自宅アパート 二
トントントントンと音がする。
たぶん、包丁でまな板をたたく音。
鍋がグツグツと煮立つ音がして、味噌汁の香りがただよった。
この香り、たぶんダシは昆布としいたけ。具材は大根と豆腐とネギともしかしたらニンジン。
マジで地元の味じゃねえか。実家に帰ってたんだっけ。
涼一は目を覚ました。
アパートの自分のベッドの上と分かり困惑する。
白いパネルの天井は、毎朝いちばん最初に見る景色だ。
上体を起こして室内を見回した。
引き戸一枚をへだてた台所では、だれかが手ぎわよく動いてる気配と地元の味けんちん汁っぽい香り、ごはんの炊きあがる炊飯器の音。魚を焼いてるっぼい音と匂いがする。
掃き出し窓の青いカーテンはすでにまとめられて結わえられ、窓からはさわやか朝の光が射しこんでいた。
何だこの、完璧なほどにすがすがしい朝の風景は。
彼女とか来てたっけと考える。いや、かなりまえに別れたはずだ。
あたらしい彼女ができたけど記憶にないとか。
いや待て。女のストーカー。
もしかして行員さん。
何となくエプロンをつけた霊池が新妻よろしく起こしに来てくれるのを想像してしまい、涼一は速くなった心臓をおさえた。
え、マジか。
いまのところ身近な親しい女ってあれしかいないけど。
お団子は女のうちに入らねえし。だいたいあいつは餃子もつくれねえやつだし。
すらりと引き戸が開く。
「お、起きたか。おはよ」
顔を出したのは、きのう寝るまえに見た部屋着を来た土屋だった。
「おまえかよ……」
涼一はガクリと掛けぶとんに顔をつっぷした。
「……行員さんをかなり夢見た」
「まえに羂索ラーメン食わしてもらったじゃん」
ミミズを思い出した。涼一は眉をひそめた。
しばらく心を落ちつかせてから、顔を上げる。
「つか何で朝っぱらから朝メシ作ってんの」
「朝メシは朝っぱらに食うもんじゃん」
タオルで手を拭きながら土屋が返す。
「いやきのう、鏡谷くんに自炊してないじゃん言われたから、いそがしくないときならやってるっての証明しようと思って」
土屋が笑いだす。
「……考えてみりゃ、地元の味噌汁ってのが大ヒントだった」
「あのけんちん汁? ダシのもと入れて味噌入れて、ワゴンにあった野菜ぶっこんだだけだけど。魚もあったし。ただ焼いただけ」
実家がちょくちょく送ってくる大量の食材をいきなり解決してくれたのはありがたいが、作りかたのタネ明かしされると萎えるもんだなと涼一は顔をしかめた。
「……つか味噌入れる順番ちがくね?」
「そか?」
土屋がそう返す。
「いいから食お。きょうは出勤とき、車乗せてやるから」
土屋がそう言い台所のほうにもどる。
朝食が用意されてる上、車出勤でいつもよりちょっとゆっくりできる朝。
何でこいつここに連れて来たんだっけ。
もはや何をやってるのか分からなくなって、涼一は頭をかかえた。
「萎えるだろ、そりゃ。朝、包丁のトントントンの音で目覚めたと思ったら、料理してんのがスーツの男とか」
アパートの駐車場。
二人でそろって土屋の自家用車の横に歩みよりながら涼一は顔をしかめた。
「あの時点でスーツに着がえてなかったじゃん。あんときは部屋着兼パジャマ」
「たいした違いねえわ」
土屋が運転席のドアをあけて乗りこもうとする。
涼一は助手席のドアを開けようとして、ふと手を止めた。土屋が運転をあやまって事故を起こす光景を、つい想像してしまった。
「……あ、待て。俺が運転する」
車のルーフ越しにそう提案する。
土屋が運転席に乗りかけてからもういちど立ち上がり、ルーフの上から顔を出す。
「いいけど、どうしたの」
「どうしたのじゃねえよ。ガイコツの件が解決するまでなるべく運転すんな」
涼一は車体のうしろを回り、つかつかと運転席のほうに向かった。
運転席のドアを開けたままの格好でため息をついている土屋に向けて、助手席に行け、と指さして指示する。
「まえに死亡事故の統計見たことあるけどさ、助手席のほうが死亡率高いらしいよ。運転席はハンドルでけっこうガードされたりするけど助手席は何もないからとか何とか」
土屋がスタスタと助手席に向かいながら語る。
涼一はもういちど早足で助手席のほうにもどると、もはやどちらにしていいか分からなくなり真顔で土屋の胸ぐらをつかんだ。
「ちっとは自分の安全に危機感もてよなあ。殺すぞ」
「鏡谷くん、それギャグ?」




