波切不動明王 二
太陽が水平線に近づく。
雲のあいまから光を放ち、ゆるやかに波うつオレンジ色の海面に金色の挿し色を入れる。
涼一は、コクッとコーヒーを飲んだ。
そろそろ夕飯どきだ。腹減ってきたなと感じてしまった。
「行員さんが言ってたセリフは、“補陀落渡海はご存知でしょうか” だっけ」
土屋が窓の外の夕陽をながめる。
「おう」
涼一はそう返した。
こいつは腹減らねえのかなと頭の片すみで考えてしまう。
「さやりんに時間あったらSNSで調べものしてって頼んでたんだけど、何か分かったことあるかな」
土屋がロフトの下を見る。
どちらもスマホはリビングで充電していた。
「鏡谷くん、もしかして電源って切ってる?」
「切ってる」
涼一は答えた。
「充電するときは、なるべく切る主義」
「俺も。勤務中とかは入れとくけど休みだと切るんだよね」
土屋が返す。
「いま切ってた?」
缶コーヒーを持った手で土屋を指す。
「切ってた」
土屋がうなずく。
「んじゃあ、お団子がかけてきても着信鳴るわけねえな」
「あーそっか、さやりん、どっちにかけてもつながんないーって言ってるとこかも」
土屋がもういちど中腰で立ち上がる。
ロフトを降り、スマホを取りに行った。
「夕焼けどうです? まだまだきれいな時間帯でしょう」
「あらあらまあまあ、そろそろお腹すかない? なんならお夕飯ロフトまで運んであげる。焼き魚でいい? お塩? お醤油? ――お味噌汁は?」
土屋がまたもや幽霊の老夫婦に捕まる。
塩、と涼一は内心で希望を告げた。
「んじゃ、塩で」
階下で土屋が答える。
「ちょうどよかったです。そろそろ夕飯どきだなって。お腹すいでたんで」
土屋が愛想よくそう答えていた。
なんだ、やっぱ腹減ってたのかと涼一は思う。
土屋が自身のスマホを持ってロフトに戻る。
「ロフトに夕飯持ってきてくれるって言われたけど、布団あるとこで食うのやだから下でいいって言ってきたけど」
「ああ、俺もそう言おうかと思ってた」
涼一は答えた。
「さやりん、スマホによこしてたみたい」
土屋がスマホの操作をしながらロフトの床に脚をくずして座る。
「一回だけ着信ある」
「何回もかけりゃいいのに根性ねえな」
涼一はあぐらをかいて座りなおした。
「時間なかったんじゃないの?」
土屋が二、三度画面をタップし、スマホを耳にあてる。
「あ、さやりん? スマホにくれたみたいだけど、いま時間ある? ──え?」
スマホの通話口から、なにやら甲高い音声でわめく音が聞こえる。
「ん? 平気だけど──夕焼け? 見てたけど。つかいま日本全国で夕焼け見えてるでしょ」
日本全国かどうかは微妙だが、何の話してんだと涼一はコーヒーを飲みつつ横目で見た。
「鏡谷のスマホにもかけたんだ──どっちも充電してたんだけど。え? 浜辺には出てないけど」
土屋が言う。話がなかなか進まない感じに涼一は眉をよせた。
「鏡谷」
土屋が通話口を手で軽くおさえてこちらを見る。
「さやりんの言ってることどうにも要領得ないんだけど。会話加わってもらえる?」
「あいつの言ってることなんていつも要領得ないだろ」
涼一は顔をしかめた。
コーヒーをコクッと飲む。
「いいよ。スピーカーにしろ」
そう告げる。
土屋がスピーカー機能のアイコンをタップする。
「──だってだって、二人でスマホの電源まで切ってロマンチックな夕陽見てイチャイチャしてるんだあって思ったから、通話は差しひかえたの!」
とたんに甲高い少女の声がロフト中に響く。
「おいお団子、何が差しひかえるだ。政治家の答弁みたいなこと言ってんじゃねえ」
涼一は通話口に向かって返した。
「──きょうはお団子じゃないもん! 綾音ちゃんに編みこみしてもらったんだから!」
「おまえの親戚の名前いきなり出されても知らんわ」
「やっぱ鏡谷くんのほうが、さやりんとの会話スムーズだわー」
土屋が関心したように口をはさむ。
「スムーズじゃねえよ。俺でも意味不明だわ」
「──わたし遠慮したんだから! どっちもスマホの電源切ってるって、ぜったい夕陽の海を見ながら浜辺でキキキスとかしちゃってるんだとか思って!」
「浜辺でキツツキって何だ。浜辺にそんなもんいるか」
涼一は顔をしかめた。
「キツツキ? 杵つきとか言ったんじゃないの?」
土屋が通話口に少し身を乗りだす。
「杵つきだよね? さやりん」
「浜辺でもちつき大会でもすんのか? そういうのって許可とかいらねえの?」
涼一は通話口に向かって問うた。




