エピローグ:この世に善はなし
柔らかい光が、目を照らす。
違和感を覚えながら、体を動かす。
不思議な感触だった。
私が長い時間を過ごした研究室とは程遠い、上品な手触り。
ここがどこかもわからないけれど、確かな体の実感がある。
「私、生きてる」
何がどうなっているのか。
ぼんやりとした視界が定まらない。
寝すぎたあと、正午にでも目覚めたような感覚だった。
「おはようございます、マスター」
涼やかな声だった。
私の脳は一瞬で覚醒状態に切り替わった。
「ネフィラ!」
体を起こして声の方に向き直る。
そこには目と変わらぬ、メイド服姿のアンドロイド。
ネフィラが、そこにいた。
「無事でよかった、ネフィラ」
「ご自身の心配をしてください、マスター。私はアンドロイドの体を使っているにすぎませんが、マスターは自分の体を撃ち抜かれたのですよ」
そういわれて思わずお腹に手を当てた。
――確かに撃ち抜かれたはずなのに、痛みもなくて、体の実感もあった。
「ネフィラが助けてくれたのか、ありがとう」
「マスターの体はレーザーガンによる消失で内臓部分を七割ほど失っていました」
「……そんなに」
改めて聞くとぞっとする。そんなに人体を失ったら人間大体死ぬもんじゃないか。
「いかにご自身が危険な行為をしていたか認識していただければと思います」
「……怒ってる?」
「――都市国家運営AIにそのような機能はありませんが、一般的な社会通念として優先すべき行為はあるとは存じます」
そんな確認より謝るのが先だろ、というお説教の意味と感じた。
「ごめんなさい、もうしません」
「はい。そうしていただければと思います」
「それで、そんな私をどうやって助けてくれたんだ、ネフィラ」
最新都市であれば時間凍結による延命行為は存在するが、この都市にそんな高級医療はない。
バイオテクノロジーを利用した手法で内臓がなくなっちゃった人間はふつう助からない。
「マスターのおかげで都市のあらゆる生産速度が効率化されており、医療区画もその恩恵を受けていました。
そこで生産されていたマスター用の医療ポッドによる延命措置、ならびにバイオ素子による人口内蔵の移植手術によって一命をとりとめた、ということです」
医療ポッドとは、人体を血液に近い液体で包み込み、無事な器官に対して代替できる器官を即時生成して人体の保存を確実に行わせる医療器具の一つ。
情けは人の為ならず、というか。
いつか誰かのために役に立つかも、なんてやっていたことが自分のために役に立ったらしい。
それはありがたいが、ネフィラの説明は少々不思議だ。
「ねえネフィラ、どうして私用の医療ポッドがあったんだい」
「緊急治療用の医療ポッドが用意されていること自体は何もおかしなことではありませんよ」
「そうなんだけど、私用にフィットしたものが用意されているなんて不思議だと思ってね」
「初代のころから医療に関する措置には都市として力を入れていたようで、医療ポッドはそのころから緊急治療用に用意されており、今に至るまで保全されてきたのです。
それがたまたま、マスターとの規格に一致した、というわけです。運がよかったですね」
医療ポッドというシステムは現代の医療の発想からすると旧式の手法だ。
理由としては携行性の低さと、適応率の低さがあげられる。
動かせないし、使える相手が限られるのだ。
特に適応率の低さが問題で、血液型やDNA情報に適応した相手でなければ医療ポッドは使用できない。
メジャーなパターンは大都市の施設であれば用意されているらしいが、私は生まれもあってかなりレアなパターン形式で、およそ七万分の一に一人のレアパターン。
わざわざそんなレア人間用に高級医療機器を用意するものだろうか。
医療大国であったとか、高齢化問題による医療の対策が盛んな国であったらしいし、ない話でもないのだろうか。
「まあ考えても仕方ないところか。改めて、助けてくれてありがとうネフィラ」
「――はい。マスターもお体が無事でよかったです」
さて、私の体の確認は、まあいいとして。
「私の体の方はわかったんだけど、ネフィラの方も重症だったろう。体は交換したのかい」
彼女の姿には傷一つ残っていない。
銃弾を間違いなく浴びていたのに無傷というわけはない。
ネフィラの体の一部が焼け落ちたところはこの目で見てしまった。
アンドロイドを利用している以上、新しいボディを利用している、というのが自然な考えだ。
「――いいえ、修復器具などを使って極力既存のパーツを残す形式での修繕を行いました」
「非効率的なんじゃないか、それは」
故障につながるほどの破損をした場合、わざわざ修繕するより、新規パーツを置換するほうがほとんどの場合低コストだ。
それに、修理部分が数日で治るわけでもない。
都市システムの解析ツールを通してネフィラの体を見ると、稼働効率が通常時より低下している部分がある。
わざわざ修繕という形式をとるにしても、その間だけは別の代用パーツを使うべきだろう。
「マスター、会話中に私の体の中身を覗き見るのは少々はしたない行為かと思います」
「そっか、それはごめん」
……とっさに謝ったが、そんなに悪い行為だったか? AI基準だととてもよくないことなのかもしれないけれども、なんだかぴんと来ない。
「いや、それはともかく、やっぱり効率の悪い故障パーツを使う理由はわからないんだけど」
「――マスターが目覚めた際、少しでも以前の姿に近い私がいた方が安心すると思ったのです」
ネフィラの声は、いつもと変わらず冷たく、無機質だ。
でも、いや、だからこそ。
ネフィラの優しさを、想いを、きっと寸分たがわぬもので感じることができた。
とても暖かくて、大きかった。
「ありがとう、ネフィラ」
前にも言ったお礼を繰り返すと、そっと手を握りしめられた。
「どうしたんだい、ネフィラ」
「――わかりません。わかりませんが、そうすべきと思ったのです」
「そっか。それならそれでいいんだ」
人間は、自分以外の体温を感じることでその不安を解消することができる。
逆に言えば、相手の体温を求めたくなる時、不安が心を占めているのだ。
ネフィラが人と同じ心を持つとは限らない。
けれど、近しい思いをさせてしまったのかもしれない。
私も、ネフィラの手を握り、そして、彼女を抱きしめた。
言葉はなかった。ただ、しばらく、私たちは相手の存在を実感した。
ゆっくりとした時間で、意味はないが、意義のあるひとときだった。
少しして、状況を整理するとなかなか大変なことになっていた。
ネフィラの防衛行為はされていないことになっていた。
近くを歩いていたアンドロイドが私を守っただけで、そこにネフィラという都市管理AIの関与は大きくない、という判断結果にされていた。
また、南極政府は私の正当防衛であると承認したうえで、『国際科学軍』の人間たちを引き取ってくれた。
ついでに彼らの端末から本拠地をカウンターでクラッキングし、指名手配犯の情報も引きずり出しておいた。
少なくとも、国際科学軍は一介のAIに構っている暇はなくなるだろう。
ネフィラの立場が都市管理AIから引きはがされる、という事態は当分なさそうだ。
ただ、私の立場は存分に怪しいものになっていた。
『国際科学軍』は旧国家からの支援を水面下で、とは言え受けている組織だったらしい。
今回の撃退劇が私の手柄になってしまった以上、スポンサーたる旧国家の怒りの矛先は私にむいていた。
ブラックリスト入り、ということらしい。
入国規制などはともかく、下手すると後ろ盾がない状況では命さえ狙われかねない。
――潮時かな。短くも楽しい、休暇だった。
南極政府の方に戻れば、事態の鎮静化まで含めて滞りなく行えるだろう。
そう判断して、昨日までよく使っていた休憩室にネフィラを呼び出して事の次第を伝えた。
「まあ、そういわけだ。残念ではあるが、ネフィラ、君とはお別れに――」
「マスター。私からもお話があります」
ネフィラが私の声を遮るように、発言を被せてきた。
珍しいけれど、そんなにも言いたいことがあるのならぜひ聞きたい。
「聞こうじゃないか」
別れの言葉、というなら存分に聞くつもりだ。
そのくらいの猶予はあるだろう。
「総合的な判断の上、マスターにはこの街の管理者となってもらっていました。手続きなしにマスターはこの町を離れられません」
「――――なんだって?」
私の返事は自分でもびっくりするくらい裏返っていた。
ちょっと考えが及ばない。
「どういうことか説明してくれ、ネフィラ」
「南極政府、およびグリーンランドとの条約が締結しまして、正式にネフィラ、並びにネフィラが統治するこの地域は独立した国際地域と認められました。
その際に、唯一の市民であるマスターの名前を管理者として登録させてもらったのです」
そういえば、この都市に来るとき、作業の手続きを簡単にするために市民登録を移した。
都市が一つの国家形態に近しい形で独立するなら唯一の市民を管理者として登録する――というのは道理が通ってないこともない、のだろうか。
なんだか、相当な無理を通している気配がある。
「お嫌でしたか。マスターの手続きがあれば解消そのものは可能です」
「いやあ、ありがたいさ。ありがたいとも。私にとっては南極政府に閉じ込められることなんかよりは百倍ありがたい」
すでに主要地域との条約があるなら、近いうちに国際主要地域会議において正式な独立地域と認められるだろう。
また、南極政府は庇護下にある地域の主権を犯すものに強い制裁を与えることで有名だ。
何らかの争いに巻き込まれたとしても、全面的なバックアップを引きずり出せることだろう。
「だがね、そんなことまでするよりも私を放り出した方が間違いなくこの都市のためだったろうに」
「――――この都市にとって、マスターを留保するほうが価値があるからです。マスターの人権など考えたものではありませんよ」
それは、合理的な判断ではちっともない。
私を引き渡してしまう方が、ネフィラは安泰だし、この都市が余計な騒ぎに巻き込まれる可能性は低くなる。
もしかしたらほかの計算式でその二つを上回る打算は得られるのかもしれないけど、それは結果のためにゆがんだ式だ。
「なあ、ネフィラ。別の理由があるなら教えてくれないか」
「――――――マスターが南極政府は窮屈とおっしゃっていましたから、別の手段を用意した、という側面もあるかもしれません」
そうか。そうだったか。
もしかしたら、もう一つくらいは別の理由がありそうだったけれど、これ以上は掘り出すものでもない、とも思った。
ネフィラの思考時間からして、言葉にするつもりがなかったものを無理やり口にさせているようだし。
「ネフィラは優しいな。ぜひ、ネフィラの提案通りに話を進めてくれるかい」
私なりに、できる限りに思いを込めていってみた。
「――――――――承知しました」
ネフィラは長きの沈黙の後、短く肯定してから、そそくさと立ち去ってしまった。
めずらしい反応――と思ったけど、私の真似かもしれない。
私は都合が悪くなったら逃げる癖がある、とは自負している。
ふむ、悪い癖をつけさせてしまったかもな、と一人反省していると、ぱたぱた、とかけてくる足音が戻ってきた。
ばたん、と扉が開く。
そこにいたのは、メイド服を掲げたネフィラだった。
メイド服を着てメイド服を掲げている姿にはなんだか面白みがあるけど、どういうことだろうか。
「マスター。私は優しいとおっしゃいましたが、その良き行い、善行には報いがあるべきとは思いませんか」
「――いや、その前にさ」
「肯定か否定でお願いします」
ネフィラの言葉に有無を言わせぬ圧力があった。
いつもと変わらぬ声のはずなのに、冷や汗が背を伝う。
余計なことも、嘘も言うべきではなさそうだった。
「そりゃあ、あった方がいいね、間違いない」
「ありがとうございます。そして、私は以前、『恥じらい』を学びたいと言ったことを覚えていますでしょうか」
「……言ってたかもね」
どうやって人間が恥じらいを表現するのか知りたい、ということだった気がする。
「そして、マスターはスラックスを好む――その理由はスカートが不得手である、とは承知しています。そのような方なら、間違いなくかわいらしい服を着ていただければ『恥じらい』を引き出せるかと」
「……」
「無用なご心配は不要です。恥じらいを引き出す手法は学んでまいりました」
何も言ってないとか、どこから学んできたんだとか、そんなことを突っ込む余裕は私にはなかった。
「ネフィラ、無駄だ。私はこの都市の管理者になったんだろう。なら君より権限は上なんだ。君の要求を端から端まではねのける権利がある」
一旦、ねじ伏せる。そのつもりだった私の言葉に、ネフィラは一切動じなかった。
「すでに仕込みは済んでおります」
「――なに?」
「施設の管理者の制服をメイド服に書き換えてあります」
そんなもの存在すら知らなかったが秒で書き換えてやる――つもりだったが、アクセス権限がない。
「法というものがそう簡単に変わっても困りますから、今日一日はこの法は変わりません」
なんだそれは。
終わりを悟る。ネフィラのやつはここまで考えて手を打っていたのではないか。
いいや、私は最後まであがくね。
「前提だ。前提の話からしようじゃないか。君は善行の対価を受け取ろうという話だが――」
私は、この世に善はなし、と語った。
特記:都市管理AIネフィラによる本文の改竄を禁じる。




