開ヵव"၈観音 一
「──はい、土屋」
一階のリビング。
ロフトよりもあかるい白色灯の照明のもと、焼き魚の夕飯を終える。
食事を終えてすぐにかかってきた通話に土屋が対応した。
涼一は後かたづけをしようと台所に食器をはこんだか、あとは幽霊の老夫婦がやってくれるというのでまかせてリビングのソファにもどった。
台所からカチャカチャと食器を洗う音が聞こえる。
自分もなにげに馴染んでるかもしれんと思いながら、通話に対応する土屋の様子をながめる。
「あーなるほど。そんなのあったんだ。──鏡谷くんいま来た。スピーカーにするからもう一回それ読み上げてくれる?」
土屋がスピーカーのアイコンをタップする。
「だれ」
「さやりん」
土屋が答える。
涼一は思いきり顔をゆがめた。
「寝なかったの? あいつ」
「K大橋の近くに “開かずの観音” ってのがあって、そこについてリプくれた人がいたんだってさ。俺がかいつまんで伝えるより早いでしょ」
「いや、おまえが三行にまとめたほうがぜったい早い」
涼一はそう返した。
「──もいっかい読んでいい? 土屋さん」
爽花の甲高い声が通話口から響く。
「──りょんりょん、土屋さんとの二人きりの時間を邪魔してごめんねっ。でもでも調べものしてほしいってゆうからさー」
「……よう分からん文言をはさまんと死ぬ病気なの? こいつ」
涼一は顔をしかめた。
「えっとそのまま読むね── “FF外から失礼しま”……」
「それ抜いて伝えろってまえから言ってんだろ。そこ省略。一部抜粋しろ」
「──えとえと。FF外から失礼しますを抜く…… “ってさきほどフォローさせていただいたのでFF外はもういいんでしたね、はは。いつもの癖で書いちゃいました。いかんいかん。これが僕の悪いところ” 」
何とも言いがたいイライラを覚えて、涼一は額に手をあてた。
「そのまま読み上げてもらったほうが早いんじゃない?」
土屋が口をはさむ。
「就職したらどうすんの? こいつ。役立たずOLの爆誕だろ」
「さやりん、鏡谷くんのよけいな心配はいいからそのまま読み上げて」
土屋がそう伝える。
「よけいな心配って何だこら」
「──えとえと。“K大橋の付近の不動明王か観音菩薩というと、あんまり有名じゃないんですが、S市の開かずの観音ってのがあります。さいきんの祠や寺社の何かありそうな話って、この付近ではこれくらいですかね」
「開かずの観音……」
涼一はつぶやいた。
「 “観音菩薩、または観世音菩薩ってのは、海の安全を守る菩薩さまでして、この開かずの観音さまってのは、もともと海辺に近い観音寺にあった観世音菩薩像なんですが、元禄の時代にこの辺り一帯が津波に襲われたさい、寺の住職と僧侶たちが内陸のほうに避難させまして (続きますね)” 」
「津波か……」
土屋がつぶやく。
「元禄ってどのへん」
涼一は問いながらテーブルに置いた自身のスマホを手にとった。
江戸時代中期、徳川綱吉の時代とざっくりとした説明が出てくる。
「えとえとつづき──あった。“のちにK大橋のすぐ近くに再建した観音寺に観世音菩薩像を安置したんですが、この観音さま、安置してある厨子の扉を開けるとすぐに元いた海辺のほうに帰ってしまうといわれていまして、そこから厨子の扉を開けなくなったんですね。開かずの観音と呼ばれるようになったのはそこからです (続きます)” 」
「もといた場所に帰ってしまう……」
土屋がつぶやいた。
「わがままなの? 律儀なの?」
涼一は少し引いた。
「──えとえと。つづき読むよー」
爽花がそうつづける。
「おう、はよ読め」
涼一は前髪をイライラとかき上げた。
「 “じっさいはまったく開けないというわけではなく、三十三年にいちど一日だけ扉を開けて一般公開していたそうです。なぜ三十三なのかというと、さやりんさんはすでにご承知かもしれませんが、三十三というのは観世音菩薩の化身の数といわれていまして。そこから三十三というのは観世音菩薩の数なんですね (続きます。長文ごめんね)” 」
「あの意味不明JKがそんなのご承知なわけねえだろ」
涼一は眉をよせた。
波の音が、外からひときわ大きく聞こえる。
「 “西洋のカバラでも三十三というのは最高数という位置づけでして、この誕生数の人はほとんど人間じゃないとかいう占いもありますよね。話が逸れますけど、三十三に三十三をかけた千八十九という数は素数でして、この千八十九を三十三行に分けて表記すると、三十三行の数すべて素数になるという。ここから僕なんかは素数のほうにもハマってるんですが (続きます)” 」
「数学の理論の話とかだいじょうぶか? まえにポアンカレ予想の話ししたとき軽くパニクってたぞ、お団子」
「鏡谷くん、ポアンカレ予想とか何それ雑談で? すげえな」
土屋が苦笑する。
「ユーチューブ動画の解説レベルだけどな。ドーナツとコーヒーカップとかしか知らんけど」
涼一はそう返した。
「──つづき……あった。“話が逸れました。三十三年にいちど観世音菩薩像をご開帳するさいは、もちろんここにいてくださいねとお願いする儀式をちゃんとやるんですが (この儀式も一般公開されていまして、僕は以前見に行ったことがあります。観音寺の僧侶総出でやるのでこれはこれで見応えあり)、(続きます)” 」
爽花が「えーとえーと」というセリフをはさむ。
離れたあたりから「さやちゃん、オレンジジュースとカルピスどっちがいいー?」と聞こえる。
「オレンジジュース……」
土屋が表情を変えずにつぶやく。
「飲み食いしてばっかだな、こいつ」
涼一はそう応じた。
「んーと。──“前置きすみません。ここから、さやりんさんのご質問の答えになってるかなと思うんですが。今年に入ってから観光客を呼びこむためなのか観世音菩薩像を毎年ご開帳しようってことになったらしいです。事前儀式も毎年やるのかなと思って楽しみにしてたんですけど、どうもやらなかったのかなって。告知がなかったので。(続きます)」
爽花が「えーと」と続ける。
「── “数日前にご開帳したんですけど、これがご開帳して数時間でご閉帳になっちゃったんです。まあそこの観音寺自体が有名じゃないんでネットでもあまり話題にならなかったですけど、まさか事前の儀式をやらなかったので言い伝えどおり観世音菩薩像が帰っちゃったのかなぁなんて”」
涼一は、土屋と顔を見合わせた。




