阿毘達磨 ァㇶ"ダㇽマ 三
涼一は、ガタッと音を立ててイスから腰を浮かせた。
「土屋……!」
早口で声を上げる。
ガイコツと土屋のあいだに割って入ろうとしたが、立ち上がるまえに土屋の様子がおかしいと気づいた。
「土屋さん? ――土屋さん、土屋さんっ!」
爽花が甲高い声を上げる。
土屋が見たこともないほど青ざめて、テーブルに頬をこすりつけるようにして無表情で突っぷした。
「土屋さん!!」
爽花が絶叫にちかい声を上げる。
店のほかの客と奥にいた店員が、何ごとかとこちらを見た。
作務衣姿のガイコツが、いつの間にか消えている。涼一はチッと舌打ちした。
「すみません、救急車呼んでください」
涼一は厨房からこちらをのぞく店員にそう告げた。
「おい土屋」
上着を脱ぎ、イスの背もたれにかける。土屋のほうに歩みよった。
「土屋さぁん! 土屋さん、土屋さぁぁぁん!!」
「やかましい」
涼一は絶叫する爽花にそう返した。
音声だけで害悪だ。ムダにイライラする。
「おまえ店員が救急車呼んだの確認したら、店のまえで待って救急隊員の誘導しろ」
「えっ、えっ、おおお店の人が呼ばなかったら?!」
爽花がわたわたと店の出入口と土屋を交互に見る。
「そのときはおまえが呼べ。何のためにスマホ持ってんだ」
涼一は眉根をよせた。
派手な着信音が鳴る。
爽花がイスのわきに置いたバッグをさぐり、スマホを取りだした。
「あ、綾子ちゃんだ」
爽花が通話に応じる。
こんなときに身内と通話かと一瞬イラッとしたが、どうせ役に立たなそうだから親戚に相手させとくかと思う。
「えとえと、ごめん。いまりょんりょんたちとご飯してたの。土屋さんが倒れちゃって。──そそそ。りょんりょんの恋人の」
「……落ちつけ。変な説明になってるぞ」
涼一は眉をよせた。
厨房では、女性店員がこちらをチラチラと見ながら電話をかけていた。
たぶん救急車呼んでるんだろうと思う。
「おい土屋」
涼一は土屋の肩に手をかけて上体を起こさせた。
土屋の体には何の力も入らず、ガクッと頭部が上を向く。
「おい」
腕をとり、脈をみる。
鼓動はない。
うすく開いた目が半開きになっているが、まじまじと見るのは怖い。
瞳孔が開いているかもしれない。確認したくない。
「おい」
ペシペシペシと頬をたたいてみる。
反応はない。
「救急車、呼びました。すぐ来ると思います」
作務衣に前掛けをつけた女性店員が、テーブルの横に早足で来て告げる。
「すみません」
「あの、厨房の奥にたたみ敷きの部屋がありますから。従業員用のところでよければ」
「そうですね」
涼一はそう返事をした。
横になれる場所をという意味もあるだろうが、いつまでもここで対応されても店として困るだろう。
「運びますんで。――おい、土屋」
ペシペシペシともういちど頬をたたいてみてから、かがんで土屋の右腕を肩にかけ立ち上がらせる。
おなじくらいの体格の男を担ぐのは、やはりキツい。
消防とか警察とか、救助活動もやる本職さんはコツを習ってたりするんだろうが、こちらは素人だ。
土屋にはすまんが足を引きずって運んだ。
従業員用のロッカー室に案内される。一角に腰くらいの高さのたたみ敷きの場所があり、涼一はそこに腰かけて肩にかついだ土屋を下ろした。
室内は窓もなく薄暗かったが、店員が照明をつけてくれる。
はあ、と息を吐く。
運ぶあいだに体温も下がってる気がした。
本格的にやばくないか。
「あの、ガーゼとかないですか」
案内してくれた店員に尋ねる。
言いながら涼一は立ち上がり、あおむけに寝かせた土屋の横に正座で座りなおした。
「ガーゼですか」
店員がおろおろと左右を見る。
ここまでの対応をみるに、AEDはないんだなここと思った。まあ入口に表示があった覚えもないし。
「救急箱にあったかも。持ってきます」
店員がきびすを返す。
「え、店員さんどしたの? 土屋さん大丈夫?」
入れかわるように爽花がパタパタと入室する。
「おっまえ、救急隊員の誘導しろって言ったろ」
「なんか男の店員さんがやりますからって言ってくれて。土屋さん心配だし」
駐車場の乗り入れとかを考えたら、車の運転したことあるやつのほうが適任か。
「分かった。もう帰っていいぞ、おまえ。タクシー呼んでもらえ」
涼一はそう告げた。
「えええ、土屋さん心配だし」
「おまえがいたって状況まったく変わらんわ」
「ガーゼ、ありました!」
店員が両手で過剰なほどごっそりとガーゼを持ってくる。
「足りますか」
「……いや、一枚でよかったんですけど」
涼一は鼻白んだ。
「え、じゃあとりあえず、どぞ」
店員が持ってきたガーゼをたたみの上にぜんぶ置く。
「えっ、えっ、何すんの、りょんりょん」
爽花が涼一と店員とを交互に見る。
「心臓マッサージと人工呼吸。呼吸もさっきから止まってるっぽいし、やらんよりマシだろ、たぶん」
涼一はシャツの袖をまくった。




