古井戸၈क॑ʓ道 ニ
「んじゃ、改めて誘導オッケーな」
土屋が車を降りて自身が乗ってきた車に向かう。
ずっ太いやつ。
涼一は拍子抜けして土屋の歩いていく姿を目で追った。
自分もべつに繊細ではないと思うが、あそこまで図太くもない。
「……あいつ、やっべえ」
後部からエンジンをかける音がする。ライトがこちらの車内を照らした。
涼一も、キーを差しこみエンジンをかける。
今回はUターンできる場所を見つけていたらしい。土屋の乗った車が、ゆっくりとバックした。
三十メートルほど行ったさきで、ライトが右折するのが見える。
前進で道沿いに戻った。
涼一もあとについて行き車をバックさせる。
土屋がUターンのために車を入れた場所が、古い井戸のそばだと分かった。
井戸とか実物見たのははじめてかも。
ハンドルを切りながら、暗闇に浮かぶ石造りの井戸と古い桶のついた滑車を何となくまじまじと見つめる。
井戸から、白い小さなヒトデのようなものが這い上がってくるのが見えた。
着物のような袖がついている。
小さな手だと気づいた。
「え……あ゙?」
まずはじめに、事故っちゃいかんという意識がはたらく。
もう九年も運転してるのだ。
動揺したさいは、とりあえずハンドルと道すじを最低限認識するという習慣ができてる。
だいたい、異空間で古井戸にぶつけた自損事故とか、はたして保険は下りるのか。
保険屋にわけ分からんという顔をされるのが想像つく。
Uターンを終え、もとの道に戻ってからいったん停まった。
ハァッと息を吐く。
スマホの着信音が鳴った。
グローブボックスから取りだして画面を見る。
土屋だ。
「──はい」
げっそりとした声で応じる。
「──何した。井戸からミミズでも出てた?」
涼一は顔をしかめた。
「おまえ、実はミミズ好きだろ」
「──ヘーキだけど考えたことない」
土屋が淡々とそう返す。
「──ミミズ出たならいったん休む?」
「出たのは子供の手だ。……何つうか井戸から這い上がってきた」
涼一は答えた。
土屋がしばらく黙りこむ。何か考えてるのか。
こんな場所できっちりウインカーをつけて停車しているところが、やっぱり図太い。
涼一もさりげなくウインカーをつけた。
「──んじゃ行くか」
「おまえ何? どのへん基準?」
涼一は顔をしかめた。
土屋がスマホをシートの上に置いたような音がする。
また前回とおなじく、通話はスピーカーでつなげたままという感じか。
前方の車のウインカーが消え、ふたたび発進する。
涼一はアクセルを踏んでついて行った。
「もういいかい」
上空から、低くにごった男の声でそう聞こえる。
涼一はフロントガラス越しに夜空を見た。
鬼らしきものはどこにも見当たらない。
前方の車の土屋は聞こえているのか。
助手席のスマホを左手での取り、土屋と通話しようとする。
「おい、土──」
運転しながらなので手元を見るわけにもいかない。つい間違ったところをタップしてしまう。
通話が切れた。
「あっ、クソッ」
街灯もない真っ暗な山道だ。
運転しながら操作したら崖に突っ込みそうで怖い。
「おい、いったん止まれ土……」
着信音が鳴る。
あちらからかけてきたかと涼一はホッとした。
「わり。手元見れんからへんなとこタップした」
「──りょんりょーん、え? なに? ちゃんと出れてるよ? 大丈夫だよぅ?」
一気にげっそり顔になるのが自分で分かる。
爽花だ。
「何だ。こっちは取りこみ中だ」
「──取りこみ……えっ、ごめっ!」
爽花が妙にすなおに声を上げる。
「──えええ、んじゃあとにするね。どどどどのくらい? いい一時間くらい?」
「知らんわ。土屋に聞いてみろ」
あっちにしてみても、まえにいっしょに異空間で迷っているのだ。
たぶん聞いてもおなじように分からんと思うが。
「──つちっ、土屋さんが主導権っていうか、せめ……」
主導権というか誘導してんだけどなと涼一は脳内で返した。
車運転しないやつはあんまり運転する同士の言い回しとか知らんから、まあ意味通じればいいかと思う。
「急ぎの用事じゃないなら切るぞ」
「──えええ、けっこう急ぎだと思うんだけど。でもそういうの、じゃ邪魔しちゃだめだよね?」
「分かってんじゃねえか、切るぞ」
涼一は通話を切った。
切ったとたんにまた着信音が鳴る。
たぶんこんどこそ土屋からからだろう。
「──はい」
涼一は通話に応じた。
「──鏡谷? いきなりつながらんから何かあったかと思った」
土屋が言う。
「わり。へんなとこタップして切れたあと、爽花から来てた」
「──さやりん? 何て?」
「知らん。べつに急ぎの用じゃなかったんだと」
「ふーん」と土屋が返した。




