月၈੭ੇᑐᵹ海 一
時計をみると、午後八時。
窓から月が出ていたので、夜になってしまったということは理解した。
玄関ロビーから段差もしきりもなくつづくリビング一帯に、あかりがつけられている。
切り替えができるタイプの照明なのかもしれないが、まぶしすぎないゆったりとした色のあかりだ。
外から聞こえる静かな波の音とあいまって、余裕でもういちど寝れそうな落ちついた室内になっている。
かけられていた薄手の毛布をどかす。
毛布をかけられていたことにいまごろ気づいた。
「これ、おまえかけたの?」
「奥のクローゼットにあるって幽霊夫婦が教えてくれて」
土屋が奥のほうにむけて顎をしゃくる。
幽霊使いかこいつと涼一は鼻白んだ。
行員の霊池こと不動明王に必要以上に近づいてエネルギーに当てられ気絶というのはもうなんどもやってしまっているが、今回はずいぶん長く気絶してたなと思う。
つかれてるのか。
向かい側の一人掛けソファでは、土屋が手持ちぶさたな感じでスマホをいじっている。
「ほうって帰ってもべつによかったけど」
「万が一ここで孤独死されて保護責任者遺棄致死とかに問われたらたまらんとか思ってさ」
土屋が応える。
「それ成立すんのか?」
涼一は顔をしかめた。
「あーこりゃやられた。観念しよ、鏡谷くん」
とうとつに土屋が声を上げて天井をあおぐ。
涼一は怪訝な顔を向けた。
「なに」
「K大橋で事故発生、通行止めだってさ」
涼一は目を見開いた。
ここから市街地に向かう県道の途中にある運河にかかる橋だ。
ゲームでもやってんのかと思ったらニュース見てたのか。
「復旧に二、三日かかるもよう」
「……なんだそれ、行員さんのしわざか」
「死者はいなかったみたいだし、わざとかこれを予知して鏡谷くんがここに来るよう仕向けたか」
土屋がスマホをタップする。
「どうりで鏡谷くんの気絶時間、いつもより長いと思ったわ。事故の時間まで足止めされてたのかな」
涼一はテーブルに置いていた自身のスマホを手に取り、検索した。
たしかにK大橋通行止めの記事が出ている。
「くそ。あの不動産屋、もしかして不動明王とグルか」
「不動産業とお不動さまは無関係だからね、鏡谷くん」
土屋がそう返す。
「つまり行員さんのお告げを人間語に訳すと、“お使いさんとそのお手伝いのかたはここで不動明王か観音菩薩が関わるなんかのお仕事やってください、それ以外は海を思いっきり楽しんでね、はぁと” ?」
行員の霊池が両手でハートの形を作っているムダに魅惑的なシーンを想像してしまった。
「なんだそれ。男二人で楽しいか、一人がマシだわ」
「言いたい気持ち分かるけど問題そこじゃない、鏡谷くん」
土屋がそう返す。
「観音菩薩ってなに。どこから出てきた」
「行員さんが言ってた補陀落渡海は観音信仰のものだから」
土屋がスマホで検索しながら答える。
「観音とやらが不動明王に自分の仕事押しつけやがった構図?」
「いちお明王より菩薩のほうが仏としては上なんだけど……」
土屋がスマホの画面を見ながら眉をよせる。
「……自分の不手際を下請け業者に回したって感じか、最悪だな」
「とはいえ不動明王の本性は大日如来だから、こうなると最高位の仏で菩薩より上」
涼一は無言で眉をひそめた。
「……超絶大手の本社をもつ小売店にクレーム対応の相談した感じ」
「意地でも一般の社畜的に解釈しようとする鏡谷くん、何かいいわ」
波の音が耳に響く。
涼一は、自身のスマホでK大橋の事故のニュースを見ていた。
ふと目だけを動かして周辺を見回すが、そういやあの幽霊の夫婦の気配がない。
「幽霊夫婦どうしたの? 成仏したの?」
涼一は問うた。
「もともと成仏はしてんじゃないの? あそびに来てるだけで。――お不動さんが何か不穏なネタ持ってきたから、できたら安全な場所に隠れててくださいとは言ったけど」
「……おまえのその馴染みまくってんのなに」
「子供の幽霊に車の修理代請求しようとした鏡谷くんほどじゃ」
台所から、チンッとオーブントースターのような音が聞こえる。
「あーできたできた。ピザ食う? 冷凍のやつだけど」
土屋がソファから立つ。
「つまりなに? おまえもここ宿泊すんの?」
涼一は軽く顔をしかめた。
「帰り道ふさがれてちゃしょうがないでしょ。しゃあないからここの借り賃半分出すわ」
土屋が台所で皿を出しているらしいカチャカチャという音が聞こえる。
「地元でおまえのアパート泊まって寝ても覚めてもおまえの顔見て風呂まで見張られてトイレまで鍵かけんな言われて、そんつぎは俺のアパート泊めるはめになって味噌入れる順番おかしい朝ごはん提供されて、連休で海来たら海来たでおまえと三日間カンヅメ」
涼一は早口でグチってみた。
「女の子いてほしいなら爽花ちゃん呼ぶ?」
「やめろ。メシつくれるだけおまえのほうがまだマシだ」
涼一は頭をかかえた。もはや自分で何言ってるか分からん。
「とりあえずピザ食お」
土屋がピザを一切れ口にしながらソファにすわった。




