病院 玄関まɀ 一
スマホを耳のあたりに当てつつ涼一は眉をよせた。
これでもかこれでもかという不気味な出来事の連続。
これも熱中症のなかで見ている幻覚か何かなのか。
自分の脳がどうにかなっているのか。
電話口に出ているのは同期の社員だ。声で分かる。
日常的によく話している社員だ。似ている他人と自分とを間違うということはないだろう。
たぶん。
涼一はしばらく考えこんだ。
「え……と」
意を決して口を開く。
「──営業の鏡谷さまをお願いできますか?」
他社の人間のふりをしてそう告げる。
自分に成りすましてるのは、どんなやつなのか。
目的は何だ。
あの女性行員とちがって電話の向こうにいるのは確定しているのだ。
直接対決してやろうじゃないかと意気ごむ。
そうでもしないと状況がまるでつかめん。
「鏡谷ですか? ──えと。お名前よろしいでしょうか?」
同僚が問う。
涼一は少し考えてから口を開いた。
「──血洗島社の鏡谷と申します」
とりあえずそう名乗る。
「血洗島社の鏡谷さま……」
同僚がそう確認する。聞いたことのない社名にやや怪訝そうな声色になるが「お待ちください」と返す。
横にいるだれかに電話を引きついでいるような短い会話が聞こえた。
「──はい」
ややしてから、しわがれた年配男性のような声が通話口から聞こえる。
自分の声とは似ても似つかない。
よく成りすませてるなと涼一はあきれた。
「あんただれ」
涼一は単刀直入にそう問うた。
「はい──鏡谷デすが」
相手が答える。
抑揚のない気持ちの悪い話し方だ。
「鏡谷は俺。あんた何が目的」
「はい──鏡谷ですが」
相手がふたたびそう答える。
「鏡谷 涼一は俺だっての」
「はい──鏡谷 涼一です」
何だこいつと涼一は顔をしかめた。
ふざけているのか。
「どんなふうに周りごまかしてんのか知らないけどな、いまどき警察行ってDNA鑑定してもらえばすぐにバレるぞ」
「はい──鏡谷 涼一の、でーえぬえーかんてデす」
涼一はスマホを耳から離して画面を見つめた。
アルファベットの発音の超絶苦手そうな話し方。
いまどき高齢者でもここまでの人はなかなかいないんじゃないか。
「あんたいくつ。昭和の何年生まれ?」
「はい──天保十一年生まれデす」
涼一は、顔をしかめてふたたびスマホの画面を見た。
「昭和」と言ったのは煽りのつもりだったのだが、そうきたか。
逆にこっちが煽られているんだろうか。
「ふざけんな。このまま警察行くぞ」
「──警察デスカ、ハイ。お気をつけテいってらっしゃい」
電話の相手が、抑揚のないしゃべり方で返す。
なんだこいつ。
いったい、いま同僚の横でしゃべっているのはどんなやつなのか。
自分とおなじ顔をしているのだろうか。
こんな変なやりとりをして、同僚は変に思わないのか。
何とか同僚に話をつけて動画か画像を送信してもらうことはできないだろか。
どう話を持っていったらいいのか。
それとも思いきって見たものあったことそのまま話すか。
「分かった。──さっきの人に代わってくれるか」
涼一はそう告げた。
「さっきの人……」
電話の相手がとまどったようにつぶやく。
拒否だろうか、それとも言われている意味が分からないのか。
「あんたに内線つないだ女の社員」
「女の……」
成りすましのしわがれ声の人物は、素直に代わってはくれるようだ。
短いやりとりをする女性の声が聞こえる。
「──きゃ?!」
電話口で何かガタガタと音がしたあと、さきほどの同僚の悲鳴が聞こえる。
「なに?!」
思わず涼一は大声で尋ねた。
「──あ、申し訳ありませんでした。お電話、代わりました」
同僚がやや動揺した感じで通話口に出る。
「何かありましたか?」
涼一は問うた。
自分に成りすました得体のしれないやつがすぐ横にいるのだ。このうえ何をはじめられてもおどろかない。
「──あ、いえ。ご用件うかがいます」
同僚がそう返す。
「ええ──」
この同僚にぜんぶ説明してもいいが、いちど他社の人間のふりをしているのだ。まずそれがウソだと呑み込んでもらうのにモタモタするかもしれない。
その間、となりにいる得体のしれない成りすましに勘づかれて何かされたらどうする。
「えと──土屋さまをお願いしたいんですが。土屋 大輔さま」
涼一は、さきほど保険証を持ってきてもらおうかと思い浮かべた同僚の名を言った。
「──土屋は席を外しておりますが」
「あ──じゃあ、直接スマホのほうにかけますんで。失礼します」
よかった、たぶん社外にいる。
成りすましに聞かれる心配なく説明できそうだと涼一は思った。