木蘭色၈法衣၈僧侶 二
こちらの言葉は分かるのか、僧侶がコクコクとうなずく。
「ええと」
老夫人が僧侶の顔を下からのぞき見る。
「要点ですって。よろしい?」
僧侶が再度うなずく。
「 “失礼いたしました。時間もあまりないというのについ。――元禄のころに長徳観音寺に安置されておりました観世音菩薩さまは、内陸に移転した当初こそは津波の犠牲者を心配してもとの海辺に戻られていたのですが、犠牲者をすべて成仏させたのちはとくに戻ろうとする意思はなく、現在の寺社の厨子から海を守っておりました” 」
「……おう」
涼一は相づちを打った。
「あんたに絡んでた、うにょうにょは何もの?」
「 “あのうにょうにょは、補陀落渡海という形で処刑された悪徳な僧侶どもの霊団でして。先日、観世音菩薩像がご開帳になったおり旅の者をそそのかして観世音菩薩像を盗ませたしだいです” ――あらあらまあまあ、そうなの? たいへん。警察には? 届けたの?」
通訳をしていた老夫人が、途中から私情を入れる。
「つか極楽浄土だかホトケ界ってのは、うにょうにょって標準的な言葉なのか? 行員さんもうにょうにょって言ったら、うにょうにょって返してたよな」
涼一は顔をしかめた。
「自分でうにょうにょ言っててそれはないでしょ、鏡谷くん。合わせてくれてんじゃないの?」
土屋が苦笑する。
「 “悪徳とはいえ相手は曲がりなりにも僧侶。それが霊団ともなるとわたくし一人の力ではさすがに抑えきれず、出身の村で信仰しておりました波切不動明王さまにご助力をお願いしたところ、ありがたくも応じていただきまして” 」
「つか俺らにやってほしいのはなに? とりあえず盗まれた観音さまの捜索?」
涼一は問うた。
「 “いえ。さいわいにも観世音菩薩さまはとりもどしました。盗んだ旅の者の通行手形である、ぱすぽぉととやらを奪いまして。返してほしくば観世音菩薩さまを置いて帰られよと”」
「あー」
土屋が宙を見上げる。
「パスポートね……」
涼一はつぶやいた。
「 “されど悪徳な僧侶どもの霊団、うにょうにょが観世音菩薩さまをふたたび遠くへと追いやりこの海一帯で暴れようと、わたくしを追尾しておりまして” 」
「は?」
「追尾?」
涼一は、土屋と顔を見合わせた。
つぎの瞬間。
バァンと音を立てて玄関のドアが開いた。
入口から無数の白い手がニュルニュルと建物内部へと入り、僧侶の木蘭色の法衣をつかむ。
「ぅわ、お坊さま!」
「あらあらまあまあ、なに? イカ? タコ?」
老夫婦がそれぞれに声を上げて奥へと逃れる。
「ありがとうございましたー、あと通訳はいいんで。危ないから逃げててください」
土屋が老夫婦の幽霊に声をかける。
「鏡谷くん、こんどはどう? おぼれる幻覚は」
土屋が早口で問う。
「ない」
涼一はみじかく答えた。
「このにょろにょろを退かして坊さんの調伏をサポートしろみたいな?」
涼一は倶利伽羅剣を強く握った。
「いざとなったら羂索で引き上げてやる。ぜったいおぼれることはないって思ってて」
土屋が羂索を両手で持つ。
「おう。まかせた」
涼一は倶利伽羅剣を両手でかまえた。
錆びた古美術品のようだった倶利伽羅剣に刃物の光が宿り、巻きついていた倶利伽羅龍王が、黒々としたうろこを光らせて空中にのびていき大きな頭をもたげる。
ガッと巨大な口を開けると、倶利伽羅龍王は僧侶をつかんだ無数のひょろ長い手に向かって突進した。
一気に数十本の手の束を噛みちぎる。
白い手がぼたぼたと床に落ちていき、ぬるっとした水状になり消える。
幽霊夫婦の夫が声を上げるのが聞こえた。
「龍王さままで。うわぁ……」
「あらあらまあまあ、おヒゲのヘビちゃん強いこと」
龍王がクイッと方向転換して幽霊夫婦のほうに頭を向ける。
ガッと口を開けた。
「こら遊ぶなっ!」
涼一は倶利伽羅剣を支えつつ声を上げた。
ここまで二度ほど見て分かった。この龍王は、どうも悪ふざけが好きらしい。
「ぐる?」と小さくうなって涼一のほうを向くと、こんどは涼一のほうに突進してゴツゴツのうろことヒゲの生えた頬をすりよせた。
「あー分かった分かった。あとでかつお節やる」
てきとうにそう声をかけると、倶利伽羅龍王は大きな体を剣に沿ってうねらせ、玄関口からさらに侵入した細い手の霊団に牙をむいた。
数十本を一気に噛みちぎる。
ぼたぼたぼた、と床に水状になった手が落ちた。
僧侶が、自身をとらえた数本の手を自力で引きちぎる。
負けじと僧侶に追いすがった数十本の手を、倶利伽羅龍王が襲いかかり噛みちぎった。




