救急車၈中 一
目を覚ますと、涼一は見たことのない二畳ほどの部屋に寝かされていた。
天井も低く、いびつな形をしている。
寝かされているベッドは、いやにせまい。
ベッドの横にあるものものしい機材や細かい器具の入った棚。
ヘルメットをつけた男性がこちらを覗きこんでいる。
この男性の服装は、ネットかなにかで見覚えがあった。救急隊員とかじゃないだろうか。
ということは、もしかしてここは救急車内。
さきほどからやかましい音が聞こえていると思ったら、自分が乗っている救急車のサイレンの音かと理解する。
「聞こますかー? 私の声、聞こえますかー?」
救急隊員が声を張って呼びかける。
「あー……聞こえます」
涼一はそう返した。
頭部がゴロンと取れる気持ちの悪い経験をした気がするが、あれは夢か。
熱中症か何かで倒れたんだろうか、恥ずかしい。
「ご自分のお名前は、言えますか?」
救急隊員が大きな声で尋ねる。
「鏡谷 涼一です。熱中症とかですか? すみません」
涼一は苦笑した。
「お歳は」
「あー……二十七」
救急隊員が、一瞬だけ奇妙な顔をした。二、三度まばたきしてから、「ああ……」と返事をする。
「ご住所、いいですか?」
「片吉です。片吉一丁目のアパート」
涼一は答えた。
救急隊員がまたも奇妙な顔をする。
「片吉……というと」
「朝石市片吉ですけど」
「朝石市……」
救急隊員が軽く眉をよせた。
「ご自宅が朝石市ということですか?」
「ええ……」
涼一は困惑してそう返した。
銀行の駐車場までは記憶がある。
倒れたとしたら、その付近だろう。
自宅は会社ちかくのバス停から市営バスに乗って二十分ほどのところ。おなじ市内だ。
住所を聞いて首をかしげるということはあるのか。
「すみません、ご自宅は何県か、聞いてもいいですか?」
「何県って……ここですけど」
「朝石市という地名はたぶんちょっと……」
「ないと思う」と言いたそうなのを、救急隊員は言葉をにごした。
「K県ですよね?」
「S県です」
救急隊員は答えた。
個人情報を聞き出すのが目的ではない。あくまで意識がはっきりしているかを確認するためのやりとりだ。
救急隊員は、まだ意識がはっきりしていないのか、それとも記憶が混乱しているのかと判断したようだ。
「どこか痛いところは」
そう問う。
「いやとくに……」
涼一は頭を掻こうとした。頭部に手をやる。
ない。
髪をさわろうとした手が、スカスカとすり抜ける。
大きく手を動かしていろいろな角度からさわろうとするが、頭部と思われるものはまったく手にふれてこない。
「えっ、あれ?」
涼一はなんども手を動かした。
「どうしました?」
救急隊員が問いかける。
「頭が……ていうか顔がなくて」
救急隊員は怪訝な顔をした。
「あれ? うそ。何だこれ」
あれは夢では。
熱中症なのか何なのか分からないが、現実なわけがない。
「ありますよ?」
救急隊員が涼一の手をとり、頭のあるはずのところに誘導する。
「さっきから頭を避けるように手を動かしてるんです」
そう救急隊員が言う。
「ほら、頭あるでしょう?」
救急隊員が頭のあるあたりで涼一の手を左右に動かす。
しかし涼一の手には何もふれてこない。
「ないですけど」
「ここは? 耳ですけど」
救急隊員が横のほうに手を引っ張る。
変わらず何もふれてこない。
「いえ。……すみません」
「ここ。目ですけど」
目の前に自身の手が迫ってきた。
だが、手には何もふれてこない。顔と思われる部分にも触れられている感触はない。
救急隊員が軽く息をついた。
「病院についたら、脳のCT撮ってもらったほうがいいかもしれませんね。倒れるときにどこか打ったのかも」
女性行員に抱えられた自身の頭部を見たのは、意識をなくすまえだったような。
それともあそこからもうどこかを打っていたのか。
あのとき声をかけてきた女性行員。
あれは実在する人だろうか。
それとも意識のない状態で見た夢の中の登場人物なのか。
はじめて見た行員だったが、もし実在しているなら倒れたときの様子を知っているだろうか。
救急車がカーブする。低い段差を乗り上げた感覚があった。
病院と思われる施設の敷地内に入る。
ならんだ大きな植えこみの木と、石碑のようなものが救急車の窓の外を流れていくのが目に入った。