本の中の世界に転生してしまいました
ーー小説を読み終えた頃にはもうすっかり深夜になっていた。
モヤモヤした気持ちがどうにも拭えなかったけど、眠くなってきたのでとりあえずいい加減就寝することにした。
《私は何だかんだあってもハッピーエンドが好きだから今日買った小説の結末はちょっと微妙だったなぁ…》
小説の結末についてモンモンと考えながらいつの間にか私は眠りに就いていた。
「う~ん……」
窓から差し込む日射しで意識が段々と覚醒していく。
しかし強い眠気から『まだ起きたくない』という気持ちが勝ってゴロゴロと寝返りを打つ。
《ん……?何だかいつものベッドのはずが、やたらと広くて大きくてフカフカなような……》
寝返りを打っても打ってもどこまでもベッドが続いているような感覚さえしてくる。
しかもあまりに寝心地が良すぎるような。
でもいつものベッドと違うような感覚がありつつも、何故だかこの感覚が体に馴染んでいるような気もしている。
《まだ夢うつつな状態だから…?それならこの感覚をもっと味わっていたい……まだアラームも鳴ってないだろうし……》
アラームが鳴るまでそのまま眠り続けようと決めたその直後。
「……様!……ミアお嬢様!」
「……ぅうーん……まだアラーム鳴ってないからぁ……」
心地よい睡眠中に誰かに体を揺すられているような感覚に徐々に意識が覚醒していく。
「……お嬢様!…………ハルミアお嬢様!!」
「んん……まだ寝てたいのに……」
女性の声が段々とはっきりと聞こえてきてようやく少しずつ目を開けてみたところ……
「起きてくださいませ!朝でございます、ハルミアお嬢様!」
「うえええええ!?」
ーーそこには見知らぬ……いや何故だか見覚えがあるような気もするメイド服姿の女性が立っていた。
《だ…だ……誰この人!?》
その女性は日本人とはかけ離れた容姿で。
綺麗な藍色のような髪色と瞳の色。見る角度によっては紫にもようにも見える。
顔立ちは目鼻立ちがとてもくっきりとしている。
《外国人みたいな容姿だけど…それにしたって作り物みたいに顔立ちが綺麗すぎる。こんなに綺麗ではっきりとした不思議な色合いの髪の色と瞳の色。二次元でしか見たことない……》
惚けてメイド服姿の女性を見つめてしまった。そしてハッと我に返った。
《……ていうかそもそもここはどこなの!?》
メイド服の女性に夢中になってしまっていた私は完全に意識が覚醒して、自分が置かれている異常な状況にようやく気が付いた。
驚愕しながら起き上がって周囲を見渡す。
今の私は1Kの間取りの自室とはまるで程遠い広々としすぎた豪華な部屋に居る。
照明も豪華すぎるシャンデリアがぶら下がっているし、あちらこちらに高級そうな家具が置かれている。
そして何よりも驚愕すべきは私が今の今まで寝ていたはずのベッドがいつものシングルベッドからキングサイズ以上の天蓋付きベッドに変わっているということ。
《こんなベッドや部屋はフィクションの世界でしか見たことないはずなのに……!何がどうなってこんなことに……!?》
あまりに驚愕しすぎて言葉を失っていると。
「……お嬢様?……ハルミアお嬢様?どうかなされたのですか?」
私のことを起こしに来たらしい(?)メイド服姿の女性が心配そうな表情で再度声を掛けてきた。
「……??ハルミア??」
《そう言えばさっきから『ハルミアお嬢様』と呼ばれているけど、誰のことなんだろう》
この部屋には私とこのメイド服姿の女性以外は見当たらないし。
メイド服姿の女性が声を掛けているのも明らかに私に対してだろう。
《でも私はそんなオシャレな外国人のような名前ではなく"尾山遥加"という、至って普通な純日本人な名前なんだけど……》
ーーそうは思いながらもどうしてだかその名前が気にかかる。
『ハルミア』
初めて聞いたはずのその名前。
しかし何故だかその名前に聞き馴染みがあるような気もしている。
このベッドといい名前といいメイド服姿の女性といい……全部馴染みの無いものばかりなのに。
でもずっと前から知っているような感覚もどこかにあって。
ふと、自分の手元を見てみると。
とても真っ白で細い腕に驚愕する。
《何この綺麗すぎる毛穴一つ無い色白な手と腕は!?もっと日焼けをしていたはずなのに!》
しかもよくよく自分の体を見てみると、着ている衣服も質感が良くフリルがたっぷりで高級そうな白いワンピースで。
昨夜就寝した時に着ていたはずのしましま模様の長年着込んで少しくたびれたパジャマとは似ても似つかないような代物だった。
《な、なな、何これーーー!?》
慌ててもう一度部屋中を見渡すと、これまた高級そうな全身鏡が置いてあることに気が付いた。
「ハ、ハルミアお嬢様!?」
驚くメイド服姿の女性をそっちのけで私は急いで豪華すぎるベッドから抜け出して全身鏡の前に立った。
その鏡に映る自分の姿に目を見張り……絶叫した。
「ぇえええぇえええ!?!?」
全身鏡に映っていた自分の姿が。
あまりに別人すぎて。とある絵画のように顔に手をあてて驚愕してしまう。
そして鏡に映る自分らしきお人形みたいな美少女も、きちんと同じように顔に手をあてて驚愕した表情を浮かべている。
《……というかこの姿……やっぱり見覚えがある……!!》
見覚えのあるこの姿。
でもどうしても信じられなくて。
夢なのかと思って頬を思い切りつねってみたものの……
「いたたたっ…!」
普通にとても痛くて涙目になった。
鏡に映る自分らしき美少女もやっぱり同じように涙目になって少し赤くなった頬を擦っている。
《夢なんかじゃない……やっぱりこの美少女が私なんだ……!》
ナイトキャップを被っている頭髪からは少し銀髪が見えている。
ぱっちりとした薄い青緑色の瞳は見る角度によってキラキラと輝く宝石のようで、まるで瞳の中に虹があるようにも見える。
小さくて鼻筋の通った鼻。
形の良い薄桃色の唇。
背丈は低く顔立ちも幼い。
《純日本人であったはずの自分がこんなまるでお人形みたいな美少女になっているなんて……!》
全身鏡に手をあててじっくりと全身を見つめた。
見れば見るほど日本人の私とはかけ離れた姿で。
ーーそれなのに何故か見覚えがあるような気がしていてずっと謎のモヤモヤ感が消えてくれない。
《私、もしかしてーー物語でよくある異世界に転生した……とか……?》
そんなとんでもないことがあるはずは無いと頭では考えながら。
あまりにリアルすぎる感覚のある今の異常な状況が全てを物語っているような気もする。
ーーそれから『ハルミア』という名前がずっと頭に残っていて、気になって仕方がない。
《どこかで聞いたことがある気がするのに…!どこでだっけ……『ハルミア』…『ハルミア』……ハルミアお嬢様………ーー"ハルミア・オルリス"…………あっ!!》
聞き覚えのある名前にこの美少女の姿。
豪華すぎる部屋や家具。
メイド服姿の綺麗な女性。
「ああああああ!!!!???」
《ーーそうだ、思い出した……!私が"ハルミア"だった。"ハルミア・オルリス"。オルリス公爵家の次女》
「ハルミアお嬢様……!?ハルミアお嬢様ーー!!」
そのことを思い出した私は脳のキャパオーバーだったのか、その場に倒れ込み意識を失った。
意識が遠退いていく中、私を呼ぶ"侍女"の声も遠退いていったーー……
「……んん……あれ……ここは……」
ーー目が覚めると、私は相変わらず豪華すぎる部屋の天蓋付きベッドの上に居た。
「あっハルミアお嬢様!!お目覚めになられたのですね!!」
「…あ、ラズ……」
ベッドの傍に置かれた椅子に座っていた"侍女のラズ"は私が目を覚ましたことに気がつき、すぐに立ち上がって安心したような心配そうな表情で私の顔を覗き込んできた。
「すぐにお医者様をお呼びしてまいりますので、ハルミアお嬢様はそのまま安静になさっていてください!」
「え、ああ…うん……」
そう声を掛けてきた侍女のラズは大急ぎで、でも品のある歩き方で部屋を出ていった。
一人になった私はぼんやりとした頭で今の状況の把握や"思い出した記憶"を整理することにした。
ーー全身鏡で見たお人形みたいな美少女。
その美少女の姿は紛れもなく私自身で。この豪華すぎる部屋やベッド等の家具も全て紛れもなく私に与えられたもので。
さっきまで部屋に居たメイド服姿の綺麗な女性は私に仕えてくれている侍女のラズで。
ーー今は何もかも思い出せるし"ハルミア"としての意識もはっきりとしている。
ラズは私が小さい頃からお世話をしてくれている侍女だし、この部屋も幼い頃から使い続けている。
ハルミアという名前も生まれた頃から呼ばれている名前で、この姿も記憶も全て紛れもなく私自身のものだ。
でも日本人の"尾山遥加"も紛れもなく私自身のはずで。意識も記憶もはっきりとある。
何なら昨日の記憶だってはっきりとある。
そう、昨日の記憶もーー……。
《ーーあれ?昨日の記憶ははっきりとしているのにそれ以前の記憶が何故か思い出せない…それに家族のことや他のことも…。そもそも私何歳だったっけ……自分の顔もはっきりと思い出せない……》
思い出そうとすればするほどズキズキと頭痛がする。
純日本人の女性で黒髪黒目の特別変わったところのない平凡な容姿だったことは何となく思い出せるのに。
はっきりとした顔立ちの詳細や容姿は思い出せず記憶が朧気になっている。
ーーつまり純日本人の私の記憶は今ではない過去のもののようで。
唯一はっきりとしている昨日"だと思っていた"記憶も、実は"昨日のもの"ではなくて。
《ーーもしかして日本人の"尾山遥加"であったはずの私のこの記憶は遠い過去というか……前世の記憶だったってこと……?》
日本人の"尾山遥加"という意識ははっきりとしていながらも、段々と"ハルミア・オルリス"である自分の意識や記憶の方が強くなっている。
今の自分の意識がはっきりとしてからは、物心ついた頃からの記憶をきちんと思い出すこともできる。
尾山遥加である私。
ハルミア・オルリスである私。
日本人だった頃の記憶や今の自分の意識が混濁していて感覚もフワフワしているけど。
一つはっきりとした事実がある。
《ーーそっか……私、本当に異世界に転生しちゃってたんだ……》
日本人だった頃、あり得ないと思いながらも楽しんでいた異世界転生の物語の数々。
あの物語の数々のように、今の私は本当に地球ではない異世界に生まれ変わって生きている。
推測するに、地球の日本に住んでいた日本人女性の尾山遥加はきっと前世の私で。
今世の私は"クロビアム国"という国に住む公爵令嬢の"ハルミア・オルリス"だ。
そんな国の名前は地球のどこにも無かったはずだ。
前世の私のはっきりとした年齢こそ思い出せないけど、成人していたか成人に近い年齢だったような気がする。
でも今世の私はまだ6歳で子供だ。
前世はどうやって生きていたのか、最期はどうやって亡くなったのか等も何も思い出せないけど。
まさか転生してこんな美少女になれるなんて。
前世を思い出した今、改めて自分の姿を見つめると本当にラッキーだと思える。しかもとんでもなく裕福なお嬢様。
ーーそして、何よりも前世と大きく違うのは……
この世界では魔法が当たり前にあるということ。
この世界での人々は誰でも魔法を持って生まれてきて。扱える魔法の属性は、基本の三種類の属性の魔法以外は様々で魔力量も異なるけど、誰でも魔法を扱うことはできる。
それに動物も魔法を生まれた時から扱えて、この世界では動物とは呼ばず"魔獣"と呼ばれている。
前世を思い出すまでの私は魔法を扱えることに何の疑問も持っていなかったし、この国の歴史の長い名家の公爵家の令嬢として生まれてきて、魔法を扱えることは当たり前だとすら思っていた。
でも前世の日本人だった頃の自分を思い出した今は違う。
《魔法が当たり前にある世界なんて…!!異世界転生凄すぎる!最高!!》
当然舞い上がりに舞い上がるに決まっている。
しかもオルリス公爵家の一族は全員もれなく魔力の保有量も一般の人よりも数倍多いとされている。
私の魔力量や属性を調べることができる魔力検査はまだ先だけど、今からとても楽しみだ。
私よりも先にお姉様が魔力検査を受けるだろうから是非ともその検査結果を教えてもらおうと思っている。
「ん……?お姉様……?」
《ーーそうだった。今世の私はオルリス公爵家の次女で、上に長女である姉の"サンドレア・オルリス"が居るんだった》
前世の記憶や意識が覚醒したことで少し違和感を覚えてしまうけど、それも徐々に落ち着いていってるので、時間が経てばまた感覚も戻っていくだろう。
《でも何か大事なことを忘れているような……重大な何かに気付けていないような……》
「……って、姉ー!?姉の名前が"サンドレア・オルリス"!?!?そして"オルリス公爵家"!?!?」
《そそそそれって……!!前世の私が読んでいたはずの小説に出てくる主人公の名前では……!?》
そのことに気が付くと、他のことも次々と思い出していく。
《確かクロビアム国もあの小説に出てくる舞台だったよね!?オルリス公爵家も主人公の家名だったし!!》
次々と判明する衝撃的な事実に変な汗が出てきて止まらない。
理解はしたくないけど確実に点と点が繋がって線になっていく感覚があった。
《ーーもしかして私が転生したこの世界って、前世で読んでいた小説の中の舞台ってこと……!?!?》
また脳のキャパオーバーでいっそのこと意識を失って倒れたくなったけど、今度は残念ながら頭が真っ白になったものの意識を失うことはなかった……。