自宅アパート 一
「おじゃましまーす」
涼一のアパート。
土屋が、ほかにだれもいないのにペコペコおじぎをしながら玄関を入る。
「まえに来てんだろ。このまえの借りもあるんだから遠慮なく泊まってけ」
「お、きょうはペプシあるんだ」
リビング兼寝室のフローリングの部屋に入ろうとしてふりむくと、土屋がほんとうに遠慮なく冷蔵庫を開けている。
涼一はつかつかとキッチンにもどり、冷蔵庫のドアを閉めた。
「なに勝手に見てんだ」
「遠慮すんな言うから」
土屋がそう返す。
「ペプシは奢るから勝手に開けんな」
涼一はもういちど冷蔵庫を開けると、ペプシのペットボトルを取りだし土屋の手に押しつけた。
「いやちょっと鏡谷くん?」
土屋が苦笑いする。
言ってること矛盾してるか。そう思い直した。
一人っ子育ちのせいか、どうにも同年代のやつが自室で勝手な動きをするのに慣れていない。
「……やっぱ好きにしてていい」
そう告げる。
このまえ風呂のボディスポンジ借りてすらなにも文句言われなかったしなと思う。
「べつにイヤなことははっきり言っていいけどさ」
土屋がペットボトルのフタを開ける。
部屋に入ると、プシュッという音が背後で聞こえた。
「これ、行員さんの手形あった冷蔵庫だよね? 新紙幣のホログラムの騒ぎんとき」
土屋が尋ねる。
「きれいに消えてるね。拭いたの?」
「帰ってきたときには消えてた」
涼一は答えた。リビング兼寝室の部屋に入り、ネクタイをゆるめる。
そのままはずしてクローゼットを雑に開け、ハンガーにかける。
「ん」
ハンガーの一つを取りだして土屋にわたした。
土屋が受けとる。
「おじゃましますね」
土屋があらためてそう言いハンガーを受けとる。
つれて来たものの、死神から守るなんてどうすりゃいいんだと涼一はため息をついた。
口についた水をぬぐっていたしぐさ。
そもそも水気のない場所でなぜとつぜん土屋の口元にだけ水滴が落ちてきたのか。
あれで連想できるものを、車で来る途中ようやく思い出した。
死に水。あれは末期の水じゃないのか。
人が亡くなった直後に、唇を水で湿らせる儀式。
もしそれだとすると自身がM県に行くまえから土屋は死神に目をつけられていたことになるが、そのへんの時系列はどうなってんだ。
土屋に聞けばいつものマンガ知識かゲーム知識で答えてくれるかもしれないが、さすがに今回は聞けない。
そもそも死神は、いつもの霊現象のように塩をばらまいて追い返せるものなのか。
「ああそだ、塩」
涼一はカフスボタンを外しながら、もういちどキッチンのほうに向かった。
冷蔵庫とシンクのあいだに置いた引き出しつきのワゴンをさぐる。
塩はもうかなり残り少なかった。
「塩、あんまないから買いに行くわ。コンビニすぐそこだから行ってくる」
そう土屋に告げる。
土屋がこちらにきて塩の入ったパッケージを見つめる。
「よくこんなん減るまで補充せずにいられるな鏡谷。自炊しないタイプ?」
「おまえもしない言ってたろ、このまえ」
涼一は顔をしかめた。
「まあ、いそがしいからあんまりできないけどさ。それでもここまで減るまえに気になんね?」
「イヤならかえ……」
帰れとつい言いかけてしまい、涼一は口をつぐんだ。
「……らなくていい。ここにいろください」
「ムリしてない?」
土屋か眉をよせて複雑な表情をする。
「――俺はベッド派だから、おまえフローリングに予備の布団な。塩買ってきたら敷いてやる。あと風呂は出かけてるあいだ入りたいなら入れ。中にあるもんは勝手に使っておっけ」
「……お湯張るタイプ?」
土屋が風呂場のほうを見る。
「ユニット」
涼一はそう答えた。玄関に向かい、せまい三和土で靴を履く。
「ユニットバス、修学旅行以来かな」
「マジか」
涼一はそう答えた。
「べつに本場もんみたいなガチのやつじゃないし。中にトイレなくて洗い場あるし、ビニールのカーテンねえし」
「ああ、日本風のなんちゃってユニット」
土屋がそう返す。
「まあ、ガチなのはやっぱ困るから助かるな」
「んじゃ塩買ってくる。――何か食うもんも買ってくる?」
涼一は玄関ドアのノブに手をかけた。




