宵闇၈⋝ー〆ン屋 四
「もういいかーい」
こんどはカウンター席のすぐそばのあたりから聞こえる。
涼一はそちらを見た。
三角巾の女性につづいて、さきほどまで厨房にいた年配男性の姿も見えない。
店の裏で仕込みの打ち合わせをしているのかと思っていたが、客が来ているのに二人そろってこんなに長く店内を留守にするものなのか。
「さっきから、かくれんぼしてるみたいな声聞こえない?」
土屋が店の出入口のガラス戸をながめる。
「こんどはおまえも聞こえるのか。店に入るまえも聞こえてた」
涼一は答えた。
「かくれんぼか……おとなっていうかおっさんの声っぽいけど、子供と遊んでやってるのかな」
土屋がつぶやく。
さきほどまで厨房から立ち上がっていた湯気がすっかりなくなっているのに気づいた。
もとから誰もいなかったかのように厨房内が寒々としている。
閉店時間なんだろうかと涼一は思った。
異空間といわれても、とりあえずは現実とおなじ見た目なのだ。ふだんの社会生活と、どう対処を変えたらいいのか分からん。
「出たほうがいいか……? ラーメン代は前払いしたんだし」
涼一はイスを引いた。ふたたび床がこすれてキュキュッと音がする。
「鏡谷くん、あとで五百円払ってね」
土屋が席を立ち、さきに出入口に向かう。
「いま払うわ。めんどくせぇな」
涼一はスラックスのヒップポケットからサイフを取りだした。
サイフを開いて五百円硬貨を取りだし、土屋を追いかけて渡す。
土屋が受けとり自身のサイフに入れた。
「しかし外に出るのって、どう転ぶかな……ここ入るまえから怪異って始まってたわけじゃん。外に出たらもっと怪異増量中かもしれないし、とはいえ出ないと営業先のかたが待ってるし」
「おまえこのあと回るとこあったの?」
涼一は口元を歪めた。
「鏡谷くんはとっくに道に迷ってすっぽかし扱いになってたけど」
土屋が言う。
涼一は店の出入口の柱に手をついてうなだれた。
「俺としては鏡谷くんむかえに行って、今回はお不動さまにどんな不可解なお告げをされたのかさっさとお聞きすれば解決だと思ってたんだけどなあ」
「お告げか……」
涼一は柱に手をついたまま顔を上げた。
「お告げってか、“かくれんぼはご存知ですか? 健闘を祈ります” とか言われたな」
土屋が目を丸くしてこちらをふり向く。
涼一も、言ってみてからおもむろに眉をよせた。
「……いや怪異っぽいかくれんぼに巻きこまれんの、思いっきり確定事項じゃん。何やってんの、早く言って」
「タイトスカートで倒れた横に座られたんだよ、そっち目が行くわ」
涼一は自分でもよく分からん言い訳をした。
「え、じゃあなに。あのもういいかいって言ってるおっさんとかくれんぼすんの? おっさん何者?」
土屋が出入口のガラス戸を見つめながら頭を掻く。
「知らんけどおまえが来るまえ、山中でおなじ感じにもういいかい言われて鬼に襲撃された」
土屋が、しばらくガラス戸をにらんでからこちらをふりむく。
「かくれんぼで鬼が襲撃してくるの当たり前でしょ。鬼の役目でしょ」
「鬼はさがしに来るだけだろ。ふつうのかくれんぼなら襲撃って言わんだろ。おまえどんな地域で幼児期すごしてんの」
「鏡谷くんとおなじ地域なんだけど」
涼一は口をつぐんだ。
そういや小中学校おなじだった。
さいきん雑談して分かったが、幼稚園もおなじところだったらしい。知らんかった。
「……まあ、それはいいとして」
涼一は店内を見回した。
さきほどよりも店内が暗いように見える。いくつか明かりを消したのか。
「ともかく外に出なきゃ始まらんよな」
涼一は手をのばしてガラス戸に手をかけた。
「もういいかい」
またガラガラ声の男性の声がする。こんどは奥のテーブルのあたり。
さきほどよりも店内が薄暗いので、奥のほうに人がいるかどうかはよく見えない。
「行員さんは? あと何か言ってた?」
土屋が問う。
「いや……あとは」
涼一は宙を見上げた。
「もういいかい」
「ああ、まあだだよって?」
涼一は答えた。意味があるんだかないんだか。
タイトスカートで膝をついて歌うように言ってたさまは、ちょっと心地いい雰囲気を覚えたが。
「まあだだよ……」
土屋が顎に手を当てる。
「お使いとか、もういいよっつうの。ほかの偉い人んとこ行け、ほか」
吐き捨てながら涼一はガラス戸を開けた。
「みぃつけた」
入口の木の縦枠にべったりと貼りつくようにして、巨大な目がこちらを覗きこんでいた。
盛り上がった瞼と青い脂ぎった頬。
涼一は立ちすくんだ。




