株式会社わた၈はら 社内
自宅の様子見もかねてアパートで話すかということになったが、アパートの鍵をカバンごと会社に置きっぱなしだったことに気づいた。
とりあえず土屋が運転する社用車で会社にもどったが、他人から見ると渋沢 栄一の顔に見えるらしいので、できるかぎり社内の人間と顔を合わせないよう入りこむ。
「よし、だれもいない。こっちだ」
廊下の壁にピッタリとくっつき、土屋が誘導する。
何か変な感じだなと涼一は顔をしかめた。
自身の机のあるフロアまでは、あと数メートルほど。
アイボリーを基調とした廊下はシンとして静かだ。
ほかの社員に不審者あつかいされるのを警戒しなきゃならないのもあるのだが、なりすましたホログラムの亡霊に見つかるのも先ほどの襲撃を考えたら恐怖だ。
まさか自分の職場が、二つの勢力に警戒しなきゃならないダンジョンになるとは思わなかった。
「よし、こっちだ」
「あ、土屋さん」
誘導していた土屋が目を大きく見開く。
おなじ営業課の女性社員が、小走りで駆けてきた。涼一のほうをチラリと見て会釈する。
「えと、お客さま……?」
土屋にそう問う。
土屋が目を丸くしながらこちらを見た。
こちらは渋沢さんに見えるのに、土屋はふつうに見えるのか。
北里さんの紙幣だったからなのか、それとも遭遇したのがうしろ向きのホログラムだったからなのか。
ほんとパターンがつかみづらいなと思う。
「えと……血洗島コンツェルンの渋沢です」
涼一はそう答えた。
「ああ……お世話になっております」
女性社員が社交辞令でそう答えてお辞儀する。
お世話してるわけないんだけどなと涼一は内心で返した。
「T社の基板が上がるのが大幅に遅れて、さっき田中さんがT県に新幹線で行くついでに届けてくるって出たけど」
「あ、そうなんだ。ありがとって電話入れとく」
女性社員が手をふって立ち去る。
「T社って、T県のか」
涼一は小声で確認した。
「んだな」
「T県って新幹線あった?」
土屋がこちらに背を向けて、しばらく沈黙する。
たしかT県は素通りすらしないはずだが。
「……ま、このさいいいか」
土屋が気を取り直したように廊下の壁を背中で這う。
「んだな」
涼一は答えた。まあ何とかするんだろう。
自身のデスクがあるフロアに入る。
ニ、三人の同僚がまばらにデスクに座りPCのキーボードを打っていた。
どうやら土屋は他人にはふつうの顔に見えるようなので、土屋の横に隠れるようにして自身のデスクに向かう。
「あった」
涼一は小声で土屋に告げた。
カバンをデスクの上に置き、なかを確認する。デスクの上もざっと確認するが、とくに成りすましに取られたとか壊されたというものはないようだ。
いままでの様子からすると、成りすましは他人の生身のからだを乗っとっても知識が江戸時代で止まっているようだ。
怪しまれないように、よく分からないものは触らなかったということだろうか。
「社用車のキーは?」
土屋が小声で問う。
「銀行に行くまえ、いったん返してた」
そういえば成りすましは現代の車なんか運転できるのか。
乗らずに何らかごまかしてるのか。
「んじゃ、りょんりょんはアパートまで送るわ。俺はニ件ほど行くとこあるから、五時にりょんりょんアパート訪ねるか電話する」
「……その呼び方やめろ」
涼一は顔をしかめた。
カバンを持つと、土屋がフロアの出入口を無言で指さす。
涼一はうなずいて土屋とならんで出入口まで移動した。
「あれ、鏡谷? さっき駐車場にいなかった?」
少し離れた位置にあるデスクから、同僚が声をかけてくる。
涼一は「うっ」とうめいた。
「出たのかと思ってた」
「あー忘れもの」
外の天気が気になっているふりをして、同僚からさりげなく顔をそらす。
「あれ?」
同僚が怪訝そうな声音で言う。
「なんか髪が変っていうか、ホログラム? あれみたいに見えるけど何かつけてる?」
涼一はふたたび「うっ」と言葉をつまらせた。
亡霊のホログラムに憑かれてない人間には、今はそう見えるのか。
「ええーそう? 何も変わってないけど」
土屋が髪を覗きこむふりをして同僚から頭部を隠してくれる。
「ナイス」
涼一は口だけをそう動かして告げた。
「マックのダブルチーズバーガーセット」
土屋がそう小声で言う。
「高い。エッグチーズバーガーセット」
土屋がこちらをのぞき込むように見たまま無言で眉をよせる。
涼一も目を眇めて見返した。
そのままそろって入口まで歩を進めた。




