株式会社わた၈はら 社員用駐車場 三
昨夜はまた土屋のアパートで世話になり、風呂を見張られトイレのまえに張られ、ふとんを敷くのを手伝わされて並んで寝た。
洗濯機は貸してくれんかったというか、自宅に下着をとりに行くのに付き合ってくれて、洗濯ものはそのついでに洗濯カゴにぶっこんで来ればと言われた。
この事態が長引いたら、洗濯機を回すあいだこっちのアパートに張るつもりなんだろうかと思ってしまうが、たぶん短期戦で終わらせるつもりでいるんだろう。
そこはまあ、たのもしいというか。
通勤もいつものバスではなく土屋の自家用車だった。
社員用駐車場に車を停め、ほぼ同時に降りる。
後部座席のドアを開けてそちらに置いた通勤カバンをとりだしていると、離れた区画線に軽自動車を停めた女子社員が車内からこちらをじっと見ていた。
なぜか口元にこぶしをあて、ニヤニヤしてこちらを見ている。
たしか事務の子だ。
「きのう変な目で見てたって、あの子?」
土屋が問う。
「いや。きのうは営業のほうの子」
涼一は答えた。
「そろって変な店で遊んで朝帰りとでも思われてるのか……?」
顔をしかめる。つい睨むように見てしまった。
土屋が通勤カバンからスマホをとりだして時刻を見る。
「きのう伝えた通り。俺はお昼ちょいすぎくらいまではこっちいるから、何かあったらスマホにかけてきて。午後は朝石駅でさやりん拾って。二時くらいには着けるって言ってたから」
通勤カバンにスマホをしまいつつ土屋がため息をつく。
「どうしても一時間半程度は一人になるけどな。それ以上は俺もさやりんも調整ムリだった」
「いいよ。何つうか、お嬢さまとかじゃないんだから」
涼一は眉をよせた。
ここのところ何かモヤモヤしていたが、たぶんこれだ。
護衛つきのお嬢さまみたいな状態になってる。
「倶利伽羅剣はどこ置くの? ひとまずロッカー?」
土屋が後部座席をのぞく。座席の足元に置いていた。
「銃刀法に問われんのヤだからあとでこっそり社用車に運ぶ。そんときちょっとだけキー貸して」
涼一はネクタイを軽く整えた。
「大丈夫じゃないの? “新商品にどうかと思ってプレゼン用に持ってきました” って言うとか。このさい仏具ブームなんかでっち上げるとか」
「……おまえ、朝っぱらから笑かせようとしてる?」
涼一は眉をよせた。
さきほどの軽自動車の子は、なぜかいつまでも降りずに車内でスマホをいじっている。
こちらに二、三度カメラのレンズを向けたような気がするが、まさか撮影してるわけではないだろう。
おなじ会社の平凡な社畜二名の画像とか、容量のムダにしかならない。
「何したんだろ、あの子。降りないのかな」
土屋が怪訝な顔でながめる。
「何か撮影してんのか? 社屋? 空か?」
涼一は自身の背後を見渡した。
「声かけんのも変だしな。何か都合あんだろ、行こ」
土屋が社屋のほうへとうながす。
「んだな」
涼一はネクタイを軽く直しながら土屋とならんで社屋に向かった。
営業先の駐車場に停めた社用車に乗りこみ、ハンドルに手をかけて涼一は息を吐いた。
さきほどから冷たい霧雨が降っていた。細かい雨粒が、しとしととアスファルトを濡らしている。
まず今日一社目の営業回りクリア。
一人のときに葬式霊団に来られてもヤバいが、営業先の社屋で来られたら。
土屋が駆けつけたときの話だと無表情で立ちつくして倒れたというし、事情知らん人たちの前なら大騒ぎだ。
大丈夫と伝えたものの、常に緊張感は抜けない。
スマホの着信音が鳴る。
涼一は、カバンからスマホをとりだした。
土屋だ。
「──無事か?」
「無事ってか、いちいちかけてよこさんでいいよ。異変あったら知らせる」
涼一は答えた。
倶利伽羅剣が車の後部座席にあるせいなのだろうか。きのうから桜の花びらすら舞ってこない。
お不動さまがこの怪異に囚われている村人と日ノ出河のヘビ殿とやらを救うつもりでいるなら、このまま何ごともなく終わるわけもないだろうけど。
桜の伐採をしてほしいとか言ってたが。
涼一は、駐車場を囲むケヤキの木々をながめた。
見たところここに桜はないと思うが、現実の桜は開花までまだ少し期間がある。
「──N企画との話、思ったより長引いてさ。いまちょっと向こうがタブレットとりに行ってるあいだにかけてみたんだけど」
「何やってんの、おまえ。いいからそっちの仕事しろ。いざとなったら倶利伽羅剣こわすぞ叫んで行員さん呼び出すから」
言ってみてから、この手があったなと思う。
マジでこんど使ってみよう。
「──あ、ごめん。切る」
土屋が言う。相手社の担当者さんが来たんだろうなと思った。
「おつかれさん」
涼一がそう返すまえに通話が切れた。
土屋のほうが図太いイメージだったが、今回はそんなにヤバいか。
涼一は助手席に置いたカバンをとりだし、スマホをしまった。
しとしとと降り続く雨が、濃い霧のように車のウインドウを覆いだしたのが横目に見える。
霧雨、ひっでえな。
もしかして運転するのに支障が出るだろうかと思いながらフロントガラスを見る。
フロントガラスの上に、真っ白い着物の女が立っていた。
フロントガラスに足裏をつけて直立しているので、重力をまるで無視のななめ状態だ。
車内からは顔は見えないが、長い黒髪が水中をただようようにゆらゆらとなびいている。
「まじ……」
涼一は一瞬ひるんだが、いちおう事情は呑みこんだところだ。
数秒間ほど躊躇したが、運転席のドアを開けフロントガラスにたたずむ女に向かい声を上げた。
「おいあんた、日ノ出河の主か! 話は聞かせてもらった。人類は滅亡せんけど、あんたはたぶんお不動さんが助けてくれようとしてる。もうちょっとの辛ぼ……」
女が、かなり不自然な体勢でこちらに顔を向けた。
ヘビだからわけ分からん体勢で振り向けるんだなといらん納得をする。
キあ━━━━━━━━━━━━━━━━!!!!!
女が口をパックリと開けて悲鳴のような声を発する。
ゾクッとひどい寒気がした。霧雨がやたらと冷たく、まるで水に浸かったように寒い。
目の前が暗くなった。




