波切不動明王 一
夕方。
ロフトの上の窓からは、海に沈むきれいな夕陽が見えた。
海がオレンジ色に染まる。
雑にたたんで重ねた二人分の布団もオレンジ色に染まっていた。
さきほど老夫婦の幽霊に勧められてロフトにのぼったが、いくらきれいな景色といっても男二人で見せられてもなと涼一は複雑な気分になった。
「コーヒーか何か持ってくる?」
土屋が尋ねる。
「悪り。飲む」
涼一はみじかく答えた。
土屋にしても、どうしろとという感じなのだろう。
ゆっくりと立ち上がって、ロフトのハシゴを降りて行った。
「どうです? きれいでしょう」
「あらあらまあまあ、わざわざ降りていらっしゃることなかったのに。コーヒー? 温かいの? 冷たいの? 言えば持っていったのに」
案の定、台所まえで老夫婦の幽霊に捕まっている。
あの夫婦、一年中ここにいるんだろうか。
ここにずっと居すわって、毎日この夕陽を見ているのか。
それとも借りる人のいないときは、霊界か息子の家の仏壇か知らんがどこかに帰るのか。
はだしで木のハシゴを踏む足音がして、土屋がふたたびロフトに戻ってくる。
「ん」
缶コーヒーを一本差しだした。
「ん」
そう返して受けとる。
プルタブを開けてコクッと飲む。
「まあ、ゆっくり相談するにはいいんでないの? ここ。秘密基地みたいで」
土屋が脚をくずして座り、同じようにコーヒーを口にする。
「だな」
涼一は相づちを打った。
「まずはあの坊さんか。――詳細って、どこかで伝えてきてた?」
土屋がそう切りだす。
「知んね」
涼一は答えた。
「知ってることがあるならお兄さんに言って、鏡谷くん。鏡谷くんいつも後だしするから」
「学年いっしょな」
涼一はそう返した。
「とりあえず何かありそうなのは、鏡谷くんがきのうの深夜ときょうの昼間に見せられた幻覚かな」
土屋が顎に手をあてる。
「ほんとに何かの説明だったのか? こっちはひたすら殺されんのかと思ってたんだけど」
涼一は眉をよせた。
「はっきり接触してきたのそのへんだし」
「行員さんなみに分かりにくい伝えかたしやがって」
涼一はボヤいた。
「少なくとも生きてる人間じゃないんだな、やっぱ。――幽霊か、ただの幽霊じゃなくて神仏の眷属とか」
土屋がつぶやく。
「だから行員さんと伝えかたが似てるってか?」
「幽霊でもホトケさまでも次元の違うところから接触してるってところは同じだから。たぶん」
土屋が応える。
「それと脳と声帯が幽霊にはないでしょ。そういうところも意思疎通は違ってくるみたいな」
ツンツンと土屋が自身の米噛みをつついた。
「ゲーム知識?」
「むかし見たSF系のマンガの知識」
土屋がそう返す。
マジでエンタメだけはいろんなの見てんなと涼一は思った。
「つか補陀落渡海で無駄死にした坊さんかと思ってた」
「俺もそう思ってたけど」
土屋が返す。
「 “このたびは不動明王と不動明王のお使いとその補佐役に手を貸していただけることになり” ……だっけ。こういうセリフ出てくるのってどういう立ち位置の人だろ」
「不動明王と連携できる、それか連携の交渉ができる……」
涼一はつぶやいた。
土屋がふと顔を上げてこちらを見る。
「あっちはあっちでお使いさん……?」
「俺もいま思った」
涼一はそう返した。
「どこの神仏のだろ」
土屋が問う。
「不動明王じゃねえの? やっと俺の言ってること分かって偉い坊さんを雇いはじめたとか」
涼一は自身の言葉にうなずいた。
「鏡谷くん、それだと文脈おかしいでしょ。あたらしい不動明王のお使いなら、何で俺らをお使いのかたと補佐役って呼んでんの」
「これから引き継ぎあるとかじゃねえの?」
「コンビニのバイトかな」
土屋が苦笑する。
「……ちょっと待って。観音経の使い手だよね、あのお坊さん」
「おう」
涼一はそう返事をした。
手に持ったまま忘れていた缶コーヒーをコクッと飲む。
「素直に考えたら、観音菩薩の眷属かお使いなんじゃ……」
涼一は、缶の飲み口に口をつけたまま土屋を見た。
窓の外の夕焼けは、さきほどよりもさらに赤みを増してロフト内と土屋の全身を染めている。
「あ」
飲み口からゆっくりと口を離す。
「そっちか」
涼一は、缶コーヒーをコトリと床に置いた。




