千鳥 ニ
「つまりうしろむきのホログラムだけ例外で、不動明王の通り道……」
涼一はつぶやいた。
ふと気がつく。
「そのホログラムだけ実害がないのはそういうことか?!」
「おお」
土屋がすこし離れたところで声を上げる。
「鏡谷くん、俺が紙幣見たのよかったじゃん」
「ぐうぜんだろ」
涼一は答えた。
「まえにお不動さまの剣を落としてやったときには、強面のお侍さんが使いでいらしたけど、今回はやさしそうな人でよかった……」
千鳥が楚々としたしぐさでうつむく。
やっていることの不気味さと、自身を鎮めてくれている不動明王への反逆ともとれそうな行動に反して、はかなげにか細い声で話すので、どういう相手ととらえていいのか判断に迷ってしまう。
千鳥がググッと爪に力をこめて涼一の顔をのぞきこむ。
「亡霊ってねえ、この世に介入する力はあんがい弱いの。知ってる?」
「……知らんわ」
涼一は答えた。
これだけ顔を近づけられても目鼻立ちがまったく分からない。真っ黒い輪郭だけの顔。
不気味なはずだが、ふしぎと精神的には通常運転だった。
「お不動さまの刀を落とすだけで何年もかかるの。すこぉしずつ、すこぉしずつ動かして、ズズッズズッて」
河原の水が背後でドプッドプッと音を立てる。
とうとつにザバザバと洪水のように大量に流れる音が聞こえたが、目で見える範囲の黒ずんだ水の流れは、浅くてきわめて静かだ。
ここが現実ではないおかしな空間だということが分かる。
「んで何してんの、そんなことして」
涼一は目を眇めた。
「しってるぅ? お不動さまのあの剣って、落としちゃうとお不動さまはあんまり力が発揮できなくなっちゃうの。ここの亡霊を抑える力も弱まって、調伏もむずかしくなるのよぉ」
「んで?」
「あたしはこんなところで鎮められてるわけにいかないの。夫婦になろうって約束した人がいるの。ほろぐらむに憑いて日本中わたり歩いてもさがしに行くの」
「ファ?!」
涼一はついついおかしな声を出してしまった。
「あの、いま令和」
土屋がさきにどストレートな答えを言う。
千鳥が沈黙した。
無言で涼一の顔をじっと見る。
「令和ってなに……」
「いやだから元号。あんたの生きてた時代のあとに明治になって大正になって昭和になって、バブルはじけて阪神大震災があって東日本大震災があって、菅さんが令和って発表して令和おじさんとか言われて、このまえ無課金おじさんが話題になって、――ともかく令和なの!」
言ってるうちに要点がわけ分からなくなった。涼一は一気に言いきった。
千鳥がじっとこちらの顔を見つめる。
「鏡谷くん、三密と猫ミーム抜けてる」
「やかましいわ」
涼一は力をこめつづける千鳥の手をグッとつかんだ。
「ともかくあんたの時代とちがうの。あんたの時代は二百年もまえなの。あんたの彼氏はとっくに亡くなってんの。分かるか理解しろ!」
ホログラムの亡霊の言っていた生まれ年がどれくらいまえなのか、爽花と電卓機能で計算したのを思い出した。
ふいに大丈夫かなあいつと心配になる。
剣を拾いさえすれば解決と思ってこちらに来たが、予定より長引いている。
まだこらえてくれているだろうか。
「ともかくお不動さまの剣どこだ。祠は? とっとと白状しろ」




