宵闇၈⋝ー〆ン屋 五
「ちょっ……」
涼一は自身より半歩ほどまえに立った土屋の肩をつかんだ。
「なに」
土屋がふりむく。
見えていないのだろうか。
「いや……気絶して倒れてくんじゃないかと思って」
大丈夫ならまあいいか。手を離す。
「いま出入口に貼りつくみたいな感じで、鬼っつうか。目がこっち見てて」
「うん、知ってる」
土屋が落ちつき払って答える。
「鏡谷くん言ってた鬼の襲撃ってこれかぁって思ったわ。やー納得」
土屋が真顔で言う。
ヤバい。
何かこいつの神経のほうが怖い。
「みぃつけた」
店の一角にある窓がひとりでに開き、そこから巨大なたくましい腕がズルッと入りこむ。
店内のイスやテーブルを倒し、店の真ん中あたりで止まった。
それ以上は入れないのか、何かをつかもうとしているようなしぐさで青黒い手で床を掻く。
「なにあれ。土……」
土屋がシッというふうに口に人差し指を当てる。
涼一は声をひそめた。
「居場所を把握されないほうがいいとか?」
「それもあるけど、もしかしていくらかパターン分かったかも」
土屋が鬼の手のとどかない場所に誘導する。
「つまり鬼とのかくれんぼだ」
「いやそれは分かってる」
涼一は困惑して軽く眉をよせた。
「とりあえず俺の名前も自分の名前も言うな。あとタッチされんな」
「タッチ?」
涼一は店の真ん中で床を掻いている爪の黒い鬼の手を見た。
「かくれんぼって、ときどきタッチしなきゃ見つけたことにならんルールになることあったでしょ」
「んだっけ?」
涼一は顔をしかめた。
「たぶん地域によってルールちょっと違うんじゃないかな。親戚から聞いたとか、テレビで見たとかで新ルール主張する子が小学生のときちょくちょくいたじゃん」
「そういう面倒くさいやつとは遊ばんかったから、俺」
「一人っ子だなあ」
土屋が軽く顔をゆがめる。
「あとはたぶん、“何々ちゃんみいつけた” と言わんとダメ。名前を言えんと無効」
「それで名前は知られんなってことか」
「みぃつけた」
巨大な青黒い腕が、もう一方の窓から侵入する。一本めとおなじように店内の床をガリガリと掻いてさぐった。
涼一は土屋とともに腕をさけて、「便所」と貼り紙がされているドアの付近にジリジリと後退した。
「トイレか? 小窓とかあるよな。ここから抜けて駐車場まで逃げられるか?」
「昭和三十年代のトイレとか不安だけど、このさいしょうがないか」
土屋がドアノブに手をかける。
「不安ってなに。小窓ないの?」
「小窓はありそうだけど、ほら、いわゆる」
土屋の言わんとしていることに思いいたり、涼一は「あー」と呟いた。
むかしの水洗が主流になるまえのやつか。
「俺、子供のころ爺ちゃんの寺で外にそういうトイレあったから、うっすら記憶あるわ」
「んなら安心だな。俺は田舎に営業行ったとき空き家になった農家で見たことある」
土屋が言う。
店内では、あいかわらず青黒い腕がイスやテーブルをなぎ倒し床をひっかいている。
「おけ。開けろ」
涼一は鬼の手を横目で見つつ指示した。
土屋がドアを開ける。
ドアを開けると、ダイレクトに予想した通りの和式トイレがある。
洗面所があってその奥かと思っていたので、二人そろって一瞬目を丸くした。
二人でせまい個室に入る。
真っ暗で底の見えない便器にあいた空洞を、涼一はついまじまじと見てしまった。
「え、待て待て。まさかここに落ちれば一気にふもとに戻れて上がりじゃないよな」
「……お使いさんがためして大丈夫だったら俺も考える」
言いながら土屋がつきあたりにある腰上窓のクレセント鍵を外す。
思ったよりもずっと大きな窓でホッとした。ゆうゆう出られそうだ。
トイレの個室にこんなに大きな窓があることがもはや令和を生きる人間にはドン引きものなのだが。
木のサッシに靴底で乗り、土屋があたりをうかがう。
「大丈夫じゃね? 一気に駐車場まで走るぞ」
「了解」
窓から出た土屋に続いて、涼一も脱出する。
小さな店舗だ。裏手と思われるこの箇所からでも、駐車場までそんなに距離はないはず。
涼一は、あたりをうかがいながら土屋の背中を追った。
すぐに周囲の景色の異変に気づく。
ラーメン屋の店舗は消えていた。
涼一たちがいたのは、煌々としたLED街路灯に照らされた自身のつとめる会社の駐車場だった。




