義妹の秘密
ーーカイナと初めて会ったあの日から二週間が経過した。
「うーん…ここをもう少しこうして…」
私は必死にハンカチに刺繍をしていた。
手先の器用なサンドレアお姉様とは違い、私は不器用な方だったので裁縫が苦手だった。
習い事もしているけどいつも出来栄えはまずまずといったところ。
だから自分から率先として裁縫をすることは今まで無かったけど、カイナと会う口実として刺繍したハンカチをプレゼントしてみるのは良いのではないかと思い付いてしまった。
それから必死に毎日チクチクと刺繍をしていて、ようやく完成が見えてきた頃だ。
「……よし、こんな感じかな!」
ああでもないこうでもないと悪戦苦闘しながら何とかハンカチの刺繍をし終える。
カイナのイメージに合うようなものを色々と考えて、うさぎとバラを刺繍してみた。
少し不格好だけど今までの作品の中では一番良い仕上がりだと思う。
後は刺繍し終えたハンカチをプレゼント用にラッピングするだけ。
「♪~♪~♪~」
鼻唄を歌いながらラッピングのリボンを選んでいるとノック音が響いた。
「失礼いたします」
「あ、ラズ。丁度良いところに来てくれたわ」
「どうかなさいましたか?」
「この前話した計画通り、明日またカイナさんのお屋敷に遊びに行こうと思っているの」
「かしこまりました。では馬車の手配をしておきます」
「ええ、お願いね」
このハンカチの刺繍を始めた頃にラズには『またカイナの屋敷に遊びに行きたい』と伝えてある。
そしてカイナとも問題なく会うためにも、あの日からお父様の同行チェックをするようになった。
お母様が亡くなってからお父様はすっかり人が変わったように、愛人であるカイナの母親と密会しているようだった。
愛人と会っていることは一部の人以外気付いていないだろうけど、毎回仕事以外でどこかに行っていることは公爵家の人々、サンドレアお姉様も気付いている。
お父様の動向チェックするようになってから、ラズにお父様がどこに行っているのかをさりげなく御者に探ってもらうようお願いしている。
探ってもらった結果、お父様はカイナ達の屋敷とはまた別の屋敷に女性と共に通っているとのこと。
きっとその女性は愛人であるカイナの母親のことなのだろうけど、わざわざカイナ達の屋敷とは別の屋敷に行っていることに疑問を覚える。
その屋敷がどこかはラズも御者から聞き出すことはできなかったようだけど、ラズは今後も探ってくれると言ってくれていた。
お父様とカイナの母親の動向については気になることも多いけど、とりあえずはお父様が不在の時にカイナの屋敷に行けば、カイナの母親とも鉢合わせすることが無いということが分かった。
そして明日こそがその"お父様とカイナの母親の密会の日"だと言う。
ラズが御者から確認を取ってくれているので間違いない。
その話を聞いてすぐにラズにはその密会日にカイナの屋敷に行くという計画を話した。
お父様やカイナの母親にバレては困るから、カイナ本人に遊びに行っても良いかという連絡ができないことが少し不安だけど。
《会う口実として刺繍したハンカチもあるしオススメのお菓子も持っていくからきっと会ってくれる……よね?》
ーー翌日。
お父様はラズの報告通りに午前中から外出して行った。
私は午前中は勉強をして過ごし、前回と同じように昼食後に出発することになっている。
昼食を済ませて少し休んだ後、あまり目立たないようになるべく落ち着いた外出用のワンピースを選んで着替えた。
「ハルミアお嬢様。馬車のご用意ができました」
「ありがとう」
ーー私とラズはまた前回と同じように馬車に乗ってカイナ達の屋敷へ向かった。
屋敷から少し離れた位置で馬車を停めてもらい、そこからは二人で屋敷まで歩いていく。
庭園の綺麗な白い屋敷まで辿り着き、使用人かあわよくばカイナに門を開けてもらおうと思い、見渡したけど誰かが居る気配が無い。
「呼び鈴を鳴らしましょうか」
「うーん…そうね……」
ラズが門の呼び鈴を鳴らそうとした瞬間……
「……ぅっ……っぐす……」
「ラズ、ちょっと待って」
どこからかすすり泣くような声が聞こえた気がした。
声の聞こえた方を探りながらそちらの方へ歩いて行くと段々と声がはっきりと聞こえてくるようになった。
「……ぅう……ぐすっ……」
「カイナさん?」
「…………え……?」
《ーーあの泣き声の正体はやっぱりカイナだったんだ》
声の聞こえる方へラズと歩いて行った先はどうやら屋敷の裏庭へと通じる裏門の方だった。
そしてうずくまって泣いていたのがカイナであり、私が門越しに声を掛けると、カイナは顔を上げた。
その顔は驚いていて、でもどこか悲し気に涙を流していた。
「…ど……どうして……」
「カイナさんに会いに来たのよ。前に約束したでしょう?」
「…!」
「良ければ何があったのかを聞かせてくれないかしら?」
「……」
なるべく安心させるために微笑みを保ちながら声を掛けると、私の顔を見つめながらカイナは少し考え込む。
数秒間考え込んだカイナは涙を脱ぐって門を開けてくれた。
「ありがとう」
「……」
「カイナさんにお菓子とプレゼントを持ってきたの。お菓子を食べながらお話ししましょう」
「えっ……わたしに……?」
「ええ」
驚くカイナに笑いかけ、ラズが地面に敷いてくれたシートの上に持ってきたお菓子を並べる。
「このマフィンとクッキーはとても美味しいのよ」
魔法によって温度が保てる水筒にアイスティーを入れて持ってきていたので、カップに注いでカイナに手渡した。
「はい、どうぞ。アイスティーよ」
「……ありがとう…ございます…」
私からカップを受け取ると恐る恐る飲み始めた。
アイスティーを飲んだカイナは目を丸くして、美味しかったのかゴクゴクとあっという間に飲み干す。
「美味しい?おかわりもあるから欲しかったら言ってちょうだいね」
「……とてもおいしいです…」
先ほどまで泣いていたカイナだったけど、アイスティーを飲んだら少し気持ちが落ち着いたようで良かった。
「……ところで、さっきはどうして泣いていたの?しかもこんなところで…」
「……それは……」
言いにくいことなのか、言おうかどうか悩んでいるようで口を開閉して考え込むカイナ。
「どうしても言いたくなかったら無理に言わなくても大丈夫よ」
カイナを安心させたくて優しい声色を心掛けてそう伝えると。
カイナは私の顔を見つめた後、少し俯いて自分のワンピースの裾を握り締めながら小さな声で話し始めた。
「…………まほうが、うまくできなくて……」
「…魔法?」
「……そう、です」
「カイナさんはもう魔法が発現しているの?」
「…はつげん…?」
ーーこの世界では大体10歳頃までには魔法が発現するとされている。
正式に魔力保有量や適正魔法を調べることができる"魔力検査"は満10歳になってから行われる。
《4歳での発現はかなり早い方だと思うけど、カイナはもう既に発現しているということなの?》
「えっと、何て言えば良いかしら……産まれてすぐには魔法は使えないでしょ?でも10歳までの間に魔法が使えるようになるから、カイナさんはそれがもう使えるようになっているということ?」
「……はい、3さいのときからつかえるようになりました」
《3歳!?それは本当に早い…!魔法の発現の平均年齢は8歳頃だと聞いたことがあるし、10歳になってから発現したっていう人も結構居るらしいのに…》
「そうなのね。カイナさんは早かったのね。…それなら『魔法が上手くできない』というのは、魔法のコントロールができないってことかしら?」
魔法が発現しているけど、魔法を使いこなすのには知識や練習が必要だから、それならばカイナの言いたいことも分かる。
「……わたしには"やみまほう"がつかえるはずなのに、うまくできなくて……」
「……そうなのね」
また少し泣きそうな表情でそう呟くように言うカイナ。
《ーー確かに小説でのカイナは闇属性の魔法が扱えていたし、"魅了魔法"という禁忌魔法も闇魔法の派生だと、あの小説に書いてあったな》
その闇魔法を扱いたいとなると、かなりの勉強と練習の積み重ねが必要になってくるはず。
小説でのサンドレアお姉様もたくさん努力をしたことで質の高い闇魔法を扱えるようになっていたみたいだったし。
《でもいくら魔法を発現したからと言ってこんな幼い頃から闇魔法を上手く扱う必要があるの?少なくとも今のカイナにはあまり必要がないように思えるけど……》
「カイナさんはどうしてそんなに闇魔法が上手くできるようになりたいの?」
私がそう尋ねてみると、カイナは困ったような、悲しそうな顔をしてまた俯きながら答える。
「…………おかあさまによろこんでもらいたくて……」
「お母様に?」
「……はい」
「その闇魔法が上手く使えるようになれば、カイナさんのお母様が喜んでくれるということ?」
「……はい」
ーー闇魔法は光魔法と並ぶ、二大属性魔法。
この二大属性の魔法は誰もが魔法を使えるこの国でも珍しい属性の魔法で、闇魔法や光魔法を持つ者はこの国では重宝される。
だからこそ普通に考えれば『闇魔法を上手く使えるようになってほしい』という親の気持ちは当然のことだし、そこに何ら疑問もない。
でも引っ掛かるのは今のカイナの年齢だ。普通の親ならこんなに幼い内から闇魔法を上手く使いこなせるように練習させるだろうか。
《闇魔法なんて扱えると分かっただけで、満10歳になるまでは周囲からチヤホヤされるくらいのものだし、幼い内はまだ上手く使いこなせなくても当然なのに…》
そしてもう一つ引っ掛かることがある。それは小説でのカイナが扱っていた禁忌魔法の"魅了魔法"やサンドレアお姉様に差し向けた禁忌呪文。
いくら禁忌魔法であっても闇魔法から派生したものだから、相当な知識や修練が必要になるはず。
しかも禁忌魔法なら普通に生きていれば知るはずがないようなもの。
前世の私はあくまでも小説の物語だし何も疑問を持たずに読んでいたけど……
《ーーもしも、あの禁忌魔法はカイナ自らが望んで扱えるようになったものではなく、カイナの母親から命じられて扱えるようになったものだとしたら……?》
思い返せば小説ではあまり出番の少なかったカイナの母親。
カイナの過去についても特に詳細は描かれること無く、カイナの悪業の数々や悲劇的な結末だけが小説では描写されていた。
そして実際に今目の前にいるカイナが母親のために闇魔法を上手く扱えるようになろうとしているということは……
「カイナさんのお母様はどうしてそんなにカイナさんに闇魔法を上手く使えるようになってほしいのかしら?」
「……」
私の疑問に先ほどまではたどたどしくもきちんと答えてくれていたけど、この疑問をぶつけるとカイナは黙り込んでしまった。
「先ほども言ったけど言いにくいことなら答えなくて大丈夫よ。話せることだけ話してもらえれば良いのだから」
「……」
そう声を掛けてみたけど、カイナは口を引き結んだまま俯いている。
そんなカイナの様子を見たラズが気を利かせて「よろしければお菓子も召し上がってください」とカイナにマフィンを差し出した。
カイナはラズから差し出されたマフィンをしばらく見つめていたけど……
途端にまた大きな瞳からボロボロと涙を溢した。
「カイナさん!?ど、どうなされたの!?」
慌てふためく私に反して、ラズはすぐにハンカチを取り出してカイナの目元に優しく当ててあげていた。
「……どうして、」
「え?」
カイナはラズに涙をハンカチで拭いてもらながら小さく呟く。
「どうして、こんなにわたしにやさしくしてくれるのですか……」
「どうしてって…」
《どうしてって言われても…確かにどうしてだろう?義妹だから?悪女にさせないため?ーーどちらもそうだけど今はそうではない気がする。でも強いて言うのなら……》
「カイナさんと初めて会った時に、カイナさんに"優しくしてもらったから"かしら」
「……わたしが、やさしくしたから、ですか…?」
「そうね。それがとても嬉しかったからかもしれない。それにもっとカイナさんと仲良くなりたいと思っているから優しくしたいのよ」
「……」
ーー私なりに一生懸命考えてみた。
でも人に優しくする理由なんてやっぱりシンプルで。
《せっかくこんな素敵な子に出会えたからには仲良くなりたいっていうシンプルな気持ちだ》
「……ぐすっ……うぅ……うわぁあん……!!」
「カイナさん!?大丈夫??」
先ほどまでの堪えるようなすすり泣くようなものではなく、カイナは思い切り声を上げて泣き始めた。
ラズの差し出しているハンカチにどんどん涙が滲んでいく。
「うぅっ……だって……!おかあさまは……わたしが…やみまほうを……ぐすっ……つかえなかったら……みんなから……きらわれるって……!やみまほうを……うまく…できないなら…"いらないこ"だって……いってたのに……!!」
「えっ……?」
泣いて嗚咽を漏らしながらそう話すカイナ。
涙をハンカチで拭うラズと私はカイナの背中を擦りながら思わず顔を見合わせた。
ーー『闇魔法が使えなかったらみんなから嫌われる』
ーー『闇魔法を上手くできないなら"要らない子"』
カイナの口から次から次へと出る言葉はあまりにも悲しくて残酷で。
それも自分の母親から言われ続けてきたのかと思うと、想像しただけで胸が痛くなる。
「……ぐすっ……ごはんも…ちゃんとまほうが……できないと……たべてはダメだって……だから…きょうも…おなかがすいて…やくそうをたべて……」
「ご飯を!?薬草しか食べていないの?それはいけないわ…!…今、お菓子しか無くて申し訳ないけど、マフィンもクッキーも全部食べてちょうだい…!」
《ご飯まで抜かれているなんて……!こんなにまだ幼いのにあまりにも酷すぎる。あの母親は自分の実の娘に虐待までしていたなんて……!》
マフィンを食べやすいように一口サイズにちぎってカイナの口元まで差し出すと、カイナは必死に涙を手で拭ってからようやく口を開けてくれた。
鼻をすすりながらモグモグと一生懸命に咀嚼するカイナに、またアイスティーをカップに注いで差し出す。
泣き続けたこともあって喉が乾いていたようでアイスティーを一気に飲み干すカイナ。
それからはカイナ自らマフィンやクッキーを少しずつ手に取って食べ始めた。
その様子を眺めて少しだけほっと胸を撫で下ろした。
ラズとも顔を見合わせて微笑む。
《ーーたくさんお菓子を持ってきていて良かった。本当ならパンやスープとか好きなだけ食べさせてあげたいけど……お菓子でも良く食べてくれているから少しでもカイナのお腹の足しになれば》
「……おいしい……こんなにおいしいもの……はじめて……です……」
「本当?……喜んでもらえて良かったわ」
美味しそうにお菓子を次々と食べていくカイナ。
この様子だと今までお菓子もきっと食べたことが無かったのだろうと感じる。
《ーー小説のカイナの悪業の数々は本当に全てカイナ自身が計画して引き起こしたものだったのかな……》
カイナのためにアイスティーのおかわりを注ぎながらそんなことをぼんやりと思った。