宵闇၈⋝ー〆ン屋 ニ
「いらっしゃい」
ラーメン屋のガラス戸をカラカラと開けると、テーブルを拭いていた三角巾の年配女性と厨房にいる年配の男性がほぼ同時にあいさつした。
夫婦だろうか。
ほんとうにむかしからの店という感じだ。
木の壁に、木の窓サッシ。
床は歩くたびにボコボコと下が空洞になっているような音がする。
外が暗いので分かりにくいが、ガラスもくすんでいてあまりクリアではない感じだ。割れた箇所には黄ばんだセロハンテープのようなものが貼られ補修されている。
「昭和……にしてもいつからの建物だ? 戦後すぐくらい?」
涼一は店内を見回した。
「あーたしかに昭和ニ、三十年代舞台の映画とかで見た感じだけど」
土屋が同じように店内を見回してから入口近くのテーブルに進む。
「奥にしねえ?」
涼一はいちばん奥のテーブルを指した。
「いや……」
土屋が軽く眉をよせて、入ってきたばかりのガラス戸の出入口を見る。
「ぶっちゃけ、すぐ逃げられるところのほうがいいかも」
「は?」
土屋がテーブルに着く。涼一もそれに倣って向かい側の席に座った。
「なにおま、食い逃げすんの?」
涼一は目を丸くした。
「鏡谷くん一人でやって、それは」
土屋があきれたように早口で返す。
「逃げられるほうがいいって、何で」
イスを行儀悪く座ったままで引きながら、涼一は小声で問うた。床がこすれてキュ、キュと音を立てる。
三角巾の女性が少々不快そうな顔でこちらを向いた。
「小学生か」
土屋が顔をしかめる。
「キャスターついてねえイスとか高校以来なんだよっ」
「ラーメン食ってからにしよ、とりあえず温まってからのほうがいい気がする」
土屋がそう言い、冷気を感じているかのようにスーツの腕をこする。
「なに。話聞いたら寒気するとか? 鳥肌たつ話とか?」
涼一はかたわらの割りばし入れを手に取った。
土屋が口元をゆがめてこちらを見る。
「……え、まじ? 正解?」
涼一はもういちど店内を見回した。
壁の一角に貼ってある手書きのメニューをながめる。
「ラーメン 四十円」
そう表記されている。
「え? 何やっす。日本だよな、ここ」
涼一は声を上げた。
土屋がますますイヤそうな顔になる。
三角巾の女性がメモ帳を片手にテーブルに近づいた。
「何にします?」
「あ、ラーメ……」
「タピオカとかティラミスとかあります?」
土屋がそう口をはさむ。
ラーメン屋でなに言ってんだこいつと涼一は眉をよせて同僚の顔を見た。
三角巾の女性が、ポカンとした顔をしている。
「あのえと、ラーメン……」
「なぁに、お客さんら外国帰り?」
三角巾の女性がケラケラと笑う。無愛想な女性かと思ったが、わりとすぐ笑うんだなと涼一は思った。
「そ。アメリカ帰り」
土屋が答える。
「アメ……」
涼一は、あっけにとられて同僚のセリフを復唱した。
「あーやっぱねえ。このへんの人じゃない感じだもんねえ。こざっぱりしてて米軍の軍人さんみたい」
女性が顔を上下させて涼一たちが着たスーツを見る。
「べ……?」
土屋がスマホを取りだす。何やら検索しているようだ。
「あの……ラーメン二つ」
涼一は二本指を立てた。
「あ、それで悪いんだけど」
土屋がサイフをさぐりながらもういちど口をはさむ。
新紙幣の千円札をとりだした。
「いま米ドルしかなくてさ。これで支払いしていいかな?」
女性が目を大きく見開いた。
上体をかがめてホログラム入りの札をじっと見る。
「うっわ、何これ、アメリカさんのお札?」
ひどく驚いて、はああ……と声をもらす。
「銀行いけば、いまのレートで日本円に替えてくれるはずだからさ」
「ふああ……やっぱアメリカさんのは違うねえ……。お金にこんなキラッキラなの入れてのかい」
土屋がわざとお札をかたむけてホログラムを動かす。
「うわっ、動いてる、動いてる。……はああ」
涼一は眉をひそめて女性の様子を見た。
どういうことだ、この人。いまどき仮に相当の田舎でもこんな人はいないだろう。
「これでラーメン二つ」
土屋が女性に千円札を手渡してそう言う。
「ふああ……すごい」
女性は千円札を両手でもち、いつまでも左右に動かしていた。




