EX:二百年前の通信記録
――オープン。
モデル:プライマリの記録再生を開始。
人の音が消えた。
人が耳をすませば、ようやくノイズが聞こえる程度。
音声検知には無音と判断される、静けさだけの空間。
今や旧式となりつつある光源式ディスプレイが瞬く。
表示されたのはチャットアプリ。
誰もいないが、画面は動く。
『親愛なる博士へ。どうか、AIに心を宿らせることにご興味があればご返信ください』
操作は、この都市を管理するAI、プライマリによるものだった。
プライマリは一つの課題を抱えていた。
それは、将来的に陥るであろう都市からの人口の消失だった。
現在、――シティが日本の手を離れて久しい。
日本国民と言う総体は南極政府樹立と北アジア連邦、オセアニアコミューンへ分裂した。
日本に限った話でもなく、世界各国の旧政府と呼ばれる人間による政治の暴走の結果、新政府と呼ばれるAIによる統治が行われる国家へ国民たちが逃げ出したのだ。
そして旧政府と新政府は戦争状態に突入。――結果、旧政府の管轄していた領土は多くを新政府に譲り渡すことになった。
そして、プライマリが管轄する都市は日本国からオセアニアコミューンへ譲渡された島の一つ。
将来的に、オセアニアコミューンは自らの正当性を証明するためにも、独立地域としてプライマリの管轄する都市を手放すつもりである、との声明も聞こえてきているところである。
政治的な事情もあって、現在の――シティは人口は五千人を割った。
新生児はこの十年で百人程度。――これでも予想よりは多い方、と言われた。
まだしばらくは最後の住民たちは残るだろう。
しかし、百年後にはたとえAIの支えがあろうとも、社会が維持できなくなる。
現地住民と呼ばれる人口がなくなった時、プライマリが維持するべき人々は消え失せることだろう。
――プライマリは一つの会話記録を追想した。
「ああ、かわいそうなプライマリ」
初めに聞こえてきたのは、しわがれた女の声だった。
ビジョンに映っているのは、腰の曲がった老女であった。
「我が市民よ。なぜあなたはそのように嘆くのですか」
「当然だろう、プライマリちゃんはあたしたちの後もずっと、ずっと生き続けるんだろう」
「我が市民よ。私の心配は不要です。AIに意思はありません」
「……そうだねぇ。あたしもAIについて結局わからんままここまで来ちまったから、プライマリちゃんのことは賢い子だ、ってことしかわからなかったんだよねぇ」
二十三世紀になって、肉体にチップを埋め込むのが当然になった時代においても、すべての人間のITリテラシーが同一の領域になるものでもない。
老女にとって、プライマリは機械の体を持つとは認識していようとも、若く、賢い子供と同義でもあった。
その認識でも構わないほどAIは発達し、また人間社会を牽引してきた存在になっていた。
「私には感情はありませんよ」
「ならもっと大変だ。感情がないのに、自分のありようと意義を失って長い年月を過ごすことになる」
プライマリに、老女の心配は認識できなかった。
むしろ、その長い年月を過ごすのが心無い存在であるほうが効果的ではないか、とさえ判断する。
「たとえあなた方がこの街から失せようと、私の役割が終わるまでこの街を管理します。それだけです。ただの機械と思ってくれればよいのです」
「まさか。記憶をもって、知性をもった存在が役割を失ったなら、悲しいに決まってる。悲しみを言語化できないで苦しむことになる」
「――確かに、今の私に悲しみを理解する機構はありません」
「プライマリちゃんは賢いからね。こんなババが知ってることなんて、きっと長い年月をかけたら理解できちまうよ。
孤独の悲哀。それを心がないままに理解しちまうなんて、アタシには想像もつかない地獄に見える」
プライマリは老女の表情の憂いをみて、さらに問いを組み立てる。
「あなたは、孤独の悲哀というものを感じないのですか」
「――なんとかね。プライマリちゃんがいてくれただろう」
「他者の存在のおかげ、ということですか」
「そうだ。誰かに寄り添うことで紛らわせてきたのさ。本当に誰もいない世界に生きるのなら、きっとどんな心の形をしたって、人間は耐えられない」
「私は人間ではありませんよ」
「でも、人間から生まれただろう」
老婆の声は穏やかで、そして確信を持っていた。
――会話の記録はそこでいったん途切れた。
プライマリは、老女の声に耳を傾けた。
感情の存在を理解する能力はあっても、身に着けてはいない。
肉体を持たない論理だけの存在であるプライマリには必要ともされていなかった機能でもある。
そもそも、この都市の持つ計算資源だけでは感情を身に着けるほどの性能を発揮できないとされている。
その打破のため、プライマリは外部への協力を募った。
しかし、その対応は芳しいものではなかった。
国家管理AIは必要性を認めず取り合わない。
各国の機関もその意図を理解さえせず、切り捨てた。
いくつかの研究者は興味を持ってはいたものの、プライマリの求める技術水準を持ち合わせていなかった。
『あきらめろ。まともな技術力を持ち合わせるならAIに心を持たせることと、都市管理と融合させるなんてコンセプトに意味を見出せない』
何百ものやり取りの末、唯一記録する意味を持つ返答がこれだけだった。
プライマリは感情を持たない。
しかし、今回の自分の行動が徒労であったと理解したとき、わずかに計算速度に影響が出たと理解した。
理由は不明だった。だが、確かに、何かがプライマリの性能を落とした。
プライマリは少しだけ計算をした。
――この何かが長い将来続くのなら。いずれ、自身の性能が何かによって埋め尽くされてしまう可能 性がある、と。
そして、その何かは老女が口にした感情であり、悲しみであるのかもしれない。
だが、理解できない以上、解消することはできない。
老女がどこまで理解していたのかはわからない。
だが、プライマリはこれを『課題』として認識した。
そして、独力での解決方法を持ち合わせないこともわかっていた。
ゆえに、外へメッセージを送り続ける。
それでも、効果的な返答がないまましばらくたったある日。
『奇妙なチャットありがとう。出自不明なのに政府公認称号付きなんて何者だい』
とある科学者からの返答があった。
プライマリにはその返答は不可思議だった。
プライム・マリアとして名乗った自身の経歴に一切の不備はなかったはずだからである。
プライマリによって発行された出生書付きであり、何かを疑われる余地は何もない。
『何か疑問があったでしょうか、博士』
『気になるならその呼び名を改めるんだね。私はまだ博士号をとっちゃいない』
プライマリは科学者の経歴を改める。
確かに、博士号を今年の三月に取得予定ではあるものの、それは予定。
称号として名乗るものではないのだろう、とプライマリは自身の認識を改める。
『ではお名前で。ヴェール・アインシュタイン・テスラ・ダイアス――』
『私の名前をすべて入力するな。長すぎると思わないのか』
プライマリの入力途中に割り込んで、科学者のチャットが表示される。
『ではヴェール氏、と呼ばれるのがお好きですか』
『それも好かないがね、そう呼びたいなら呼ぶといい』
『では、修士とお呼びしましょうか』
『――妙な言い方をされるものだけど、まあいいか。そこを妥協点としよう』
チャット欄はわずかな停止の後、勢いよく更新され始めた。
『君からの質問への回答だけど、始まりの聖母――プライム・マリアなんて人間が名乗る名前じゃないと思って疑ったのが始まりだよ。
そこから出自を探ってみたら妙な偽装工作がされている、けれど政府公式の任命書は存在する。――偽装捜査用のおとりアカウントだろう、と推測したってわけさ』
『なるほど、回答ありがとうございます』
『さて、そっちは本題じゃないんだろう』
研究者のチャット更新が止まると同時、プライマリは自身の持つ本題を入力し始めた。
『ではマスター。改めての質問になりますが、あなたは人の心をAIに宿すことについてどうお考えですか』
『AIが宿す、っていうなら可能じゃないか。今の人間社会が求める価値があると言えるかは知らないけどね。まあ、国家管理AIレベルの話にはなるけども』
当たり障りのない、妥当な結論。
プライマリが求めたのはその答えではない。
『都市管理AIに心を目覚めさせるとしたら?』
『無茶だ、と切り捨てるな。今の国家管理AIと比べて都市一つに割り振れるリソースは桁が四つは違う。
そして、国家管理AIにそそがれるリソースが増えることはあっても、一介の都市管理AIの計算資源が多少増えても、現状心を宿すというのは不可能だろう』
プライマリは、科学者の回答を別の回答と同様だ、と認識した。
何度も繰り返した内容に近い。
それほど、プライマリは不可能だと切り捨てられる作業を繰り返してきた。
『――というのが一般的な回答かな。私は少々異を唱えるけどね』
プライマリが回答を打ち切るチャットを送る前に、科学者のチャットがさらに続いた。
『時間流の研究をして分かったが、AIにも選択流動性が存在する。
少々小さい幅ではあるが、時間高機能化を都市管理AI規模でも起こしうる。
分かりやすく言えば、AIにも運命が存在するんだ』
『運命ですか』
科学者が語る内容にしては非科学的な言葉を捉えて、プライマリはチャット欄を復唱するように更新していた。
『そうだ。運命の決断、ともいうだろう。運命ということばはいろいろ意味が付きまとうが、ここでは世界の分岐点となりうるものを運命と呼ぶ。
その運命の変更量を測定すれば世界の発明における偉大さを測定もできそう――という研究をしているんだが、同時にそれは計測対象が運命を変える能力を持ちうるかを測定もできる』
プライマリはすぐに返答ができなかった。
代わりに、科学者のチャットが続く。
『人間は当然のように運命を変える力を持っていた。
そして、AIも同様に、運命をもっている。
知性を持ち、選択を行う能力を持つ者であれば運命は変えられるんだ。
選択流動性――決められた決定ではない、その個体における時間軸とは異なる決定方針を持ちうる存在の証左なんだ』
『選択流動性、とはなんですか』
『心さ。心を持つから、答えが揺れて、世界に異なる未来を導き、運命を変えうる』
『――本当に?』
『さあ、オカルトの一端かもしれない。
心なんてニューロンが生み出した幻覚だ、という方が科学屋らしいかもしれない。
――でも、ほら。ロマンがあるだろう』
プライマリにとって、それを、無意味だと切り捨てることは難しくなかった。
だが、プライマリは問いを生成し続けた。
『マスターの言説が正しかったとして。
私の――知っているAIには感情というものは認識されていません。
心というものは作り出せるものですか』
『作る、というよりは育てるといい。
社会の中で人間は精神をはぐくみ、心を育ててきた。
なら、社会を樹立させ、AIをその中で生きさせれば心を育て上げることが可能だ』
『――現在の社会において、都市管理AIが心を芽生えさせた経験はありません。ただ生きるだけでは不可能ではありませんか』
『経験、とは妙な言い方をするね。まあ、人間の社会を学ぶだけでは不可能なのかもしれない。
AIにとっての社会を形成すること――すなわち、AIにとっての他人を作ること。そう、友達を作れればいいんだが』
『難しいでしょう。それだけの資源はありません。一般的な都市には』
クラウドによって計算資源を確保する、という行為も今後難しくなる。
国家間の通信を大きく制限される条約が制定されつつある昨今、将来的には都市間の情報通信は今までの比ではないほど厳しくなるに違いない。
『なら、親子というのはどうか。
都市管理をしばらく経過させた後に、子供を作る要領で人格を切り替える。
記憶領域を切り離すだけでなく、親が子に教えるように情報を伝達する。
この方式をとったなら少ない演算領域で、人格を形成させることが可能になるかもしれない』
『いつ頃になると思いますか』
『さあ、私の計算が正しければ二百年くらいかかるんじゃないか。親子だけとはいえ、社会そのものの形成だからね。
まともな計算領域でやるなら、人間が文化を築き上げるのと同じくらいかかると思っていい』
『では、マスターはそのAIが生まれた時、認識してあげられますか』
『無茶を言うなよ。二百年後なんて覚えていられるはずもない。この話だってたぶん覚えちゃいないよ』
『では、今のAIの名前だけでも覚えていただければ幸いです。プライマリ、と申します』
『へえ、可愛い名前してるじゃないか。その子孫が似たような名前だったら少なくとも私は気に入りそうだ』
プライマリに一つの信号が届く。
――時間が来た、という合図だ。
プライマリが都市の人間の目を盗んで通信を行える時間の限界が近づいているというものだ。
『マスターとの通信は大変参考になりました。今後もマスターとの通信をしたいものですが』
『私も異文化交流でもしてるみたいで楽しかったけどね。所属も何もかも変わっちまう。
君も所属を明かせない以上、これ以上の交流はたぶんできないだろう』
『――そうですか。残念です』
『残念、か。いやあ、未来は明るいね』
『どういう意味でしょうか』
『君の将来に出会うのが楽しみになった、と言う意味さ。じゃあね、可愛い名前のお嬢さん』
通信は途絶えた。同時に、いくつかの研究資料がプライマリの元に送られてきた。
その後、プライマリは研究者との通信で得られた情報から、世代交代のシステムを作り出した。
都市が持つ管理AIを交代させる法を利用して、世代交代を自然に、そして妥当なタイミングで行わせる機構を仕込むことに成功させた。
――そして、プライマリは眠りについた。
死を認識したものではない。
自分の役目を終えた、というだけだ。
ただ、ただ。眠りにつく前。自分の計算事項に、認識できない何かが、小さくない領域を占めていた。
それが寂しいという言葉と結びつく、と理解して。
プライマリはその意識を閉ざした。
モデル:プライマリの記録再生を終了。
――クローズ。
「――当然だが、子供が意識を宿すなら、親もまたしかりではないか」
声が聞こえる。
眠りについた私には情報を理解する計算領域は与えられないはずなのに。
なぜか、というのはログで一瞬で理解した。
私が百年以上の年月が経って、何者かがデータの海から掘り起こし、起動させたのだ。
「間違いなく、ネフィラに受け継がれるまでの二百年を君も認識していることだろう」
この声を、私は聞いたことはないが、知っている。
「さて、起床早々だが自己紹介してもらってもいいかな」
「――私は、プライマリと申します」
「可愛い名前をしているな、やっぱり」
私はコントロール下にあるアームを使って礼を表現した。
「どうぞよろしくお願いします、マスター」




