雑居状態၈家 台所 一
「綾子ちゃんはね、わたしがここに来た当日は二人の渋沢さんに見えてドン引きしてたんだけど、そのあと買いものに行って後ろ向きのホログラム見ちゃって、それからはわたしのことふつうに見えるみたい」
爽花がそう説明する。
「んじゃ、俺のことももとの顔に見えてるわけ?」
「みたいだよ」
爽花がうなずく。
「にしても、うしろ向きって」
新パターンか。
涼一はげんなりとした。
オカルトにまったく詳しくない、オカルト動画すら暇つぶしに覗いた程度しかない人間に、何でこんなことが起こるんだ。
「うしろ向きってことは首とかが……?」
「いまのところ綾子ちゃんは変なことないみたい」
爽花がそう答える。
「……あ。そうなの」
涼一は拍子抜けした。
首だけがグルンと真後ろを向くとかだったらどうしようかと思った。
ついでにそのまま一回転とか。
むかしの海外のホラー映画を思い出した。
「まったく?」
「まったく。顔がうしろ向きになるわけでもないし、ほかの人から見て渋沢 栄一に見えるわけでもないみたい。不公平だよね」
爽花が口を尖らせる。
不公平って。
ホログラムにとり憑いてる亡霊とかに言えよ。
亡霊ってのも、いまのところネット上のオカルトマニアと自称霊感強い子だけが言ってるだけみたいだが。
「りょんりょん、夕飯は食べられる?」
爽花が問う。
「……ああ、たぶん」
涼一は自身の体調をざっくりと確認した。
頭部の感触がない以外は、とくに痛むところも具合の悪いところもない。
「食べられると……思う」
口に触れないとしたら、口に食材を入れることは可能だろうかと疑問だが、解決するまで飲まず食わずでいるわけにもいかないだろう。
人から見るととりあえず頭部は存在しているらしいので、口の位置を見当つけて食材をねじこむしかない。
そういえば、病院に運ばれてから何も口にしていない。
この暑い時期に飲みものを飲まず数時間。
よくいられたと思うが、大半の時間はエアコンのきいた病院にいたのと、軽い興奮状態ですごしたせいか。
「綾子ちゃんが、りょんりょんの分もお魚買ってきたってさ」
「……ごちそうになります」
涼一はそう返した。
夕飯は焼き魚か。
よくよく考えたら、かなりありがたい人たちだと思う。
「おかゆとかにしたほうがいい?」
「……いや。食べられると思う」
涼一は答えた。
気絶したときに外されていたベルトを締め台所に行くと、テーブルには三人分の食事がならべられていた。
「拓海ちゃんのとこ置いてくるから先に食べててー」
綾子がお盆に一人分の食事を乗せて台所を出ていく。
引きこもりの従兄か。
涼一はさきほどの電子音であいさつされた部屋を思い出した。
「食事どきも出てくるわけじゃないんだ」
「引きこもりってそうじゃん」
爽花がイスに座る。
箸をもって両手を合わせ「いただきます」と早口で言った。
そうじゃんと言われても、引きこもりに生で会ったのははじめてだ。
そういうもんなんだなと思う。
「お風呂とかは?」
「入らない人もいるみたいだけど、拓海ちゃんは夜中にコッソリ入るスタイル」
爽花が解説する。
入らない人もいるのか……。
いままで接したことのないタイプの人間に一気に会う日だなと涼一は思った。
「夜中の二時とか三時とかにカコーン、カコーンってやってるみたいだから、りょんりょんもその時間帯はあんまり家のなか歩かないであげて」
爽花が言う。
何やら夜行性の臆病な動物でもいるような話だなと思う。
「あれ? 食べててよかったのにぃ」
台所にもどった綾子が、お盆を入口の棚に置く。
「あ……いただきます」
涼一はテーブルを見たが、どの席に座ればいいのか。二人の定位置とかあるのだろうか。
「りょんりょん、りょんりょんはここ」
爽花が自身のとなりの席の座面をポンポンとたたく。
「……ありがと」
涼一は素直に指定された席に座った。
「りょんりょんさんはお風呂入るでしょ? 拓海ちゃんの着替えを貸してあげられればよかったんだけど」
綾子が食卓のイスに座りながら言う。
「あの俺……鏡谷といいますので」
涼一は眉をひそめた。
なぜいきなりりょんりょん呼びなんだ、この人。
「あら……りょんりょんさんじゃないの?」
「りょんりょんだよ」
爽花が味噌汁を食べつつ答える。
「すみません。鏡谷のほうで呼んでいただけますか」
涼一は眉をよせた。
「でもそれだと他人みたい」
綾子が困惑した顔をする。
他人なんだが、どんな認識なんだ。
爽花が「友だち」と言ったので、ほんとうにそのつもりなのか。
「でね、拓海ちゃんの着替え借りられればいいんだけど体型かなり違うじゃない? 伯父さんのでいい?」
綾子がにこやかに問う。
「お借りできるならなんでも。というかムリしなくていいですけど」
涼一は答えた。
「拓海ちゃん、大柄レスラー体型だもんね。りょんりょんだとガボガボだと思う」
爽花が言う。
「大柄レ……?」
「身長二メートルちかくあるから。横にも大きいし」
爽花が両手を横にひろげる。
涼一は少々引いた。
なるほど。
ほとんど女所帯の家に見ず知らずの成人男性をすんなり入れてくれたわけが分かった。
いざとなったらレスラー体型がいるからか。




