不動明王の祠 二
「にくたらしい……」
千鳥が着物のたもとを口にあてる。
「いい男だと思ってたのに、お不動さんの味方していじわるするなんて」
涼一が肩にかけた倶利伽羅剣に目を止める。
「それ、こちらにくださる?」
千鳥が笑みを浮かべて手招きする。
「ダメだ」
涼一は眉をよせた。
「たかが好きな男に会うために経済活動ムッチャクチャにしかけやがって。あんたとあんたに唆された罪人の亡霊たちがいる限り、ATMがロシアンルーレット状態だ。やってられるか」
「ATMよりセルフレジが困るな」
セルフレジで不動明王関連のホログラムに遭遇してしまった土屋が横から口をはさんだ。
「そんなのがなんだっていうの。わたしはあの人に会いたいの」
「うるせえメンヘラ! もう死んでるんだって言ってんだろが!」
涼一は声を上げた。
「泣かれたらどうすんの、鏡谷くん」
土屋が苦笑する。
「こういうのはハッキリ言わなきゃダメなんだよ」
「せっかくとり憑いたやつが使ってた電波とか、ぱそこんとか使ってお不動の剣を遠くの土地に運べたと思ったのに」
「やっぱメルカリに出したのおまえか。――残念でした。すぐ近くの引きこもりが買ってたよ」
涼一は自身の肩にかついだ倶利伽羅剣をグッと持ち直した。
千鳥が自身の長い髪をかきむしる。
「引きこもり……まえにあの人との仲を邪魔したのは代官だった! 引きこもりってこの時代の代官のことか?! おのれえええ!」
「いやそこは全然ちがう……」
涼一はげんなりして答えた。
「鏡谷が、さやりんと逢ったのもそれだったのかな。お不動さん、仕組んでた?」
土屋が顎に手をあてる。
「んじゃ自分でとり返せよ……」
「いろいろ都合あるんでしょ、神仏さんでも」
土屋が言う。
「しょせん生身の人間なんて、溺れたり高いところから落とされれば死ぬんだから」
千鳥が紅い唇の端を上げてククッと笑う。
涼一は、祠に向かって走り出した。
ともかく不動明王像の右手に剣を握らせれば解決する。たぶん。
大人ほどの背の高さの祠に走りより手をのばす。
木製の扉に手をかけた。
扉が開く。
真っ暗な祠のなかに、人型の仰々しい像の輪郭が見える。
不動明王の像か。
肩にかついでいた倶利伽羅剣を下ろそうとかたむける。
とたんに、ごうごうと大量の水の流れる音が耳に響いた。
足元には木製の質素な橋。
その下の暗闇を流れる溢れかえった河川の水。
「うわっ、またか!」
土屋の声が聞こえる。
またおなじ手か。
「ワンパターンなんだよ、メンヘラ!」
涼一は声を上げた。
幻覚だ。
目のまえには祠があって、その扉に手をかけたはず。
目に映るものがなんだろうが、まえに踏みだして扉を開ける動きをして、倶利伽羅剣をまえに掲げれば。
しかし、まえに踏み出せば川に落ちる。
見ているものが幻覚だと理屈でいくら理解しようとしても、五感には激しい川の流れがリアルに映り、ごうごうと恐怖感をあおる水音が聞こえ触覚には橋の上のを吹きつける冷たい風が、嗅覚にはほんのすこし血の匂いの混じった水と草の匂いを感じる。
涼一は、橋のへりから革靴を半分ほどはみ出させて、下を覗きこんだ。
「──あー、さやりん?」
土屋の声がする。
爽花と通話しているのか。
来る途中の車内で爽花に番号を聞いていたが、スマホはまともに使えるのか。
「ノイズ多いけど気にしないで。──がと、あとググッてほしいことあるんだけど」
しばらくして、チッと舌打ちする音が聞こえる。
やはり途中で通話が不能になったか。
「こイつ、首ちょ――んぱしようよ、千鳥さン」
「首ちョ――んぱ」
足元からカサカサという音とともに、なんどか聞いた独特のアクセントのしゃべりが聞こえる。
「不動明王ノ使イとかなまィきィ」
「ぉツるとコ太郎はこいつの首締めようとシテ失敗したから、やっぱり首ちょ――ンぱ」
おつるとこたろう。
爽花にとり憑いていた亡霊の名前だろうか。
ゾクリと鳥肌を立ててふり向くと、背後に大きな斧が掲げられていた。




