夢幻ニ散ᵹ櫻၈迷宮 三
頭上の春霞の空を、白い巨体がうねりながら横切る。
純白のウロコが靄で少しぼんやりとした太陽の光を反射していた。
「出たな」
日ノ出河の主の白蛇だ。
涼一は見上げた。
黒龍がうねるたびに重心がやや移動する剣を両手で支えながら、何とか話は通じないかと白蛇の頭部のあるあたりを見当つける。
あいかわらず舞い散る桜の花びらが、白蛇の動きにあおられ天高く吹き上げられた。
「おい、白蛇さん! つかヘビ殿ってのが名前なのか敬称なのか知らんけど!」
呼びかけてみるが、反応はない。
うねりながら上空をゆっくりと旋回している。
枝を焼き切られた桜の上をかすめるように浮かび、ウロコに枝の切っさきが触れようがおかまいなしだ。
キあ━━━━━━━━━━━━━━━━!!!!!
不動明王も本性の姿のときはこちらの言葉になどに反応はしない。
神仏が本来の姿になれば、人間など小さすぎて見えない存在なのか。そんなふうに想像してみたことがあるが。
「おいペットの龍さん! ヘビ同士で意思疎通できないか!」
倶利伽羅剣に半身を巻きつけた格好でつぎの伐採箇所を見すえる黒龍に、涼一は呼びかけてみた。
「龍王さまだってば、鏡谷くん。お不動さまの化身って説もあるけど」
土屋が苦笑いする。
黒龍が剣先からのびた巨大な体をUの字に曲げてこちらを見る。
ガッと口を開けると、こちらに突進し涼一の頭部に巨大な牙を立てようとした。
「――へっ?!」
「申しわけありません。うちの鏡谷が失礼いたしました」
頭部が丸呑みにされるかと思いきや、土屋が黒龍のまえに立ちはだかり大きな口に自身の右腕を鉤状に差しだして止める。
「おいっ、おま、何やってんの! 腕!」
涼一はあわてて倶利伽羅剣を放り投げようとした。
「いや大丈夫。大丈夫だからそのまま剣持ってて」
土屋が落ちつきはらって腕を引く。
ケガをしている様子はない。
涼一はハラハラしながら土屋のスーツの袖を目で追った。見たところ破れ目すらないが。
「甘噛みっつか、冗談みたい」
ふたたび上空に向けて体をうねらせていく黒龍を、土屋が見上げる。
「冗談……」
涼一はバクバクと速まってしまった自身の心音に気づいて息を吐いた。
「おま……冗談って気づいてたの?」
「ぜんぜん」
土屋がスラックスのポケットに手を入れる。
「……分かってないのに腕だすか、ふつう」
「そだね」
そう答える。
倶利伽羅剣に下肢を巻きつけたまま、黒龍がぐんぐんと上空に体をのばす。
上体を反転させながら炎の刃を撒き散らし、あたりの桜の樹を伐採していった。
春霞のあわい色の空がますます広くなる。
気のせいだろうか、周囲の景色に流れる水の幻影がうっすらと混じりだした。
桜の花びらの舞い散る動きが、水の流れとリンクしだす。
「あンれ……」
前方で地面に伏せったり座りこんでいた一桜村の村人が、怪訝な顔をして自身の手や腹部のあたりを見つめだす。
「ホねだ」
「おレの腹……」
そうつぶやいた壮年の男の顔が、端から白骨化していく。
「ホねんなっちょるよう」
呆然とほかの村人たちを見回した若い娘が、すわりこんだまま口元から白骨化していき、やがて土塊になって桜の花びらに吹かれて消える。
地面に置かれた樽型の棺桶が朽ちてバラバラになり、竹の箍が外れて中で土塊になった遺体がこぼれ落ちた。
通ってきたばかりと思われる竹と茅の仮門が、うす茶色に枯れていき形をくずして倒れる。
やっと葬式終われたか。
涼一は、土塊になって風に吹かれるかつての村人たちを見つめた。
「おつかれさまです。これからヘビ殿を誘導します」
背後から明るい女性の声がした。
行員の声だ。
不動明王、ようやくあらわれたか。
「おっせえぞ! おわびにこんどハイビスカスの水着で来やが……」
涼一は声を上げながらふりかえった。
「鏡谷くん、本人に面と向かって言ったらフォローしようもないでしょ」
土屋が顔をしかめる。
行員の姿はなかった。
ズシン、という重々しい音とともに、見上げんばかりに大きな武装した脚が地面を踏みしめる。
涼一は土屋とともに上体を反らすようにして頭上を見上げた。
鎧に身を包んだ巨体が、旋回を続ける白蛇を片手に巻きつけるようにしてゆっくりと西のほうに誘導する。
「どこに連れて行くんかな……」
涼一はホッと息を吐きながら見送った。
その場にしゃがみこむ。
「極楽浄土? 高天原? ともかく思いっきり神仏習合してるもんなのな」
まだパラパラと残る桜の花びらを背に、不動明王が姿を消す。その様子をながめながら土屋がつぶやいた。
「人間が作った、んな区別なんてそもそも根本から違ってるってか?」
土屋がそう続けた。
黒龍が、こちらに向けて頭をもたげる。
シュルっと小さくなり倶利伽羅剣に絡むと、倶利伽羅剣は行員からあずかったときと同じ銅製の古美術のような姿になった。
「何時」
涼一は土屋に問うた。
土屋が、涼一のカバンからスマホをとりだし時刻を見る。
「十二時二十分」
「俺はまあまあよゆうか。おまえA県間に合う?」
「ちょい飛ばすかも」
土屋が答えた。スマホをカバンにしまう。
「おま、下手したら片腕で行くことになったんでねえの?」
「考えてみたら、んだね」
あたりを見回し、異空間の出口をさがす。
しばらくすると、桜の花びらは消えた。




