波切不動明王 四
土屋が身を乗りだし、じっとこちらの顔を見る。
やがてため息をついた。
「あとは? あとはない?」
責めるような叱るような口調だ。
「お、おう」
涼一はそう返事をした。
「そういうことは、すぐお兄さんにいいなさいね」
「……おまえのそのお兄さんネタ、どこまでやんの?」
涼一は顔をしかめた。
「──なにしたのー? りょんりょん」
爽花がスピーカーから甲高い声を発する。
「何でもね……」
「鏡谷くんがまた後だし。K大橋が落ちたときのうにょうにょかもしれないもの、べつの怪異のときに見てたんだって」
土屋が座り直して答える。
「──えー、りょんりょんまたー?」
「うるせえよ」
「となると、お坊さんが “詳細は伝えました” って伝言してたのそれかな?」
土屋が宙を見上げる。
「うにょうにょに捕まってますってか?」
「もしくは、うにょうにょが群れで悪さしていますみたいなのを分かりやすく伝えた、それを鏡谷くんの脳がそういう光景として解釈した」
「──お坊さんってなに? 二人のどっちかに横恋慕する三角関係の人っ?!」
「さやりん、このあたりで何か怪異の原因みたいなこと起こってないかな。たとえばお不動さんの像の剣が落ちたとか、お不動さんのお使いがうっかり現地入りしちゃったとか」
爽花のわけの分からん質問を、土屋がナチュラルに無視する。
「──お使いさん来てるじゃん」
「あー、そういや来てるじゃんね」
土屋がそう返す。
顔を上げて、こちらを見た。
「お使いさん、来てるかぁ……」
「はあ? 何だ? 悪いの俺か?!」
涼一は声を上げた。
「いやそれ言ったら、いきなりここ借りませんか言った不動産屋が怪異とグル路線だろ。──何かまえからあやしい人なんだよな。真夏でも黒いスーツ着てるし、真夜中しか営業してない言うし、いつも行員さんみたいにニッコニコしてるし」
「真夜中しか営業してないって、勤務時間外に行ってたの?」
「いや日中の時間空けてくれた」
土屋が無言でこちらを見る。
われながら変なことを口走った。涼一も顔をしかめた。
「取引先の企業さまを悪く言うのやめようね、鏡谷くん」
「あー。いまのなし」
涼一は前髪をかき上げた。
「このあたりで怪異の原因っぽいやつね、聞いてみるね。──あ、綾音ちゃーん、このお肉ってひっくり返していいのー?」
爽花がどこかに向けて大声を上げる。
「何やってんの、こいつ」
「バーベキュー? キャンプ?」
土屋も眉をよせる。
旅館のたたみの上で話しているんだと思っていた。
とたんにバーベキューの煙のにおいに巻かれたように錯覚する。
「──ねねね、さやちゃん、きのうの男の人たちさあ」
じゅわじゅわじゅわと肉の焼けたような音が混じる。
「──ほんとBLみたいな感じ。うわーって思っちゃった」
ほかの女の子たちの声が横から聞こえる。
きのう同行していた親戚の子たちか。
「──みたいなじゃなくてほんとにカップルなの。わたし見守ってるんだから」
爽花がそう答えている。
怪異の話ししながら肉焼いて、どこかのカップルのうわさか。いそがしいやつ。
「んじゃ、さやりん。いそがしいみたいだし」
「──うん、二人ともムリしないで。二人だけの時間を優先でいいんだからねっ」
爽花が答える。
土屋が通話を切った。
「電話切るときのあいさつもまともにできねえのか、あいつ。何でよう分からん文言いちいちはさむの?」
「バーベキューと女子バナで話ごっちゃになったんじゃないの?」
土屋が引きつづきスマホを操作する。
「なに?」
「K大橋のライブ配信っての。K大橋を倒したうにょうにょが、鏡谷くんが見たうにょうにょと同一のものか確認できないかなって」
「うにょうにょってそう何種類もあるか? うにょうにょはうにょうにょじゃねえの?」
涼一は、床に片手をついて膝で土屋のまえに寄った。土屋が操作するスマホをのぞきこむ。
窓の外では、雲に隠れていた太陽がふたたび顔を出している。
強い金色の光を放っていた。
「こんばんは。海はお楽しみでしょうか」
せまいロフトの中。
とうとつにきれいな女性の声がはさまれ、涼一は土屋とともに声のしたほうを見た。
どこかの企業の制服を着た、行員の霊池こと不動明王がロフトの一角で行儀よく正座していた。
窓から射しこむ夕陽で、ニコニコと笑った童顔があかるいオレンジ色に染まっている。
胸元につけたリボンはたぶんブルーかダークグリーンなのだろうと思うが、オレンジ色の陽光で正確には分からない。
「本日は近くのわだつみ水産の制服ですが、いかがでしょう」
「……俺のときだけ、かたくなにOLの制服なのなんで?」
涼一は眉をよせた。
「鏡谷くんの好みがOLさんってことじゃないの?」
「ふざけんな。俺は水着姿のOLさんもエプロン姿のOLさんも好みの範疇だ」
行員がニコニコと笑いかける。
「……ニコニコされると土屋の言ってること肯定してるみたいなんだけど」
涼一は眉をよせた。
「観音殿の使いのかたとは接触ずみとのこと。船幽霊の手さえ封じてくださればとのことです」
行員が正座の格好で礼をする。
正座しててもきれいなフォームの礼すんのなと涼一は思った。




