千鳥 一
「S県にこんな大掛かりな洪水対策の施設あるとか聞いたことないぞ……」
涼一はさらにあちこちを照らした。
洪水対策の施設なら、周囲はコンクリートかなにかで固められているのでは。
ここは均されているとはいえ土の地面。
天井であるはずのところに見えるのは、どう見ても高い上空にある夜空にしかみえない。
よほど天井が高い施設なのか。
しかし自分たちがついさっき降りてきたのは、ほんの一メートルか一・五メートルという高さではなかったか。
ずっと遠くのほうを照らして見ると、丸い石がゴロゴロと転がる河原のような風景が広がっている。
チョロチョロと水が流れているのが見えるが、しばらく見ていると透明だった水が黒ずんだように見えてきた。
まるで夢に出てきたあの処刑場の風景。
「土屋、なんか変じゃね? 巻きこんでわるい」
「うーん、巻きこまれた」
土屋が顔をしかめる。
とりあえず不測の事態にそなえるつもりなのか、土屋が指をかけてネクタイをゆるめる。
「戻るか?」
「戻れるなら戻るべ。百円ショップで数珠でも塩でも買い足して出直すか」
土屋がきびすを返す。涼一もそれに倣った。
顔のまえに、真っ黒な顔があらわれて前方をふさがれた。
「うっ……」
涼一は固まった。
鼻先ほどの至近距離に、自分をのぞきこむ顔がある。
これほど近いのに、顔立ちはまったく分からない。ただ面長な顔の輪郭と、ゆらゆらとなびく長い髪で女と分かる。
「……どちらさま。どけてくれませんか」
土屋が図太くもそう告げる声が聞こえる。
土屋には、土屋自身のまえにこの顔があるように見えているのか。
二人そろって顔をのぞきこまれている。
涼一は鳥肌を立てた。
本紫か今紫。
濃いめの紫地に派手な牡丹模様の描かれた着物を、艶っぽく着くずした姿。
なかに着こんだ真紅の襦袢を過剰にはみ出させ、足元も同様に着崩している。
暗闇に浮かんで見える真っ白い肩とほそい首と艶めかしい脚。
むかしの遊女だろうか。
「千鳥……とかいう?」
涼一はつぶやいた。
つぶやいてから、まずかったかと思う。
いまのところ土屋は、自身のまえだけに千鳥がいると思っているのだ。
両方にいるなどと知ったら、不気味すぎるのと勝ち目のなさを感じてパニックを起こされるかもしれない。
「わり、土屋。いまのなし」
「……そのセリフで逆に察したわ」
土屋がそう返す。
「アリなんでねえの? 素粒子とか同時に複数の場所にテレポートして、また一つに戻ったりするとかいうし」
土屋が言う。
自分なりに納得してくれたらしい。
涼一はホッとした。
「お不動さま、今回はいい男をよこしたね……」
つめたい女の声が脳内に響く。
千鳥の声だろうか。
「……どっちのことだろ、鏡谷」
「俺じゃねえだろ。爽花に ”モテなさそう" 言われたし」
「さすがJK。辛辣」
土屋がそう返す。
「こっちは、お不動さまの "道” だ」
「うわっ」
土屋が見えない何かにつき飛ばされたようにうしろにつんのめった。
そちらを向こうとした涼一の頭部を、千鳥が両手でガシッとつかむ。
「う……っ」
涼一はうめいた。
女性の力とは思えない。
グリッと食いこんだ長い爪から、悪意や怨念のようなものが流れこんでいる気がして恐怖を覚える。
「お不動さま、"使い” の体は、まっさきにとり返したんだ」
「使い……」
頭部にグググッと爪を食いこまされながら、涼一は復唱した。
言っていることは分かる。要するにあの行員のパシリか。
だが、"道” は何だ。
「道って?」
涼一は尋ねた。
「ア━━━━ッハハハハハハハハハハハハ!」
ふいに千鳥が、涼一の頭部に爪を立てながら高笑いする。
「う……やべ。統失?!」
涼一は目をすがめた。
「いや……鏡谷くん、こういうのは肯定してやらないと。否定はぜったいいかんってカウンセリングの先生もおっしゃってたでしょ」
「どこの先生。おまえどういうクリニックに行ってるの」
「お不動さまねえ、あたしたちを追うために道をいくつか作ったらしいんだ。あたしたちとおなじ方法で」
千鳥が高笑いをしながら言う。
「道……」
「あたらしいお金の、ほろぐらむってキラキラしてるきれいなやつに入って、自分の通り道になるほろぐらむを作ったの」
「通り道……」
涼一は復唱した。
そういえば爽花が推測していなかったか。
うしろ向きのホログラムに遭遇したときに、行員さんこと不動明王が現れているのではと。




