8_役割_裏切り
私がこの都市のメンテナンスを終えて何度目かの、緩やかな休憩時間。
「マスターは、なぜこのような地方都市のメンテナンスなんてするのですか」
ネフィラは私に、改まった質問をしてきた。
「ずいぶん自分の都市の価値を軽く見るじゃないか」
「客観的な評価です。この都市が世界的に見て上位一万位にすら入ることはないでしょう」
ネフィラの言葉は正しい。
都市の評価基準は様々あるだろうが、どうあれ、数値的に評価できる基準において、この都市が上位に数えられることは決してないだろう。
人が住まなくなったのが大きな要因でもあるし、他の大都市から物理的に遠くもある。
数ある日本だった場所の、地方都市の一つに過ぎない。
「ま、南極政府にいると私は窮屈だったからね」
「旅行、というだけなら選択肢はいくらでもありそうですが」
「この都市だってメンテナンスが必要だろ?」
私は用意しておいた答えを返す。
ネフィラはこちらをじっと見つめる。まるで私の奥底まで見透かすような目で。
「私たちには必要ですが、マスターには不要ではありませんか」
「ちゃんと理由はあるよ。ここは今は使われてない都市でも、いつか人類がほかの都市を放棄せざるを得なくなった時のために使うシェルターだ。ちゃんと誰かが管理しないとね」
真っ当な理由のつもりだったが、ネフィラにはそう聞こえなかったらしい。
「マスターの人となりはこの数週間である程度把握しています。少なくとも、マスターがそのような理由を良しとする人格には見えません」
「言うね。こう見えてもちゃんと世のため人のために生きようとしてる人間なんだけどな」
少なくとも、面と向かって性格が悪いとまで言われたことはない。
「マスターのメンテナンスにおいて、軽度の障害を放置するところを何度も見ました」
ネフィラの声は少しばかり冷たい気がした。
なんて目ざといのか。
まあ、私のコンソールのログはいつでもたどれるから当然と言えば当然なのか。
「……いいんだよ、現状のリソースで多少のセキュリティシステムなんかによりは生産工程の方が百倍も重要なんだし、後回しで直せばいいんだ、文句あるかい」
「マスターの手法に異論があるとは言っていません。ただ、ご自身の部屋の鍵すら直さない人間が人類の第八段階予備シェルターなどを直しに来るとも思えなかったのです」
放棄された都市の予備シェルターとしての運用には段階が存在する。
段階が進めば進むほど非常用という意味合いが強く、つまりは使用頻度が少ないことを想定されている。
自治体による避難コードにはせいぜい第三段階予備シェルターまでの避難しか想定されていない。
国家による避難命令も第五段階程度。
第八段階、というのは放棄された都市が増えるたびに格下げされた証で、つまるところこの都市が避難シェルターになる可能性はほぼない。
「……賢いね、ネフィラは」
「マスターの素性にも調べをつけています。ここへは無給できていることも」
ここに来たのは仕事の合間に余裕があったから、休暇ついでに訪ねただけ。
一応、暖かい部屋で眠れる権利のために働いてるとは言えなくはないけど、この都市を訪ねる理由にも、ましてこの都市で働く理由にもならない。
「もう一度聞かせてください。私たちにとってマスターの管理は必要ですが、マスター個人にとって私たちを管理することは必要なのですか」
取り調べでも受けてるような問い。
無機質な声に変わりはない。
ただの気まぐれだ、と答えてもよかった。
ただ、切実な思いを幻視して、私なりに答えを絞り出す。
「……私にも必要なんだ。雨宿りみたいなものだよ」
私は実感が欲しかった。役割が欲しかった。
誰かのために尽くしているのだ、という確信。
私が必要なのだ、という驕りを持ちたかった。
だが、そんな枠は人類にはもうない。
だから、その外側に求めた。
私は、生まれることが最大の役割だった。
人類は衰退の最中に、また一つの発明をした。
意図的に人間の雌雄同体を作り出す発明だ。
人間の生殖能力が下がっているのは肉体的な性別にとらわれるからで、その両方を持つ人類になれば相手をより見つけやすくなるだろう、という考えだったそうだ。
この研究が通った理由には「平等」の名のもとに、男女の格差をなくそう、というスローガンも含まれていたと聞いた。
生まれてくる子供が持つ苦悩など考えず、人間の設計図に軽々しく手を差し込む外道だった。
倫理観、というものが破綻しつつある人間たちが手を出した手段は成功し、雌雄同体に近しい人間の作成に成功した。
それは、雄でも雌でもない人間だった。
そう。生まれたのは雌雄同体ではなく、性別を持たない人間だった。
――研究は失敗だった。
正確には、試行錯誤を続ければ雌雄同体は可能ではあるかもしれないとはされた。
これほどの費用をかけるなら人工授精でも、あるいは性転換手術でもよいだろう、と結論が出た。
コストに見合わないから、これ以上の研究は意味がない。
それが、私を生み出した研究の結論だった。
私は、生まれてきた意味はあった。けれど、生きていく意味はなかった。
この人生の先に、私の遺伝子は残らない。
私に、意味はないんじゃないか。
心の奥で、ずっと、ずっと、抱えている。
ずっと、無意味でできた雨にさらされていた。
その無意味さから目をそらすために、何でもいいから何か意味がある、誰かの役に立つことがしたかった。
「この街のメンテナンスをかって出たのは、私のつまらないエゴなんだよ」
そして、これから行うことも私のエゴだ。私のエゴのために、君との日常をいけにえにする。
「すまない、少し休ませてもらうよ」
ネフィラとの通信は解除した。
私の行動はネフィラに気取られない。
何をしてもばれない、都市管理AIの裏側で私は端末を操作する。
つい先日、コンタクトを取ろうとした、この街へハッキングを仕掛けようとした存在と接触するために。
――彼らの存在は、すでに迫っていた。もう、都市へ侵入している。
私は彼らにコメントを流す。
『歓迎します』
その短い言葉に嘘偽りはなかった。
私は、生きていく意義を見つけるために放浪して、そしてこの都市を訪れただけ。
誰かに認められるならそれでいい。その存在に善悪は問わない。
――彼らが私を認めるなら、それまでのすべてを裏切る用意もあるつもりだ。