₺੭ੇ ɭ ɿいかɭ ɿ
「もういーかい」
「──いいわけねえわ! どこだここ!」
山中の草むらにスーツのズボンを埋もれさせて立ち止まり、鏡谷 涼一はスマホに向かって声を上げた。
ザカザカザカと荒っぽい足どりで草むらを歩く。
取引先の会社から社用車で帰る途中、とつぜんカーナビがエラーを起こした。
まあまあ土地勘はある地域なので記憶のとおりに走らせていたが、どういうわけかいつの間にやら山中に入りこみ同じところをグルグルと回ることになった。
さすがに通話はできるエリアらしいので、会社にかけて電話口に出た男性社員にナビを頼んだが。
「──いいか? Kタワー、そこから見えない?」
「あー火の見やぐらならあった」
涼一は遠くの谷間のさきに見える時代劇で見たことのある建造物をながめた。
「──へー火の見やぐら。いまでも残ってるところってあるんだ」
「俺の爺さんが住んでる地域はある。鐘はとっちゃってるけど」
涼一は答えた。
「──待って。火の見やぐらが残ってるとこって、ググって出てくるかな」
通話口から衣ずれの音が聞こえる。
スマホをとりだしたのか。
「それくらいなら自分でやる。あんまなさそうだから場所の見当つくだろ」
涼一はスピーカー機能をタップした。
「もういーかい」
どこからともなく子供の声が聞こえて、涼一はあたりを見回した。
さきほどから聞こえていた気がしてたが、あまり意識していなかった。
「もういーかい」
意識しだすと、はっきりと聞こえる。
子供がいるということは、近くに民家か住宅街があるのか。
「──どした?」
同僚が尋ねる。
「子供いた。親いっしょだろうから道聞いてみるわ」
涼一はもういちどあたりを見回した。
見通しは悪くはないが、子供といっしょに来たらしき人物はいない。
今どきこんな人のいない場所で子供だけで遊ばせる親はいないと思うが。
どこを見ても草木が生い茂っていて道もないように見えるが、緑におおいかくされた通路でもあるのか。
涼一は体をかがめ、草のあいだやへこみのある箇所を目でさがしてみた。
ガサガサと走っていく小さな脚が視界のはしに映る。
「おっ」
子供のほうらしいが、しかたないか。住宅街への道を聞こうと涼一は体を起こした。
「おい、お兄さん怪しいもんじゃないから、道……」
だれもいない。
見まちがいか。
ウサギかイタチだったんだろうか。
涼一はガサガサと音を立てながら草むらを歩き、ひとまず車にもどった。
そういやイタチって見たことないけど、本当にいるのか。UMAの一種じゃねえのか。
どうでもいいことを考えながら車のドアを開ける。
とたんに車の後部座席シートの上で、ペタペタペタッと何かが走る足音がした。
「は?」
一瞬だけ小さな子供が三、四人ほど見えた気がしたが、すぐに消える。
だれもいない車内に、シートの上をはだしで走り回るようなペタペタペタペタという足音が切れめなく響いた。
「あ゙……?」
「これっ、すげえー」
「いじんのいすぅ」
運転席のシートがガクガクと揺れる。
まるで小さな子供が後部座席から両手で揺らしてはしゃいでいるような。
助手席からポン、ポン、と座った格好で上下運動をしているような音がする。音がするたびシートの真ん中がへこんだ。
「おい……」
ハンドルがガクッと少し動いたかと思うと、クラクションがうるさく鳴る。
「うーなにこれすげえー!」
見えない手が、なんどもクラクションを押す。
「すげえ。おれもやるー」
べつの小さい手が、うっすらと後部座席から伸びたように見える。
目には映ってはいないが、脳内では視えたという感じか。
クラクションが、静かな山中になんども響いた。
「うわーすげえー」
「うー、あたしもやるー」
ビッビッビッビッ、ビー! ビー! という警戒をうながす音が、無性に気持ちをイライラさせる。
「社用車で遊んでんじゃねえ! どっか壊したら親に修理費払わせるぞコラァ!」
つい涼一はそう声を上げた。
声を上げてみてから、たぶんこれ怪奇現象だと思ったが、しがない営業職としては幽霊より修理費の請求書のほうが怖い。
まして保険屋や弁護士にかけあって、こいつらの親に支払い義務はありませんとか万が一言われたら呪いより恐怖だ。
足音がやむ。
ドン、と見えない手に腹のあたりを押された。
「おじさんも隠れなー、鬼くるよー」
誰がおじさんだ、誰が。
涼一は見えない顔をにらみつけた。
草むらを複数の小さな足が走り去っていくようなザザザッという音がしばらく聞こえた。
「──鏡谷?」
通話をつなげたままにしていたスマホから、さきほどの同僚とはべつの男性の声がする。
「──お電話代わりました、鏡谷?」
スマホを耳にあてると、そう呼びかけられた。
「だれ? 土屋? 社内に戻ったのか」
涼一はそう尋ねた。
先日かなり大掛かりな怪奇現象に巻きこまれたさいには、奇特にもいっしょに巻きこまれてくれた同僚だ。
「──話は聞かせてもらった、鏡谷」
土屋がわざとらしい深刻そうな口調で言う。
「いや人類滅亡しねえから」
涼一は顔をしかめた。
「──行員さんをさがせ」




