K縣K驛 二
スマホの画面を見つめたまま、涼一はしばらく固まった。
爽花の家で二回ほど見た気味の悪い夢。
大勢の血みどろの人々が向かっていた建物が実在している。
S県の造幣局の支局。
やはり解決のカギはあの土地なんだろうか。
しかし何で自分がいきなりあの土地にいたんだ。
涼一は眉をひそめた。
おかしなホログラムを見た人間は、日本中にもっといるはず。
どうする。
とりあえず爽花に話してみるか。
あのスマホをぜったい離さん中毒ぶりで情報収集をはかどらせてくれるかもしれん。
涼一は、スマホの時間の表示を見た。会社の出勤時間には、確実に遅刻だ。
どうせ遅れるなら一本電話を入れるくらいあんまり変わらんか。
爽花と交換した電話番号にかける。
血洗島の病院で逢って以降、こちらが寝るまでほとんどスマホを離さなかったのだ。
すぐに出るだろうと思ったが、意外にもけっこう時間がかかった。
「──ふぁい」
ようやく爽花が眠そうな声で通話に出る。
「俺。鏡谷──何したの」
早朝にあの家を出たときは元気そうだったが、具合でも悪くしたのか。
「かがみや──って、だれですかぁ?」
爽花がそう返す。
「え……」
涼一は固まった。
もしや、これも怪現象の一つか。
さきほどまでおなじ家のなかですごした相手が、たった三時間ほどで自分の記憶を失くしている。
ホログラムでとり憑かれた者同士に手を組ませないための亡霊の仕業か。
こいつはわざわざ病院まで被害者仲間を求めて来たやつなのに。
「おい! 俺だ、しっかりしろ。思い出せ!」
「──ん? 鏡谷って、りょんりょんじゃん」
爽花がムニャムニャ混じりの声でそう返す。
何だ、覚えてるのか。
涼一は拍子抜けして眉をよせた。
「朝、起きてなかった?」
「りょんりょんに朝ごはんオススメしようと思って、がんばって早起きしたのぉ。そのあとお風呂入って二度寝したあ」
爽花がそう答える。
同居の引きこもりとそう変わらんグダグダ生活だな。涼一は顔をしかめた。
まあ学校に通うのがむずかしい状況なんでこうなるのは分かるが。
「──なに? なんかあったぁ? K県ってもう着いたのぉ?」
「ついさっき」
涼一は答えた。
「──けっこうかかるねー。近県なのに」
「乗り換えの必要あって」
「──そうなんだぁ」
爽花が言葉の合間に「ムニャ」だの「ふぁ〜あ」だのはさむ。
寝起き悪いなこいつと涼一は思った。
「──どうしたのぉ? なんか新情報ぉ?」
「いちおうそうだけど、眠いならあとにする」
「いいよぉ──話してえ」
爽花がそう返したが、この状態で理解力があるとは思えない。
「いい。急ぐ用事でもないし」
「──そなんだあ」
まあ、ただの偶然かもしれないことだし。
夢で見た建物と現実の建物がよく似てるとか、できすぎだよなと思う。
涼一は、スマホの通話を切った。
同僚の土屋のスマホにかける。
「──何」
二、三秒ほどで土屋が出る。
声を聞く限りは通常通りの土屋だ。涼一はホッとした。
「俺なんだけど。いまどこ」
「──取引先に行くから車に乗ったとこ。何か言いわすれたの?」
土屋が問う。
涼一は眉をよせ彼の発言の内容を推測した。
察するに、ニセモノ鏡谷と話して別れた直後か。
「それ俺じゃない。どっか外で会える?」
土屋が不可解そうに沈黙する。
「──どこ」
しばらくしてからそう尋ねてきた。
「……ちなみにおまえ、新紙幣って見た?」
「見てない」
土屋が即答する。
よかった。まだ見てない人間は日本国内にいるのか。
「昭和生まれが言ってたな。まえまでは新紙幣が切り替わったらその日にひととおり見たもんだけど、今回はなかなか見かけねえなって」
土屋が言う。
そうなのか。
まえの切り替わり時は小学生だった。よく覚えてないなと思う。
「なかなか金が回んなくなってんじゃねえのとか、きのう営業先でも聞かされた」
そこまでは考えなかったと涼一は思った。
今はキャッスレスが多くなったからとか二、三日まえにネットで見た気がするが。
いずにしても、新紙幣の普及率を知るまえにおかしなことに巻きこまれたんだ。そこまで考察してる余裕があるかと思う。
「ともかくどっかゆっくり話せるとこあるか?」
「よく分からんけど」というようなことを土屋がつぶやく。
「──朝いちで二社行ったら、昼まえに車んなかで着替えてネカフェで昼寝しようと思ってたんだけど」
土屋が答える。
ほかの季節なら車内で昼寝もありだが、暑いからなと涼一は思った。
昼に向けて気温はもっと上がる。
「んじゃ、駅前のネカフェ」
「何かしらんけど」
土屋が了解ととれるような返事を返す。
「あ、来るまで新紙幣ぜったい見んな。死んでも見るなよ」
「──何なん」
土屋が不審げに返した。




