波切不動明王 六
波の音が徐々に大きく聞こえだしたのは、人通りや車の音など遠くからの喧騒が少なくなってきたからか。
太陽がしずみ、海は暗くなっていた。
上空に小さく見える満月の光が波の上でゆれている。
涼一は、これまでに遭った怪異を思い浮かべた。
「なりすまし野郎だろ、メンヘラ姉さんだろ、ド変態だろ、迷路で同じことくりかえしてた学習能力のない連中だろ、裁判の弁護でひいきしてほしくて逆に罪状重くしたアホ集団だろ?」
一つ一つ指を折って数える。
「ふつうにムカつかね?」
「ん」
土屋が動画を表示したスマホをこちらに差しだす。
涼一に手渡すと、ロフトの壁にあるスイッチに手をのばして照明をつけた。
「なに」
表示された動画を見つめる。
大きな河にかけられた四車線の橋梁。
ここに来るときに通ってきたK大橋だと気づく。
下を流れる河の水は海から直接流れこんでいるので、口にするとしょっぱいと子供のころに聞いた気がする。
近年に埋め立てられた箇所もあると思うが、古くからの運河でもある河だ。
「K大橋が大波で壊れたとこ。国交省の公式と地上波のニュースサイトのライブは削除しちゃったみたいだけど、ミコミコニュースはライブ配信の録画残してた」
土屋が説明する。
ミコミコニュースのいちばんの特徴である画面に直接表示されるコメントが右から左へと流れていく。
「俺は異様に高い大波だけでなんも見えないけど、どっかにうにょうにょある?」
涼一は、河川の監視映像の録画を早送りしたり戻したりして凝視した。
直前まで波は非常におだやかだ。
大波が起こるような気配はまるで見受けられない。
「大波の直前に……地震とかなかったよな」
「ないね。あったら俺らもここで気づいてたはずでしょ」
涼一の問いに土屋が答える。
「大雨が降ってたわけでもない、海外で大地震があったわけでもない……ないよな」
「そもそもあったら海岸のほうにも津波来るし」
「んだな」
涼一は答えた。
大波が起こる数十分ほどまえの様子を早戻しで見る。
目をすがめた。
「なに」
土屋がこちらの表情を見て尋ねる。
「これ……」
涼一は動画の一角を人差し指と中指でピンチアウトした。
木蘭色の法衣と茶色い袈裟をかけた半透明の人物が、大橋の車道に立ち海に向かって手を合わせている。
動画を進めると、彼の体を車が何台もすりぬけて行った。
「ねんぴーかんのんの坊さんだ、たぶん」
土屋がこちらに身をのりだし画面を見る。
「どのへん」
「車道のどまんなか」
涼一は僧侶が立っている場所を指さした。
土屋が時間の表示のあたりに目線を移す。
「行員さんがここにあらわれたくらいの時間帯かな……少なくともその前後」
土屋がつぶやく。
録画を早送りにすると、半透明の手がにょろにょろと河の水面からのびて、めいめいに通る車にふれていた。
「はじめは一台ずつ落とす気だったとか……?」
涼一はつぶやいた。
「まじか。そういう動きしてんの?」
土屋が問う。
そうか、見えてないのかと思った。
「半透明のうにょうにょが河から何本ものびて、車にちょっかい出してる」
涼一はそう説明した。
土屋が怪訝そうな顔をする。
「……河の水面から?」
「お」
涼一はみじかく返事をした。
「なんで河なんだろ。海じゃないのか」
涼一は顔を上げて土屋の顔を見た。
言われてみればと思うが。
「海から流れてるとこだからじゃねえの? 海の底にいるやつらからすれば大差ないっていうか」
「うーん……」
土屋が顎に手をあてる。
「ちょっと鏡谷くんのスマホ借りていい?」
そう言い、土屋が中腰で立ち上がる。
「え? おぅ」
涼一は動画を見ながらそう返した。
土屋がロフトの階段を降りていく。
「どうです? 夕陽がしずんだあとは星空がきれいでしょう」
「あらあらまあまあ、お魚はいつ焼いたらいい? もうお食べになる? お塩のほうね」
またもや幽霊の夫婦に捕まっている。
土屋が「そろそろ夕飯にする」と答えている。まあだいぶさっきから腹減ってたしなと涼一は思った。
「──あ、さやりん? 時間あったら調べてほしいんだけど」
土屋が涼一のスマホで通話しながらロフトの階段を昇ってくる。
ふたたびロフトの床に座った土屋を、涼一は顔をしかめて見た。
「なにおまえ、他人のスマホでそんなやかましいのにかけてんの」
「キーパッドで番号打ちこむことになるかと思ったら、電話帳にあってちょっとびっくり」
土屋が答える。
以前、爽花の伯父の家に泊めてもらったあとに連絡をとりあったときのものだ。
念のため残していてそのままだったと涼一は思いだした。
「──K大橋のちかくに、お不動さまか観音菩薩の祠とかそういうのあるかな。壊されたとか剣が盗まれてフリマアプリに出されたとか、観光客が仏像をお持ち帰りしてお庭の飾りにちゃったとか」
涼一は、ふたたび土屋のスマホに表示された動画に目を移した。
K大橋が倒れる少し前、橋を覆うように巨大な神仏の姿があらわれて橋を見下ろしていた。
不動明王だった。




