10_無価値の証明_無意味な証明
はあ、と大きく息をつく。
六人を撃退した。
相手は別に潜入のプロというわけでもない。
相互連絡も積極的ではなかったようで私が相手の仲間たちを倒していることも気づいたいなかったようだった。
見つけさえすれば一人ひとり潰していくのは難しくはなかった。
――だが、最後の一人が見つからない。
隠れ潜むなら構わない。防衛システムの逆ハッキングさえ完了すれば、一人相手ならネフィラに気づかれる前に事を終えることも可能だろう。
そう、見つけさえすれば。
だが、見つからない。
おかしな話だった。たとえ消極的であっても協力関係にあるなら彼らの相互座標は推測できる範疇にあるはず。
だが、ここまでの調査で最後の一人の足取りがつかめない。
なぜか。
――一つの仮説として、その一人は『彼ら』の味方ではないのではないか。私が『彼ら』を倒し切るのを待っていたのではないか。
私の思考を裏付けるように、聞こえるような距離で足音が響いてきた。
「よう、博士。図分暴れたじゃねえか」
耳に入ってきたのは、この数週間聞いてきた清らかな声とは程遠い、耳障りな声だった。
――どうやら、気づかれていたらしい。
そして、今までのすべての攻撃手法は不意打ちだから成功したもの。
私が見つかっては勝ち目はない。
まっとうに勝ち目を作り出せる防衛システムのハッキングはいまだ進行度30パーセント程度。
敵に悪用させないことは可能だが、こちらがうまく使えるものもない。
時間稼ぎが唯一の目だろうか。
「聞こえないのか? ノーベル賞最後の受賞者であり、創設者と同じ名前でもあるノーベル博士って呼んでやった方がいいか」
「つまらないほうの名前で呼んでくれるじゃないか」
しかも、捨てた名前だった。
今の私がもつ戸籍も免許も資格も、ノーベルの文字は含まれていない。
つまらない些事に巻き込まれたくないから捨てた名前を、この男は掘り起こしてでも私にあいたかったらしい。
背を向けようが、敵の位置は認知できているし、私にとってはあまり差はない。だが、うっとおしく呼びかけられているのは面倒だ。
しぶしぶ振り返ると、覚えのない太った男が銃を構えていた。
どうにも下賤な笑い方をしているもので、思わず鼻で笑ってしまった。
私を相手に銃を向けて一方的に優位に立っていることがそんなにうれしいのか。
まあ、ハンドガンサイズとはいえ、近代形式のレーザーガンであれば私なんて一発で消し飛ばせるだろう。
どこで手に入れたんだか。個人で所持することはほぼ不可能なはずだが。
――そんな武力がないと私に優位に立った気分にもなれないことに、みじめさはないものだろうか。
「なら、どうしてそんなつまらない名前を自分の発見した単位の名前にしたんだ」
男の疑問に、古い記憶を掘り起こしてやる。
大した理由ではなかった。
「界隈の習わしってやつらしいから一応私のミドルネームを単位にしたってだけさ」
ああ、実に詰まらない会話だ、と心の隙間を風が通る感覚とともに自嘲する。
私は、天才の煮凝りとしてのデザインも求めて作られた。
私に組み込まれた遺伝子は無数の天才から抽出されたもので、名前にもその遺伝子を冠することを義務付けられた。
たった一つの私に対してつけられた名前の後に、天才の名前が二十七個つけられた。
すべては科学の発展を願ってのことだったらしい。
結果は、二つの意味で散々だった。
一つ目は、並行した研究成果で遺伝子改造よりも赤子時代から思春期に上るまでに与えられた環境による影響がIQや知的好奇心への影響が大きいことが判明した。
私よりもさらに天才に近づけるべく遺伝子改造された男がいたらしいが、彼は何の結果も残せなかったことが決定打となったらしい。
そして二つ目が、私自身は人類が積み上げてきた科学の賞を破壊することになってしまう、という結末を生み出した。
――私が頑張れば頑張るほど、私を生み出した理由からは遠ざかっていったのだ。
男は歯を見せて、イラつきをあらわにする。
「ふざけやがって、お前がつまらない研究といった代物でどれだけの人生が無駄になったと思ってる」
男のつまらない話は少し続いた。
『彼ら』は私のライバル――だったらしい。
テーマが同じだった、と言われても私に全く覚えはない。
時間流というテーマは当時の学者たちは皆がこぞって研究していたものでしかなかった。
目の付け所がいい、と思った人間の論文は目を通していたし、研究室まで尋ねたりコンタクトをとっていたこともあった。
目の前の男はその中に含まれてはいない。
今日、私がここまで倒してきた人間たちの中にも、目を見張るほどの研究成果を出している人間は見たことがない。
――つまり、元から論外だったということだ。私の研究など、ただのトドメに過ぎなかった。
それを語ってどうにもなるものか。
「お前のせいだよ。お前のせいで未来有望な研究者たちは道を捨て、心を捨て、果てには命まで捨てたんだ。お前のせいなんだ」
正義を語る男はそれはそれは気持ちよさそうだ。
――未来有望な若者たちの死を切って捨てられるなら、苦労はない。
「そうだな。夢から目覚めさせる装置なんて作るべきではなかったかもしれないな」
それは、私の罪ではあるだろう。
元は私なりの正義のつもりだった。
意味のない研究に縋るべきではない、というコンセプトを、時代への貢献度を図る定規という形であらわにした。
その影響など、ただの一つも気にしていなかった。
いや。わかってはいた。自分の研究がどれだけ価値が低いか気づいてしまう人間の中には、研究を生業にすることをやめる人間もいるとは思っていた。
ただ、それは夢から目覚める程度の作用だと思っていた。
まさか、現実を否定する人間ばかりとは思っていなかった。
わたしは、どれだけ短い道のりでもそこに価値がある、と認めたかっただけなのに。
そのギャップを理解できていなかった私を、糾弾する権利は社会にはあるかもしれない。
「そうだ、お前が悪いんだよ、全部。違うか!」
――だが、目の前の男に言われることではない。
私にとって、悲しい日々を思い出すものではあっても、目の前の男の怒りに感化されるようなものではない。
「それで、君の基準で私が悪かったところで、だ。君に何の権利があるんだ」
法で裁くなら裁けばいい。それができなかったから、ここにいるのかもしれないが。
「――罪悪感もねえのかよ」
あったとも。
直接的な影響を与えてしまった研究室には謝罪にも行ったし、できる限りの保証と手伝いはした。
南極政府の技術顧問として認可されて以来、時間流の技術を利用したプロジェクトにはできる限り顔を出してできる限りのアドバイスをしてきた。
――それは、多くのプロジェクトを不可能だと否定し続ける作業だった。
また、研究者としては私自身これ以上の研究を続けても成果を出せる気がしないのもあり、AIエンジニアとして社会に貢献できる道も同時に歩むようになった。
――それは、人間による作業を多く奪う結果になった。
できる限り、社会への貢献はしてきたつもりだった。
――けれど、そのたびに人の営みを奪っていったものばかりだった。正しいことをしていたつもりだったのに。
それは、心がすり減っていく日常だった。
――誰からの感謝もそこにはなく、ただ失敗を遠ざけ続けるばかり。
希薄な人間関係のすえ、自分にどれだけの価値があるのかわからない毎日だった。
「私の心の何を知っているんだ、君は」
ああ、君の過去は相応に重いのかもしれない。
だが、私の過去を知りえない相手からの罵詈雑言など、それこそ、価値を感じなかった。
私の対応が芳しくなかったせいか、男の論調は矛先を変えてきた。
「AIとの会話で心の隙間を埋めようなんてずいぶんかわいそうなことをしているなあ、博士よ」
「そのネフィラを求めてここに来たんじゃないのか、君たちは」
「はん、他のやつらの話さ。俺にはどうでもいい話だったよ」
どうやら、最初に話した男の見解を彼らは共有しているわけではなかったようだ。
独力で第二シンギュラリティを超えているかもしれないネフィラの価値もわからないのか。
そう返したくなったが、やめた。
ネフィラの価値をこのような男に公開しては、ネフィラの安寧が遠ざかる。むやみにひけらかされかねない。
少なくとも、ネフィラの意思を尊重させながらその価値を社会に公表すべきだ。
――本当にそう思っているのだろうか。これもまた、私のエゴに過ぎない、ただの独占欲なのではないか。
自信はない。ただ、私のつまらないプライドなどに従ってネフィラの価値をひけらかすつもりはなかった。
私の考えなどそしらぬように、男の声にはいら立ちが入り混じっていく。
「お前のせいだぞ。この俺が発見したものがことごとく、世界では価値がないと言われ続けるんだ。このみじめさがわかるか」
――視界の端のハッキング状況を確認する。先ほどとほぼ変わらず、三十三パーセント。多少時間を稼ごうが、防衛システムを使ってあの男を倒すのは不可能。
少しだけ考えて、第二プランへ移行することにした。
「知らないけど。研究者であり続けたいならそれでも研究を続ければよかっただろう」
そのついでに、うっとおしく聞こえてきた言葉に反論しておいた。
私が一線を退いてからも、研究者が消えたわけではない。
人間の発明は偉大な賞を受けるほどの価値がないとわかっただけで、日々の生活に貢献する必要な研鑽ではあるのだ。
希薄ではあっても、無ではない。
この百年の研究において、AIによる成果が九割を占めるものの、一割は人間がいなければ発見されなかったであろうものばかり。
発明、そして研究という分野において、人間の価値は低くなっただけで、無には帰していない。
凡庸であることを受け入れるなら、研究者の肩書を捨てずともよかったのだ。
「ちょっと安くなったからと言って自分のプライド惜しさに価値を捨てたのは君だ、愚かな研究者崩れ君」
男の目が大きく開かれたとき、私は第二プランの成功を確信した。
「ふざけるなよ、クソが!」
男の怒号とともに、轟音が響く。
そして、腹の半分くらいがなくなってしまったような痛みが襲ってきた。
「――――はぁ、が、ああ、」
痛い、という意味だけが私の脳髄を支配する。
声にならないうめきをあげて、思わずうずくまる。
視界の下の方に、どくどくと血があふれ出るのが見える。
ちかちかと視界が瞬く。倒れてないのが奇跡。だが持たない。立ち上がる代わりに、血だまりに手をつくことしかできない。
目の前の男をにらむことすらできなくて、視界には赤い血だまりしか入らない。
「は、ずいぶん愉快なざまになったじゃあねえか劣等種!」
「――――ああ、なんだって?」
「てめえの出生なんて調べがついてんのさ。お前の生まれは人間以下の実験動物。人として当然の機能を持って生まれられなかった、劣等種だっつってんだよ!」
血が抜けてきたせいか、一周回って思考だけは回りだしてきた。
おかげで、男の声はよく聞こえた。チープだが、正鵠を射ているな、とも思った。
出自の話はまあ、どうでもよかった。劣等種という表現も気にしたことはない。
ただ、人として当然の機能を持って生まれなかった、というのは――私の人生の総括なのかもしれない。
私の積み上げた研究と研鑽した技術のすべては、他の誰かを否定するものしか生み出せなかった。
その始まりにして集大成が、他の研究すべてを否定しかねない、研究の価値をつまびらかにしてしまうタイム・スケール。
人を否定し続けるしかできなかった私の最後が、私がかけらも気にしていなかった男の逆上によって、というのはいっそ納得がいく。
そんなことより、もっとも嫌だったことはこの男に、ネフィラか、あるいはこの街を乗っ取られてしまうことだった。
――この場所で私の腹に穴を開けさせた時点で、その妨害は完遂できる。
第二プランとは、敵を国際的などの法律でも検挙できる犯罪者に仕立て上げ、排斥すること。
あの男が私を銃撃した現場は録画済み、改竄のしようもない方法で南極政府に届けられる予定だ。
私がどうなろうと、少なくともこの場に乗り込んできた人間たちを逮捕する要件は十二分にそろっている。
ほかの国際科学軍の口ぶりからして、ネフィラの価値を知る人間は少ない。
彼らが持つネフィラの情報は今も続くハッキングですべて消去できる。
いくつかの懸念はあるけど、その対策もネフィラには届けられる。
この方法なら、たぶん。彼らは牢へ。そして、ネフィラの心が奪われることもないはずだ。
それだけでも、私の存在意義はあった、とは思う。
――――ああ、でも。言われっぱなしはむかつくな。
劣等種がどうこう、だったか。時代遅れの罵倒だった気がする。
そういう罵倒に、こういう返しが「効く」のは考えなくてもわかった。
最後に顔を上げて、精いっぱい笑いながら男を見ながら言ってやる。
「自己紹介、どうもありがとう」
視界も定まらないから、顔も見えやしない。男がどれだけ怒ってるかなんてわかりはしない。
まあ、死ぬ直前に無様な顔なんて眼に刻みたくもなかったからちょうどいいか。
「消えな、劣等種!」
分かったのは、男の怒号と、銃口らしきものの輝き。
私という命が、あっけなく消える前兆なのは理解した。
体が焼け落ちる光が瞬く。
――死が私に到達するより先に、私に影が覆いかぶさった。
「いけませんよ、マスター」
聞き覚えのある、凛々しい声が私に耳に届いた。
顔を上げて、声の主を見る。
「――ネフィラ?」
メイド服のアンドロイドが私の前に立っている。
銃弾を受けて、ネフィラの体はボロボロと焼け崩れるのに、私と違って痛みを感じる様子はない。
アンドロイドの体だから、というのはわかる。
「……どうして」
どうして、私の前に現れて、私を守ってくれているのか。
「先に敵を排除します」
私の疑問に答える前に、ネフィラの体躯は空を舞い、くるんと翻すだけの一瞬の動作で男をねじ伏せた。
問答をするしかできない私と比べて、ネフィラは一瞬で問題を解決してしまった。
――かっこいいなあ、まったく。
声は出なくて、代わりに倒れるしかできなかった。
「マスター!」
ネフィラが、私の体に寄り添ってくれる。
「応急処置をします、じっとしてください」
ネフィラはAIで焦るはずもないのに、その口調が早口に聞こえる。
たぶん、私の意識がもうろうとして、いるだけなのだけど。
もしネフィラが私を心配してくれているなら、うれしかった。
「どうして、ネフィラが、ここに?」
「マスターがどこにも見つからず、かつ機能するはずの防衛システムが私の管理課から離れていたので何か異常があったのか、と探しにまいったのです」
そうか。ダミーすらおいてなかったのか、私は。
そりゃあ気づかれもする。
「どうして、私を助けてくれたの」
「マスターを守るのがメイドの役目ですから」
「君たちは、人間の価値に差をつけないはず、だろう」
命令をすれば、私の見方をしてくれたかもしれないけれど。
今回、私はネフィラに何も言っていない。
なら、侵入者も私も、都市管理AIにとって等価であるはずなのに。
「そんなこともわからないのですか、マスター」
そんなに自明だろうか。私にはわからない。
「あなたは、私を必要としてくれたではありませんか」
「――そっか」
とんでもなく納得した。
だって、私もそうだったんだから。
互いに必要なら、それ以上の理由はいらないじゃないか。
それでも、もっと、もっと言葉を尽くしたい。
でも、声が出ない。
どろり、と体から何かがあふれ出る感触がする。血ではない、もっと重たい何か。
痛くはない。もう、そんな体力もないみたい。
声が遠い。ネフィラが何か言ってくれてるみたいなのに。
最後に、言っておかないと。
「ありがとう、ネフィラ」
かのじょのかおも、もうみえないけれど、わらってくれたらいいな。