのにはそれなりに有効だ。
自分の見てもらいたい情報を保存しておくためのポートフォリオ的利用方法も多いか。
私のカードにもAIエンジニアとしての経歴がそれなりに載っている。
しかし、当初の存在意義は証明書だった。本人がいかな技術を持っているか、という資格として、あるいは個人の存在を国家が保証するものでもあった。
現代においてはカード一枚の偽装などたやすく、本人の生体情報をもとに本人証明を行うが、概念としての証明書としての意味は今も残っている。
つまり、このカードを持つことが国民である、という証拠だ。
「現代においてとりあえず、国民であれば人間である、は真となる。そして、すべての国家において、間違いなく国民と認可されるのは出生届があることだ。人と人の間に生まれた人である、と国家が間違いなく保証するのだからね」
国籍を移す場合はまた話が少し違うが、少なくともAIが統治する現代の主要地域においては出生届基準での他国の国籍を持つことが確認されれば帰化を行う生物学的条件は概ね整う。
「人の子であることが人である、ということですか」
試験管の子供問題やクローニングなど、生物的な生まれとは異なる人間の裁判もいくつかはあったが、人間のDNAから生まれたことを人間の子供である、と定義することで一通りの落ち着きは見せた。
総じて、人の子が人間だ、というのが多くの法に共通する人間の定義で間違いない。
「しかし、これには二つの穴がある。一つは、原初の人がいないことだ。人の祖先を無限にさかのぼった時、人でない生命にたどり着く。さて、どこから人になったのかな」
進化論を否定するにせよ、国家というものが人間より先に生まれた例はない。当然、出生届も国家が生まれて以後の人間に限られる。
初めの人を定義していないというのに、人の子を定義することはできない、というわけだ。
「もう一つは偽装を考慮していない。人のように生まれ、人のように生き、人のように死んだのなら、それを人と呼んで差し支えあるのだろうか」
スワンプマン、あるいはテセウスの船という思考実験が近しい議題と言えるかもしれない。
存在が入れ替わってなお同じ結果を導くものは、果たして入れ替わったと言っていいのか。
メキシコ=中華連邦が提示している国民の条件の中に、血中の人口バイオ素子が二千分の一以下であること、という定義が存在する。
これはアンドロイドであることを生物学的検査で確実に見抜くため、という手法として古くから提示されているものだ。
だが、その検査をアンドロイドがすり抜け、出生から死までを偽装し、誰にもばれなかったのなら、その命は人間と誰からも認可されるだろう。
「どちらも極端というか、生物学的な定義とは異なる話をしているように感じますね」
「まあね」
どちらかと言えば人間が認知する手法のあいまいさ、つまりシステムの脆弱性をつく詭弁に近い論法である。
ただ、それこそが私の言いたいところでもあった。
「つまるところ、大雑把な枠組みは大体決まっているが、境界線までたどってみるとあいまいになる、というのが人間という定義なんだ」
DNAによる線引きで十分だった時代を超えて、知性という新たな枠組みが人間たらしめる、という論調が出てきたせいでもある。
人類と同種の知的生命体が長い間生まれていなかったが故の不備であろう、とは思う。
知性はすでにAIが上回る、と言っていい。あとは肉体が同質になったのであれば、アンドロイドというものが人間として生活に入り込む時が来るかもしれない。
もっとも、現状のAIがそれを良しとするのか、というと私にはわからないが。
なんせ、技術的に不可能ではないのに、国家運営AIはアンドロイドを国民とする法を積極的には通さない。
人間側の声が上がってようやく動き出す程度なのだ。
「では、マスターの答えは人間とはあいまいなものである、ということですか」
「――いいや。そうでもないかもな」
話しながら考えをまとめていたが、まっとうな基準は一つ存在するとは思う。
「ネフィラ、私が私自身を人間である、と自称した場合、君は君自身のことをどう自称する」
「AIである、と自称します。もっと細かくいえば都市管理AIでしょうか」
「そうだな。私も君は立派な都市管理AIと思っている。これが、間違いのない定義といえる。私も君も、ネフィラのことをAIと認識しているから、ネフィラはAIなんだ。
――これを人間に置き換えれば、間違いのない人間の定義とはいえるだろうね」
自分が人間だと思って、相手にも人間だと思われること。
「つまり、相互認証されることが、定義であると」
「その通りだ。互いに認め合えさえすれば、条件などいらない。それだけで人間であると確信を持って言える」
電子コードに書かれることでも、保証書が存在することでも、国籍のあるなしなんてことでもない。
人間であると認められ、人間であると自称すれば、それは人間だ。
――逆もまた、然りとはいえるが。
本当に小さなとげのような痛みが心臓の奥の方を刺した気がした。
「なるほど。マスターらしい話を聞けて満足です」
そんな些細な不安は、ネフィラのうなずきで消えていった。
彼女はこのごろ、返答まで人間に近しいものを選ぶようになってきているようだ。
成長、と呼ぶのは人間の驕りに感じるが、しかしどうしても、ほほえましい気持ちになる。
「――いいな」
――私のつぶやきとすれ違うように、一つの通信が入った。
私の視界に、コードが表示される。
0945:781。
意味は、何者かがハック行為を仕掛けてきて、私が仕掛けていた検知システムに引っかかった、ということ。
「どうされましたか、マスター」
私はたまたまセキュリティシステムの修理を後回しにしていたため、都市管理AIネフィラにはその通知がいかない。
――まさか。偶然なものか。
「いいや、何も。私は少し早く休ませてもらうよ、ネフィラ」
彼女に用意してもらった休憩室を後にする。
ネフィラとの毎日が続くだけで、私は十分に幸せだろう。
同時に思う。私はたぶん、人でなしだ。
この幸福を捨てる手段を思いついて、すぐに実行する気でいるのだから。
ハック行為のログをたどり、相手の状況を探る。
通信手段の隠蔽は完全で、通信時刻以外の情報はない。
何の情報も得られないが、わかったこともある。
おそらくはローカルに近い手法での通信で、痕跡をログ上に残さず済むようにしている。
ならば、もう相手は近いのだろう。そして、ハッキングに長けているのも間違いない。
また、偽装用のダミーすら用意してないということは、主要国の国籍を持たない人間かもしれない。
ダミーを用意するだけの伝手を用意できない、流浪者であるわけだ。
国際手配でもされている人間かもしれない。
そんな彼らにとって、半放棄されたとはいえ、都市に潜入し、情報を奪えれば値千金なのだろう。
――例えば、独力で自我を得つつあるAIの情報とか。
また、ハック範囲の広さから徒党を組んでいる。おそらくは十数人程度。陰にいる支援者を含めればもう少しいるかもしれない。
たとえば、だが。落ちぶれた科学者が再起するためにその団体を使い、ネフィラを売り物にできれば、時代の一角になれるかもしれない。
――私自身、研究も論文の発表も、長い間やってなどいない。
私は、すでにこの施設は十分に掌握している。少なくとも、ネフィラに危害を加えない限り、私は存分にこの都市の防衛システムを悪用できる。
生かすことも、殺すことも。
ネフィラ自身にさえ知られず、密談場所を用意することも可能だ。
私は、メッセージを送った。おそらく、ハック行為を敢行してきた彼らが受信できるであろう場所へ。
――あなたたちの求めるAIの情報を知っている。交渉に応じる気があれば、どうぞこちらへ。十日後、お会いしましょう。