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M県S市の山あいにある株式会社Mの会長宅は、むかしながらの庄屋の家とみられるたたずまいだ。
瓦の葺かれた純和風の母屋は、あちらこちらから身内か手伝いの人と思われる人がひっきりなしに出入りしている。
勝手口だけで四、五ヵ所はありそうだ。
外観からざっと推測しただけでも部屋数は十部屋と少し、両脇にある離れは到着したときに荷物置き場として通されたが、一階二階合わせて七、八部屋はあったか。
冠婚葬祭のさい母屋は、一階のいくつかの部屋のふすまをはずして広間として使える間取りになっている。
母屋の廊下が庭に面していて幅広く、大勢の人が来たさいは庭から直接広間に出入りできるようになっている。
涼一の祖父の家もこういった作りをしているので、よく知っている。
祖父の場合は寺だが、むかしから庄屋の本家なんかに多い作りだ。
涼一は庭の一角に立ち、離れた場所にあるお焼香の受付テントをながめた。
喪服のスラックスのポケットに手を入れる。
おとずれる人々は、夕方になってもいまだ多い。
会社からあずかった香典を渡し、焼香とあいさつを済ませた。
あと上司に連絡して、何もなけりゃ帰っか。
営業先関連の葬式はなんどか参列したことがあるが、仕事の関係者しか見かけない葬式というのもままある。
故人って嬉しいんだろうか、こういうのと思う。
見たこともない若造が来てやがるとそのへんから故人が睨んでたりしないよなと勝手に想像して眉をよせた。
「お兄さん」
しわがれた声に呼び止められる。
俺か、と涼一は目を泳がせた。
すぐ近くの位置に人はいない。
テント周辺にいる人々、廊下から広間に上がろうとしている人、勝手口から出入りする人たちをそれぞれ見回すが、女性や年配の人ばかりだ。
「お兄さん」に該当しそうな人は自分のほかにいなそうだ。
まさかほんとうに故人の亡霊がそのへんにいて、睨みつけてるわけじゃないよな。
涼一は声の主をさがした。
「お兄さん、こっちこっち」
しわがれた声がゆっくりと呼びかける。
自身の太腿あたりの位置からシワだらけの顔がのぞいた。
「うわっ!」
涼一は思わず声を上げた。
和装の喪服の上にグレーのショールをはおり、車イスにすわった老人がいる。
一瞬亡くなった会長かと思ってしまったが、きちんと結った白髪と紋付きの着物。
女性だ。
「失礼いたしました。株式会社わたのはらの鏡谷と申します」
涼一はとっさに営業用の笑顔と落ちついた声に切り替えてあいさつした。
「お兄さん、営業の人かい」
老齢の女性が尋ねる。
「さようでございます」
涼一は愛想笑いで答えた。
「うんうん、なんか営業しみついてる」
どういう意味だろう。いい意味だろうか悪い意味だろうか。
まあいいや。「どうせ愛想笑いでしょ」と言われても気にせんで愛想笑いを貼りつけつづけるのが営業ってもんだと思ってる。
「――よろしければ」
涼一はつくり笑顔で内ポケットから名刺入れをとりだし、一枚抜いて渡した。
「鏡谷 涼一さん……」
女性が名刺を両手で受けとり名前を読む。
あかるい笑顔で顔を上げた。
「イケメンさんだから声かけてみたんだよ。こんなお婆ちゃんでごめんね」
「いえ、あたたかい感じのかただなと。何かホッといたしました」
「うっまいねえ。やっぱ営業のかただわ」
女性がアハハハと笑いだす。
スッと真顔になると、あらためて名刺を見た。
「いやいや、きょうは主人のためにわざわざありがとうね」
会長の奥方だったか。
顔までチェックしてなかった。うかつだったなと涼一は思った。
「んで鏡谷さんは、一人で来たのかい?」
女性がゆっくりとした口調で問う。
どんな意図で聞かれているんだろうと涼一は頭をめぐらせた。
会社の代表という形で来ているのだ。あまり下手なことは言えない。
「社長以下、社員一同うかがいたいのはやまやまだったのですが……」
「ああ、いい、いい。とっくに隠居みたいなもんだったんだから気ぃ使わんでも」
女性がほそい手をパタパタとふる。
「鏡谷さん、どこから来てんの」
女性がもういちど名刺を見る。
「K県ですが」
「K県では、葬式のときは二人一組で帰るって風習はないのかい」
涼一は脳内の知識をさぐってみた。聞いたことはない。
「いえとくに」
「そうかい」
女性がうなずく。
「この辺ではね、葬式の帰りに一人だと死神が追っかけてくるって言い伝えあんの。二人以上だと、誰にするか死神が迷ってとり憑くのやめるんだと。――んだから帰りは誰でもいいからくっついて帰んなさい」
「は……」
涼一の脳裏に、三日まえレジャー施設の廊下で見た骸骨の幻影が浮かんだ。
いやでも関係ないよなと打ち消す。
「……はい」
「んじゃ、お気をつけて」
女性が車イスにすわった姿勢で礼をする。
「お気づかいありがとうございます」
涼一はおじぎを返した。
車輪の音を立てて、女性が車イスでテントのほうに向かう。
いつの間にか空に夕焼けの雲が混じりだした。
もうそんな時間かよと涼一はスーツのポケットからスマホを取りだした。
暗いとこ運転して帰ることになるな。夕焼けで朱色に染まったスマホ画面を見ながらそう考える。
ずいぶんと不気味なことを聞かせられたが。
まあ迷信だろと思いながら涼一はスマホを耳にあてた。




