宵闇၈⋝ー〆ン屋 三
運ばれてきたラーメンに箸を入れる。
タマゴとほうれん草とシナチクが添えられた、かなりシンプルな醤油ラーメンだ。
「まあ、四十円ラーメンならこんなもんか。つかこれでも採算とれんと思うけど――何ここ。キャンペーン中か何か?」
涼一は、向かい側の席で同じように四十円ラーメンをすする土屋に問いかけた。
土屋が無言でレンゲを手に持つ。もう片方の手ではスマホを持ちひたすら親指でタップしていた。
「こんなキャンペーンやってんなら、もっと宣伝すりゃいいのにな。近場のわりにぜんぜん知らんかった。――おまえ、知ってたの?」
土屋がレンゲでラーメンのつゆを口にする。
「米軍に嫌悪感ないみたいだから、設定としては昭和三十年代くらいか……? ラーメンの値段もそのへんだし」
土屋がつぶやいた。スマホの画面を見てた目をこちらに向ける。
「タイムスリップなのか異空間なのか迷ったんだけどさ。ネットには入れんだ、これが」
「ん?」
涼一はラーメンを箸でつまんだまま目を丸くした。
「いいからラーメン食ってからにしよ。異空間ラーメンなんてめったに食えんし」
土屋がシナチクを箸でつまむ。
「え、待て。おま、何かすげえ引っかかること言ってねえ?」
涼一は頬を引きつらせた。
「俺も行員さん絡みでなかったらパニクってるとこだけど、鏡谷くん行員さんと接触したんでしょ?」
土屋が言う。
「……今回はJAの経理事務です言ってたけどな」
「なら行員さんが何か意味あって俺らを異空間にぶっ飛ばしたか、悪霊とかのしわざだとしても最悪の場合、倶利伽羅剣のレンタルくらいしてくれるんじゃないかなとか」
土屋がラーメンをすする。
「いまいち話が分かんねえんだけど。毒っぽくないから食ってるけど」
涼一もラーメンをすすった。
山中を迷わせられていた昼すぎごろから、いっさい飲み食いしていないのだ。
心地よい湯気と食欲をそそる油の匂い。警戒しようとしても箸を持つ手が止まらない。
「新紙幣の件のときさ、千鳥サンが身を投げたS橋は江戸時代のものだったはずなのに、りょんりょんの夢の中ではなぜか明治以降のレンガの橋になってたってことあったじゃん」
土屋がこちらを箸で指す。
「……その呼びかたやめろ」
涼一は顔をしかめた。あのやかましいお団子頭を思い出す。
あの件のあと、無事学校に復帰したとメールをよこした。
たのんでもいないのに「制服姿だよ。見たいでしょ」と、いまどき珍しいセーラーカラーの制服を着た画像を送ってきやがった。
「あれ、行員さんが見せたんじゃないかってあとで思ったんだよね。――“橋から身を投げた女が関係してる”ってのと “レンガ造りの橋の下に鍵がある” って二つのメッセージが一緒くたになってるから、脳がごっちゃの映像にしちゃったんじゃないかって」
「何かAIに通じそうな解釈」
涼一はラーメンをすすった。
「AI動画って高熱のときに見る悪夢みたいだって言う人けっこういるじゃん。よく知らんけど夢の理屈と似てんじゃないの?」
土屋がラーメンをすする。
「もういいかーい」
店の裏のほうから、男性の声でそう聞こえる。
さきほど厨房にいた年配男性だろうか。
仕込みの打ち合わせでもしてるのか。涼一はそんなふうに見当をつけた。
ラーメンをすする。
「もういいかーい」
こんどはもう少し近い。厨房の勝手口あたりだろうか。
カウンターの向こうがぜんぶ見えるわけではないが、ここの店の建物の規模と店内の間取を考えたらそんなところだと思う。
ラーメンを食べ終える。
割りばしをどんぶりに置き、涼一はふぅ、と息をついた。
スマホをタップしながらダラダラ食べていた土屋が、ややしてから食べ終わる。
さきほどからたびたび店内を撮影していたが、食べ終えてからも数枚撮っていた。
「んでなに。ここ昭和三十年くらいの設定の異空間って」
涼一はあらためて問うた。
「異空間の定義知らんけど、タイムスリップならネット入れるわけないでしょ」
土屋がスマホを指先で操作する。
「ただの古い個人経営の店とちがうの? さっきの新紙幣見たときの反応は意味分からんけど」
涼一は厨房を見た。
そういえばさきほどから三角巾の女性の姿が見えない。休憩だろうか。
「ここ入るまえ、どうにも来た道とちがって迷ってさ。何となく車内でラジオつけてみたら」
「……おまえ迷ってたの?」
涼一は目を丸くした。
「どうりで近場って言ったわりに山中がつづくと思ったわ」
「変だと思ってラジオつけたんだよ。そしたら戦時中の記録映像みたいな堅苦しいしゃべりが流れきて、あ、こりゃおかしいって」
こっちの車内から電話かけたときのあれかと思いいたる。たしかに妙に古典的なしゃべり方するアナウンサーの声が聞こえた。
涼一は食べ終えたどんぶりを見た。
さきほど異空間とだけは聞いていたのに、それでもラーメンを完食してしまった。
三大本能つええ。
「協力するわ。動画撮ってやる」
涼一はスーツのポケットから自身のスマホをとりだした。動画のアプリを開く。
「俺が “お使いさん” に協力してんだけど」
土屋がそう返す。
「もういいかーい」
カウンター席の向こうの厨房から、また男性の声でそう聞こえた。




