雑居狀態၈家 二
銀行の駐車場で、声をかけてきた女性行員。
話しかけられたさいに、なにげに名札を見た。印象の強い名前だったので、はっきりと覚えてる。
霊池と名札にはあった。
涼一は、玄関の壁に背中をつけたままズルズルと座りこんでしまった。
爽花が驚いてこちらを振り向くが、「大丈夫」と返す気力すら出ない。
ツッと鼻に何かが流れた感覚があった。鼻血が出ているのだろうか。
シャツが汚れる、それ以前に他人さまの家で鼻血かよと自身を咎める考えが脳内をグルグルと回ったが、魂が抜けたように手足が動かない。
ただ脚を投げ出してペタリと座りこみ、周りの風景を非現実な風景のようにながめてしまっている。
行員は相変わらず自分の頭部を両手で抱えたままニコニコと微笑んでいた。
あのときのことはやはり現実だったのか。
彼女は、この気味悪い現象の連続について何か知っているのか。
何者なのか。そもそも生身の人間なのか。
ほかの気味悪いホログラムの被害者にも接触しているのか。
もしかしたら重要な手がかりを持っているのもしれない。
話しかけてみるべきだと思うが、足元から血の気が引いて動けない。
「りょんりょん! どうしたの、りょんりょん」
爽花が片腕をつかんで立たせようとする。
「何でもない」と言おうとしたが、声がでない。
そのまま気が遠くなった。
真っ暗闇のなかに、真紅の花びらが舞っている。
スーツの袖に落ちてきたものを見つめる。
よく見たら桜の花びらだ。
紅いのとかはじめて見た。ソメイヨシノとはちがう種類なのか。
いつまでもいつまでも舞うさまに、いったいどんだけ植えてあるんだと涼一は暗い空を見上げた。
すこし乱れてしまった前髪をかきあげる。
頭の感触があった。
あれ、もどったのかと思ったものの、自身の頭の感触とはどうにも違う気がする。
長い髪が乱れてバラバラに頬に貼りついた。
自分の髪は、こんなに長くはない。
パサついた汗くさい髪。自分のものとは明らかに違う。
頬の肉が、やけにブヨブヨとしている。酸っぱいような甘いような匂いがして気持ちが悪い。
自分の顔の肌は、こんなにブヨブヨとしていたか。
栄養が行き届いていないような、浮腫んでいるような変な肌の感覚だ。
病気の前兆だろうかと恐怖を覚えて、あちらこちらを両手でペタペタと触る。
首や顎のあたりにヌルヌルと滴がしたたっている。
べっとりと大量の液体にまみれていると気づいて、自身の手の平を見た。
手が大量の血液で真っ赤になっていると分かり、涼一は動揺した。
どこから流れる血だ。
こんなに大量の。さらに頭のあちらこちらを触ってみる。
首だろうか。
膝をついて座った自身の足元に、大きな血溜まりができている。
自身の頭部からボタボタと落ちる血で、あっという間に血溜まりが広がり、座った粗末な木の台の上からしたたる。
頭が、グラリと横にたおれたような気がした。
ブヨブヨとした頬がさらにたるんでグズグズに崩れる。
ごっそりと抜けおちた長めの髪が、木製の台の上で風にうねって下に落ちる。
ひどい腐臭がした。
何の匂いだと考えているうちに、どんどん腐臭がひどくなる。
眼球がズルリとズレる感覚がして、視界がせまくなった。
舞い散る真紅の桜の花びらが、実は血だったのだと気づく。
なぜ桜に見えていたんだ。あきらかに血じゃないかと涼一は思った。
AIの描く違和感のある動画に似ている。現実のように見えてデタラメな夢の中のような景色。
真っ暗闇だと思っていた背景に、レンガづくりのガッシリとした橋が湧いて出た。
橋の上にだれかがいる。
着物を着たスラリとした女性だ。
橋の下をのぞきこんだかと思うと、思いきり身を乗りだした。
「危な……!」
涼一は声を上げたが、女性はためらうことなく橋の下へと身を投げた。
どっ、ぷ、と異様にぬるぬるとした川の水が女性を飲みこむ。
こちら側に流れてきた川の水が、赤い。
あたりにただよう鉄サビと乳製品の混じったような匂い。
血の川だ。
涼一は吐き気をもよおした。
橋の向こうから現われた火の玉が、ゆらゆらとこちらに迫る。
頭が崩れる。
木製の台の上で、腐ってグズグズに崩れた肌は土塊になりこぼれた。
やがて風に吹かれて四散し川に流れる。
赤いぬめった川が、どろりとした波を立てて流れた。
頭蓋骨のみになってしまった頭が、ゴロンと転がり赤い川に落ちる。
ドッ、プとにぶい音を立てて、川の水はしゃれこうべになった涼一の頭部を飲みこみ畝った。




