水 ŧ 滴ʓ 二
「あ゙ー」
レジャー施設のスタッフ用食堂。
涼一は、自動販売機まえのベンチに座り、背もたれに背をあずけて上体をそらしていた。
顔にのせたクラゲ柄の濡れタオルをつまんで上げる。土屋が急遽おみやげ売り場から買い求めて来たものだ。
鼻血らしきものはついていない。みっともないことにならんでよかったとホッとする。
「大丈夫ですか?」
納品の応対をしてくれた女性スタッフが立ち止まり声をかけてくる。
気を失うところまではいかなかったが、鼻をおさえてふらついていたのでここに案内してくれた。
「いつものことですから」
土屋があきれた顔でこちらに歩みより、冷たいオレンジジュース缶を手渡してくる。涼一はその缶をタオルの上にのせた。
「よかったら医務室に」
「ほんと大丈夫です。ご心配おかけしました」
涼一は愛想笑いをして断った。
ペコッとカジュアルな会釈をして、女性スタッフが立ち去る。
「ほんといつものことですから」
土屋が横に座り、缶コーヒーのプルトップを開けてコクッと飲む。
「悪かったな」
涼一は額の上の濡れタオルを裏返した。
「なんで毎回あそこでおさわりしたがるかな」
「ああもう。いっそ “おさわり禁止” って書いとけ」
涼一は食堂の天井に向けてため息をついた。
「 “おさわり禁止” ってデカデカと書いたTシャツとか着て出てこられたらどうすんの」
土屋がコクッとコーヒーを飲む。コーヒー缶を座面に置くと、スーツのポケットからスマホを取りだし時刻を見た。
「俺、あと二十分くらいしかついててやれんけど平気?」
「いま何時」
涼一は問うた。
土屋がスマホをかたむけてホーム画面のデジタル時計を見せる。
「俺のほうがさき出る。あと十五分くらい」
涼一は答えた。
「まあ気絶からふらつく程度になったのは、ちょっと慣れたんでないの?」
土屋がスマホをポケットにしまう。
「慣れとかあるのか?」
涼一は顔をしかめた。
「さっきなに絶叫してたの」
土屋が問う。座面に置いた缶コーヒーをふたたび手にした。
「ああ……」
涼一は白い天井を見つめながらタオルを裏返した。
「廊下のさきにデカい骸骨がいた」
「骸骨」
土屋が缶コーヒーを口にする。
もういちどスマホを取りだすと、画面をタップして検索をはじめた。
「こんなやつ?」
スマホ画面をこちらに向けて、何かの画像を見せる。
浮世絵のようだ。
巻物を持った女と刀を持った男たちのもとに、巨大な骸骨がぬっとあらわれている色鮮やかな絵。
「あーこんなの。こんなイメージ」
涼一は答えた。
「うすい影絵みたいな感じだったけどな。壁から天井にかけて」
土屋がスマホ画面を自分のほうに向ける。
「がしゃどくろって妖怪だけどさ。生きている人に襲いかかっては握りつぶして食べる――えぐ。こんな感じの何かか」
「これに気をつけろってか?」
涼一は顔をしかめた。
「行員さんというか、水着童子が言ってたな」
「どう気をつけろっての」
涼一はボヤいた。
もういちどタオルを裏返す。
だいぶぬるくなってきた。
食堂のすみにあるシンクで濡らしてきてもいいが、つぎの営業先に行くまでもうそんなに時間がない。
代わりに土屋が渡してくれたオレンジジュースの缶を目の上にのせる。
「あーつめて」
「それ百五十円ね」
土屋がスマホをタップしながら言う。
「タオル代といっしょに返す」
「うん」
スマホの着信音が鳴る。
土屋のスマホかと思ったが、自分のほうだ。
いつもスマホは通勤カバンに入れているのだが、納品で段ボールを運んでいる途中にかかってきたらと思いスーツのポケットに入れていた。
土屋がこちらを見る。
「あ、俺。いま出る」
涼一はそらしていた上体を起こしてスーツのポケットをさぐった。
つぎの営業先にはまだ間に合うはずだと思っていたが、何か予定変更でもあったか。
スマホの画面を見る。
上司からだ。
「──はい」
涼一はアイコンをタップして通話に応じた。
「え、それは……そうですか。──はい。もどりは五時ごろの予定ですが」
涼一はみじかく応対して通話を切った。
「株式会社Mの会長、亡くなったんだとさ」
涼一は通話の内容を土屋にかんたんに伝えた。
「だいぶ高齢だったんだっけ?」
自分の営業回りの先ではないのでさすがにこまかいところは把握してないらしい。土屋がコーヒーを飲みつつ応じる。
「九十四歳とかだっけ。俺もいつも支社しか行ってないから面識ないけど」
涼一はスマホをポケットにしまった。
「いちお葬式参列しろって。本社のM県のほうに行くことになるから帰ったら打ち合わせ」
「ん。そ」
土屋がコーヒーを飲みながらみじかく返した。




