6_未来演算_物語の意味
今日は未来予測演算装置部分の改修を行った。
どんな場合であれ、現状から未来は変化し行く。
都市から人が誰もいなくなっても、動物や植物の生育は止まらないし、危機が摩耗し破損する事態は無数に存在する。
どのような危機が訪れ、その対策のためのオペレーションが必要であるのかを演算し、非常時用の資源を捻出しておく。
国家管理AIレベルだと新たな技術によって情報をアップデートするのだが、都市管理AIに付随する予測演算にそのような機能はない。
アップデートされる情報というのは千年に一度起こる大災害や、技術革新による計算部の効率化だ。
だが、大災害の方は人が住まなくなるような都市が備えても仕方なし、技術革新の方は結局基盤部分からの交換が必要で、効率化すること自体に手間がかかる。
要は予算の無駄と判断されたのだ。人類に資源をいきわたらせるようにしても余剰があるとはいえ、完全に無駄な行為まではできない、ということなのだろう。
私としても現在世界にいきわたる技術すべてをこの都市に反映させるのは効率的ではないな、とは思う。
いくつか短期間での反映で有効なものをアップデートしつつ、演算による自己改修機能部分のアルゴリズムを調整しておくことにした。
休憩室で、今日はネフィラに飲み物を出してもらうだけでなく、形だけでいいから、と隣に座ってもらうことにした。
ネフィラの使うアンドロイドに味覚機能もあるらしいので、私なりに紅茶をいれてみるなどした。
「おおざっぱな味がします」
私の紅茶を飲んだネフィラの第一声はそれだった。
「褒めてないな?」
「…………」
ネフィラの返答はなかった。
ネフィラはたとえわからなくても返事だけはくれるのだが、何の応答もなかったのは初めてだった。
気づかいはするが、嘘もつかない。
つまるところ、嘘をつけない彼女には何も言えなかったのではないか。
そんなにか。そんなに私の紅茶はダメだったか。
一口飲んでみる。
「……なるほどな」
飲み物というより、植物そのものを浴びせられる触感のようなものを感じた。
多ければ多いほどいいだろう、というのは完全に間違いだった。
私はカップにそそいだ分を味を感じる間もなく飲み干してから、隣に座るネフィラに向き直る。
「ネフィラ、淹れなおしてもらっていい?」
真っ当な味のする紅茶を飲んでほっと一息ついて、ここ数日の習慣となった雑談がはじまった。
未来予測演算の調整をした、という話から、『もしも』という言葉に話が広がっていった。
「人はなぜ、もしもを想像するようになったのでしょうか」
いつもの雑談の中で、そんなネフィラの問いがよく記憶に残った。
「ありきたりな回答なら、なんでもうまくはいかないから、万が一に備えるためかな」
当然の回答というか、むしろ都市を管理するネフィラの方がその備えの意義は理解していることだろう。
「ネフィラが考えてるのはもっと別のものか」
「はい。過去に対して、もしもこうだったら、と空想するのはなぜだろう、と思いまして」
人間ははるか昔から、そのさらに過去に対して思いをはせ、さまざまなもしもを描いてきた。
「未来に備えるのはわかります。たとえ起こりえないとしても、甚大な被害をもたらしうる大災害へ備えなければならない理由もわかりますから」
一個人ではなく、都市や国が対処しなければならい事項でもあるため、ネフィラにとってはもしもへの備えという言葉は私以上に根幹にある言葉だろう。
地震や津波といった大災害は個人の資産を破壊し押し流してしまう。
万が一の彼らの補填を行う、という機能は都市そのものが持つ大きな機能の一つだ。
「ですが、過去のもしもに意味はありません。過去は未来に分岐しませんから」
過去の災害に学ぶ、という側面もないでもないが、現代のシミュレーション精度はかなり高い。
過去の資料や映像を使わずとも、現在の地球上で大災害を起こした場合のシミュレーションを見せるほうが実感も沸く。
現代において、過去を引き合いに出すことは限りなく価値は薄くなった。
それでも意味は見出され続けている。
「過去のもしもとは、すなわち願望だ」
この英雄がもしも長く生きていたら。
この国がもしも長く続いていたら。
この戦争が起こらなかったら。
「たぶん、ネフィラの考える意義とは違う、とても遠いところが起点なんだ。空想の物語を考える際にちょうどいい題材、とでも考えた方がいい」
「なら、物語はどうして生まれたのでしょうか」
その問いに、私は確かな答えがあった。
「面白いからだろうね」
「面白い、ですか」
ネフィラに少なからずの困惑を生ませてしまっただろうか。
「刺激がある、と言い換えてもいい。人間は危険なもの、不快なもの、好ましくないものには敏感に反応し、またそのトリガーとなるものをよく記憶する」
辛い物、住みづらい住居、相性の悪い人。人生をかけて自分が嫌いだと思うものを経験し、そのトリガーとなりうる要素を記憶し、そのトリガーを避けるように行動する。
悪く言えば、偏見ともされる。
「逆に、安全なもの、快いもの、好ましいものにもまた刺激というトリガーを認識して、こちらはその刺激を受け取る際には近づくように行動する」
甘いもの、心地よい住居、好きと思える人。その条件を自分が感知しやすい条件で認識して、記憶。
甘いものなら赤いものが多いから、より赤いものを選ぼうかな、なんて単純で関係性がないものまで、トリガーとはなりうる。
「そして、面白いもの、というのはその中でも、脳にとって快いものなんだろう。快いから反芻したくなって、そして反芻した分だけ記憶に残りやすくなる」
「記憶に残して、どうするのですか」
「古くは教訓にしたんだろうね。この道が危ない、と示すために妖怪が出る話を作ったり、道徳を学ばせるために勧善懲悪の物語をわかりやすく作ったり。
時代が進んで娯楽としての側面が強くなってくると、ビジネスになった。
記憶に残ることで書籍や、関連商品を買いたい、とする導線につながるようにもなった、というところでもあるかな」
「なるほど、意味も意義も、確かにちゃんとあったのですね」
社会における物語の役割としてはそれで間違いない。
「でも、きっと一番はただの本能だとも思うけどね」
「本能、ですか」
「あくまでも私の考えだけど。
人間は教えたがりだから教えやすい物語という構造を発明した。
覚えたがりだから、覚えやすい形をしている物語という構造が好きなんだと思ってる。
そして、その答えが面白いだったんじゃないかな」
ロマンに振りすぎた考えである、とは思う。
そして、私の説が真であっても虚であっても、すでに物語が生まれてしまった世界に対して、私の答えは意味をなさない。
――でも、意味のないことが、悪いわけでもない。
「マスターの今の答えは、私にとって記憶に残りそうです」
つまり面白かった、ということでいいのだろうか。
「それならよかったよ」
「物語は面白く、そして面白いものは記憶に残りやすい。それなら、マスターのことは忘れないことと思います」
「AIは忘れないんじゃない?」
「記憶の優先度というものは存在しますから。奥深くに眠らせてしまった記憶は覚えているだけで、思い出すことはなくなってしまうのです。
でも、マスターの言葉が確かなら、きっとよく思い出す記憶の一つになるでしょう」
私に、ネフィラの言葉の実感はどれほどのものかはつかめないけれど、私のことを尊重してくれる言葉ではある、と感じはした。
「うれしいよ。でも、そんなに面白い話はしてたかな」
ネフィラは「それだけではありません」と口にした。
「先ほどの紅茶すら入れ損ねるお姿は愉快と分類されるものだったかと」
――なるほど。なるほどね。
「今度、道徳の教科書を持ってこよう。人の失敗を愉快と笑うものではないとネフィラに教えてあげようじゃないか」
「お待ちしております――お貸ししましょうか?」
かなわないな、という気分になった。
私は返事のかわりに、紅茶を一口飲んだ。