不動明王の祠 四
爽花のまえにいる青白い影が、千鳥の姿になる。
着くずした着物から白い肩をチラリとのぞかせ、こちらをふりむいた。
「知ってる? 幻覚でも高いところから落とすと、生身の人って心の臓を跳ね上がらせて死んじゃうの」
千鳥が言う。
ショック死ということか。涼一は歯噛みした。
「下の川にドボーンすると、ほんとうに水の中にいると思いこんで自分で息止めて死んじゃったりするんだってぇ」
「それ聞いたことあるわ」
土屋が舌打ちする。
尻もちをついてオロオロとする爽花のまえで、千鳥が大きくからだを反らす。
「ア━━━━━━ハハハハハハハハ! 待ってて若旦那。千鳥はすぐに会いにいきます」
「くっそ悪霊が。お不動さんは鎮めるとかいいから、ちゃっちゃと地獄送れくそ」
涼一は毒づいた。
倶利伽羅剣で地面を引きずり、千鳥のほうに近づく。
ともかくこの剣か、この剣をたずさえた状態の不動明王をイヤがっているのだ。
自分がこの剣を振り回しても少しは効果があるだろうか。
「ざけんな、どメンヘラ悪霊」
涼一は倶利伽羅剣を横にかまえた。
ふりかざしたかったが、さすがに少し重い。
「きゃああああ! 何で?! 何でりょんりょん?! わたしに剣とかで斬りつける気になってんのおお!」
爽花が甲高い声を上げる。
チッと涼一は舌打ちした。
「その男はねえ、じつは殺しが大好きなのぉ。若ぁい娘をバラバラにして臓物をとりだして。娘さん、さいしょから狙われてたんだねえ」
千鳥が爽花に向けて言う。
「デタラメだ、だまされんな爽花!」
「きゃ――――――! 痛ぁい! 血が! 血が出てるよおお!」
涼一は、スッと青ざめた。
斬りつけられて、大量出血する幻覚。どんな影響があるのか。
「娘さん、心の臓ドキドキさせすぎて死んじゃうかも。――いいのかい? 兄さんたち」
千鳥がこちらへ向けて手をのばす。
「そのムカつく剣をこちらによこして。こんどは異人さんのお国にでも運んでやる」
「英語できんのかよ、おまえ」
涼一は目をすがめた。
「ほんやく機能ってのがあるみたいじゃないの。すごいよねえ。異国のことばがすぐにこちらのことばに早変わりするの」
涼一は舌打ちした。
ほかの罪人の亡霊たちより頭がいいのか、それとも何か霊としての質がちがうのか。すんなりと現代になじみかかってる。
「いたい、いたい、いたぁい! りょんりょんやめてよおおお!」
爽花がその場で縮こまり両腕で自身の顔をおおう。
気のせいか、腕や頬にこまかいキズがつき血が飛び散って見える。
これも幻覚。いやそれ以前の思いこみだ。
「娘さん、塩を捨てちゃえば助かるんだよ」
千鳥がささやくような声が脳内に響く。青白い影が、爽花の耳元に顔を近づけているような動きをした。
爽花が、塩をあさっての方向に投げすてる。
「くそ!」
わざわざこんなことをするということは、塩は効いているということか。
涼一は塩の袋を拾おうと足を動かしかけた。
「よし分かった! 倶利伽羅剣を渡す!」
とつぜんに土屋がそう声を張る。
「なん……」
涼一はおどろいて同僚の顔を見た。
「何言ってんのおまえ……解決しないだろ。セルフレジで毎日ロシアンルーレットやる気か。それともこいつらに乗っとらせんの?」
「あのメンヘラにとっていい人質が来ちゃったんだからしょうがないじゃん。応じなきゃ、さやりんにあれ繰り返される」
土屋が目を合わせてくる。
「拓海ちゃんにあんな交渉やる鏡谷くんなら、言ってる意味分かると思うけど」
涼一は、同僚の顔を見返した。
倶利伽羅剣を自身の横に立てかけ、ネクタイをゆるめる。
「よし分かった。アシストやれ」
「了解」
土屋がシャツの腕をまくった。
「分かった、これおまえに売ってやる! 対価は俺の知り合いの巨乳さんへのプレゼント! 物々交換でどうだ!」
千鳥がゆっくりとこちらをふりむく。
「ただでくれるわけじゃないのかい……? いじわる」
「資本主義なめんな」
涼一はそう返した。
「まあともかく、おまえがイヤじゃないならこれはもうおまえの所有物だ」
涼一は、倶利伽羅剣を掲げてみせた。
「お知り合いのきょ……なんとかさんへのぷれぜんとって?」
「プレゼントにしたい品は、もうおまえが所有してる。おまえはとくに何もしなくて大丈夫。あとはこちらで事務的な処理する」
千鳥がじっとこちらを見る。
「まあ無料より高いものはないっていうからねえ」
艶っぽいしぐさで着物の袖口を口にあてる。
「んじゃ、タダかとか聞くんじゃねえよ」
千鳥がしっとりと髪をかき上げる。
「ぷれぜんとって異人さんの言葉だね。どういう意味?」
「贈りもの」
涼一は答えた。
とたんに千鳥がアハハハハと笑いだす。
「ああ、そういうこと。お兄さん、きょなんとかって女に贈りものしたいんだあ」
「まあな」
「どんな女? かわいいのかい?」
「顔はかわいい」
「この娘のことかい?」
千鳥が爽花を指さす。
「それより四百九十三倍くらいかわいい」
「また中途半端な」
土屋が横で苦笑した。
千鳥が頬に手をあててうつむく。
「あたしが好いてる材木屋の若旦那もさあ……あたしのことかわいいって言ってくれてさあ。あんな大店の跡継ぎなんて、だれにでも言ってそうじゃない? だからあたし言ってやったんだよね――そしたら若旦那さあ」
涼一は、つい横目で土屋を見た。
土屋と目が合う。
「これ、長くなるかな」と目で問うと、土屋が「たぶん」という感じにうなずく。
「いま何時だ」と口パクで尋ねると、土屋がスラックスのポケットからこっそりとスマホをとりだし時間を見た。
土屋が「巻くか?」というふうに口を動かす。
涼一はネクタイを直した。




