まだ静ヵな海 三
「大学くらいか就職したあたりから海ってパッタリ来なくなるよな」
涼一は、しゃがんだ格好で膝に腕をかけた。
波の音は、あいかわらず静かに一定間隔でつづいている。
坂を下ったさきに見える砂浜に、打ちつける波の白い泡が見える。
「まあ、家族旅行か臨海学校くらいでしか来ないタイプはね」
土屋がそう応じる。
「おまえもだろ?」
「だから俺もふくめた人って意味だけど」
土屋が答える。
「会社員とか夏にまとまった休み取れんのだいたいお盆あたりだから、海に来たってどうせクラゲだらけで泳げねえし」
涼一はぼやいた。
「ちなみに水着なんて持ってきた?」
「いきなり足止め食って予定外の滞在してんだよ? 持ってきてたらキモいでしょ」
土屋がそう返す。
「そういや通行止めどうなってんだ? 朝のニュース見んの忘れてた」
涼一はスラックスのポケットをさぐった。
「スマホ置いてきた、くそ」
あとにしてきた一軒家のほうを見る。
「俺も置いてきた。海水かかったらやだし」
土屋が言う。
「防水?」
「いちおう防水みたいだけど、それでもわざわざ海水とかに漬けたくないでしょ」
土屋が返す。
「あーそれある」
涼一はもういちど借りている一軒家のほうをながめた。
「三日間ボーッとして過ごすとか言ってたわりに覚悟足んないんじゃん、鏡谷くん。そういうふうに過ごすならスマホ断ちは必須じゃん」
土屋が海のほうをながめて言う。
「……悪かったな」
涼一は顔をしかめた。
坂の途中に生えた木々のあいまから、誰かがこちらを見ていることに気づいた。
人一人ほどの幅の木にかくれて、目だけをこちらにじっと向けている。
白いオーバーサイズのTシャツに、黒っぽいスカートかハーフパンツ。
若い女の子だと思う。
頭はポニーテールかお団子にしているんだろうか。
「さやりんに似てね? あの子」
土屋が言う。
「似てね」
涼一は答えた。
静かにすごしたい場所でいちばん遭いたくない相手だ。脳が認めるのを拒否した。
「さやりんっぽいけどな。ためしに呼んでみる?」
土屋が口の横に手をあてる。
「やめろ。ちがってたらナンパしに来てるみたいだし、合ってたら合ってたでやだ」
「せーの。さやりーん!」
土屋がアイドルへの掛け声のような呼びかけをする。
木に隠れてる女の子は、じっと動かない。
「聞こえなかったかな。さやりーん」
土屋がもういちど呼びかける。
女の子が、自身の顔のまえでパタパタと手を横にふる。
「何してんの、あいつ」
涼一は眉をよせた。
「さやりんちゃんでしょ? さやりーん」
土屋が呼びかけながら近づく。
涼一も、しかたなくついて行った。
近づいてみると、たしかに爽花だ。きょうはお団子頭。
いまさら横を向き、無視しようとする。
「さやりーん、――学校休み?」
「何わざとらしくシカトしてんの、おまえ」
爽花が木にそってジリジリと横歩きし、見下ろす涼一と土屋から少し離れる。
「だれかと来てんの? 綾子さん? お友だち?」
土屋が海のほうを見た。
「いいいいいから。二人の邪魔する気ないからっ。おおお幸せにっ」
爽花がふたたび手をパタパタとふる。
「おまえって、いちいちあいさつの言葉おかしいのな。こんにちはとかじゃねえの?」
涼一は顔をしかめた。
「だだだだって、綾子ちゃんの旦那さんの車んとこまでいこうとしてっ、二人のデデデートしてるとこに遭遇すると思わないじゃんっ」
「綾子さん夫婦と海水浴?」
土屋が周囲を見回す。
「わざわざクラゲ浴びに来てんのか? もの好きな」
涼一もあたりを見回した。
「綾子ちゃんと親戚の茉莉ちゃんと琴音ちゃんもいっしょっ」
「いきなりおまえの親戚の名前出されても知らんわ」
涼一は眉をよせた。
「とにかくわたし、デートの邪魔とかする人間じゃないからっ。たまたまここいちゃったの。気づかれないうちに立ち去ろうとしたのに!」
「旦那さんの車って、これからどっか行くの?」
土屋があちらこちらを見回し、車をさがしながら問う。
「近くに遠縁の人が経営してる旅館あるから、そこで海鮮料理とか食べて津軽三味線の演奏聞いてみんなでお泊まりするんだもん」
「あ、近いの? 俺らここから歩いて十分くらいのコテージ的な貸家にいるから、よかったら」
「来んな」
土屋の言葉を涼一は引きついだ。
「いいい行かないっ。そんなの邪魔したらぜったいダメなやつじゃん! 遠くから見守ってるから二人きりで永遠の愛をはぐくんで!」
爽花が道のさきに駆けだす。
「じゃっ」
片手をブンブンブンと激しくふり、一気にダッシュする。
「永遠って? 最大いても二泊三日なんだけど」
爽花のうしろすがたを見送りながら、土屋がつぶやく。
「永遠に橋壊れて通行止めになってろとかいう呪いか?」
涼一は眉根をよせた。




