自宅アパート 一
アパートの部屋の鍵を開け、入室する。
ボールを置いたシンク、洗ってないコーヒーカップ、雪平鍋を置いたガス台。
水場と部屋を仕切る引き戸を開けると、カーテンを開けたままのうすい陽の射す八畳のフローリングの部屋がある。
かけ布団のタオルケットを雑に整えたベッド、ノートPCを置いたテーブル。着替えたさいに置きっぱなしにしたハンガー。
出かけたときのままだ。
「成りすましはここは来てなかったのか……? 夜はどこに帰ってんだ」
涼一は室内を見回した。
「成りすましてから個人情報をつかんでいくシステムなんだとすると、住居まではまだつかんでないとか? そもそも亡霊だと疲れないから寝床にする部屋が要らんのかもしれんけど」
言いながら、土屋がしゃがんで冷蔵庫をのぞきこむ。
「何見てんだよ」
涼一は顔をしかめた。
「成りすましに勝手に食材消費されてないかなって」
「ふだん置いてる食材知らんのに分かんのか」
涼一は冷蔵庫に近づきドアを閉めた。
「キンキンに冷やしたペプシとかあったらもらおうと思ったんだけど」
「ない」
涼一は答えた。
「むかしの人間だと、冷蔵庫で保存しなきゃならないものは食べないか……?」
「ああ……なるほど」
土屋が水回りと部屋を見回した。
「ここ来てたら、土間はどこだとか発狂したかもな。どこで火を焚くんだとか、厠はどこだとか」
「時代ちがうのに成りすましても苦労すると思うけどな」
もういちど部屋にもどろうとして、涼一はふと冷蔵庫と壁のあいだに目線を落とした。
とっさに目を見開いて後ずさる。
壁とのせまい隙間。冷蔵庫の側面に、べったりと血の手形がある。
「これもしかして?」
来てたのか。
土屋が同じところを覗きこむ。冷蔵庫と壁との隙間に手をのばし、自身の手をかざした。
「おまえよくそんなの触れんな……」
「触ってない。変なウイルスあってもヤダし」
ウイルスがある場合があるのか。
たしかにむかしの人の血液ならいまではめったにない細菌やらウイルスやらありそうだが、霊現象の血でもそんなことあるのか。
「あったら、わざわざ成りすますより細菌テロできそうだけどな……」
涼一は顔をしかめた。
土屋が隙間から手を引いて、自身の手を指さす。
比べてみろということか。涼一は自身の手のひらと比べた。
「やっぱ何かちっちぇえな、むかしの人の手ってみんなこんなか? 女の亡霊かな」
「人にもよるんじゃねえの? 農民とかはデカそうだけど。知らんけど」
涼一は答えた。
土屋がかがめていた身体を起こす。
「まえにむかしの人が着てた着物の博物展見に行ったらさ、江戸時代の前期と後期で着物の丈の平均ちがうんだなって気づいてさ」
「そんなの見に行ってんの、おまえ」
涼一はあらためて部屋に入った。
「顧客からチケットもらったんだよ。次行ったとき感想言わないわけにいかないでしょ」
土屋が後をついてくる。
わかる。
同じ理由でピアノのコンサートに行ったことがある。
「何にしても、ここで寝起きしてたら夜中に鉢合わせ必至だな。必要なもん持って逃げるか」
涼一は部屋を見回した。
持って行くとしたら、着替えとPCか。
「逃げこむさきの当てあんの? 実家?」
「さっきのS県の子の家にきのう一泊させてもらった。最終的にあっちの土地に何かありそうだし、また世話になるかもとは言っといた」
「JKの家にお泊まりとかラノベ風の男の夢って感じ。俺も同じ部屋でいいから泊めてくんね?」
土屋が冗談めかして言う。
「おまえもいっしょに来たら、って言ってくれてたけど」
涼一は言った。
土屋が「へー」と相づちを打つ。
「細かい気遣いする子なの?」
「その割にふとんは一組でいいかとか言ってたけどな。気遣い的なのはあるけどけっこう付いて行けない性格してる」
「客用のふとん、一組しかないんじゃないの?」
ふいに土屋がスーツのポケットに手を入れた。着信らしい。スマホをとりだしてタップする。
涼一は宙を見上げた。
「んじゃおまえも来るなら、ふとんレンタルするか。ご迷惑かけちゃいかんし」
「あ━━━━お世話になってます。いや申し訳ありません。道路混んでまして。四時まえには着くかと、いやすみません」
顧客からか。
笑顔でペコペコお辞儀してたかと思うと、土屋は通話を切り真顔になった。
「やべ、行ってくるわ。五時にここ来るか電話する」
「おう」
涼一は返事をした。
とりあえず成りすましが代わりをしている自分は、こいつよりは動きやすいなと思う。
幸か不幸なのか分からんが。




