木蘭色၈法衣၈僧侶 三
「せーそんみょうそうぐ がーこんじゅうもんぴ ぶっしーがーいんねん みょういーかんぜーおん ぐーそくみょうそうそん げーとうむーじんにー にょーちょうかんのんぎょう ぜんのうしょーほうしょー ぐーぜいじんにょーかい りゃっこうふーしーぎー じーたーせんのくぶつ ほつだいしょうじょうがん 」
倶利伽羅龍王が、僧侶をつかもうとのびた無数の手に牙をむく。
ぶるる、と首を小刻みにふって数十本を一気に噛みちぎった。
涼一は龍王の動きに合わせて剣をささえる。
すでにかなりの数の白い手を龍王が噛みちぎったはずだが、玄関口からはつぎつぎとうにょうにょとした手が入りこんだ。
「どんだけいるんだ。ほんとに悪徳僧侶の霊だけなのか?」
涼一は玄関口の向こうをうかがった。
「がーいーにょーりゃくせつ もんみょうぎゅうけんしん しんねんふーくうかー のうめつしょーうーくー けーしーこうがいいー すいらくだいかーきょう ねんぴーかんのんりき かーきょうへんじょうちー」
「分かんないけど、ほかの海で死んだ幽霊もいっしょになっちゃってるか、それとも悪徳僧侶さんたちの怨念が強すぎて、このくらいじゃ成仏しないとか」
土屋が横でそう答える。
「おい、これどんだけあるんだ、あんたどこまでやったら調伏いける!」
涼一は声を上げて問うた。
僧侶がこちらを向く。
手を合わせながら軽く一礼した。
「わくひょうるーこーかい りゅうぎょーしょーきーなん ねんぴーかんのんりき はーろうふーのうもつ わくざいしゅーみーぶー いーにんしょーすいだー ねんぴーかんのんりき にょーにちこーくうじゅう」
「おいっ!」
「あのー、すみませーん、通訳おねがいできますかー?」
土屋が幽霊夫婦のいたあたりに声をかける。
幽霊夫婦は姿を消していたが、玄関と台所のあいだにあるフリースペースの天窓の向こうかからこちらをのぞくようにして姿をあらわした。
「避難してるとこすみません、通訳おねがいします」
もういちど土屋がそう言うと、幽霊夫婦の夫が夫人をうながすように目配せした。
「あらあらまあまあ、はいはい。お坊さんね。――ええと」
老夫人が窓越しに僧侶のほうを見る。
僧侶が手を合わせたまま、そちらを向き礼をした。
「ええと、“不動明王のお使いさまにご説明申し上げるのは釈迦に説法かと思われますが、僭越ながらお答えいたします。――わたくしがお仕えする観世音菩薩さまは、慈悲による衆生の救済を本願としており、怨敵や悪鬼を降伏させるという意味での調伏は直接の本願とはしておりませんので” 」
「は」
またもや玄関口から入ってきた無数の手を、僧侶が観音経を唱えながら避ける。
倶利伽羅龍王が天井までとどく体をうねらせ、一気に噛みちぎった。
「ちょ、待て」
涼一は、龍王の動きに合わせて剣をかまえ直した。
「調伏じゃねえのか、こらっ!」
「 “あくまで救済でございます” ――あらあらまあまあ、床がびしょびしょ」
噛みちぎられた手が床で水状になりびちゃびちゃと弾ける様子を見て、老夫人が口に手をあてる。
「どうしろって……!」
涼一はふたたび剣をかまえ直した。
「よく分かんないけど、調伏ってのは不動明王のほうじゃないの? 調伏法ってのがわざわざあるみたいだし」
うしろでサポートしていた土屋が告げる。
「どこの仏でもあるわけじゃないのかよ」
「観音さまも化身によってはあるのかもしれないけど、本来のやりかたじゃないって意味でしょ、たぶん」
「あっちも化身あんのか」
「ゆうべ軽く調べた。三十三の化身があるんだってさ」
「ぅえ」と涼一はうめいた。
こちらの不動明王ですら、大日如来の化身で倶利伽羅龍王の本体なんていう意味分からん正体持ちなのだ。
三十三ってどうなってやがんだと涼一は思った。
「つまりあとどうしろっての。連中が救済されるまで延々とこれやってろってか?」
涼一は、龍王の動きに合わせてググッと剣をささえた。
噛みちぎられて水状になった幽霊の手のしずくが、ピチャッと顔にかかる。
「何のことはないでしょ。行員さんが船幽霊の手さえ封じてくれればって言ってたんだから、こっちはこっちの仏さんにだけ従ったらいいんでないの?」
土屋が言う。
涼一は剣をかまえながら土屋を見た。
「……そういうこと?」
「鏡谷くん、不動明王のほうのお使いだし。そうでしょ」
「ああー」と涼一は納得の声を上げた。
「他社と合同の仕事あっても、自社の方針にしか従わんもんな。だよな」
「いつもの社畜の鏡谷くんが戻って何より」
土屋が苦笑いする。
「いきなりややこしく考えてた。助かった」
涼一は、しずくのしたたる前髪をかき上げた。




