自宅アパート 三
「おい。ちょっ待て……!」
涼一は、木製のうすい壁をドンドンとたたいた。
グラグラとゆれる。やはり自身が閉じこめられているのは、あの樽型の棺桶か。
「降ろせコラ、ふざけんな!」
御詠歌のようなものが聞こえている。
さきほどは不動尊の御詠歌だった気がしたが、いま聞こえているのは「花のうてな」という歌詞が聞こえる。
いくつかの宗派で歌われているものか。
とたんに身体が大きくかたむいた。
樽ごとぐるぐると回されているのだろうか。身体が木製の壁に二、三度打ちつけられる。
「ちょっ……クソ。やめろ!」
どこかつかまれるところはないか手さぐりでさがすが、どこにもない。目が回りそうだ。
徐々に遠ざかる、年配の女が詠う御詠歌。
花のうてな。つきかげの里。むらさきの雲。
ぐらりと身体が大きくかたむいたかと思うと、今度はしっかりと引力のある感覚を五感に感じて涼一は戸惑った。
背中を支える誰かがいるのに気づく。
「ぅえ……すみません」
目が回る。
何とかちゃんと立とうとするが、足元がふらついている。
とりあえず上下左右を判別しようとしたが、見当をつけた方向に革靴の裏を置こうとすると足が滑った。
ここどこだっけと思考をめぐらす。
自身が意識朦朧としているのは分かるが、ここが公共の場とかなら恥ずかしすぎる。
支えてくれているのは、通りすがりのご親切な人か。
「……すひません」
「つか重い」
聞き覚えのある声という気がしたが、ここがどこなのかというほうが先だ。
「あの、らいじょうぶですから」
「んじゃ、ちゃんと立ってみて」
そう答えたうしろの人物も、ふらついている気がする。
「……らいじょうぶですか?」
「いやそれこっちのセリフ」
支えてくれている人も、徐々に膝を折り座りこんでいるのが分かる。
「あームリ。おなじくらいの体格の男とかムリ。鏡谷くん、ちょっと地面に寝かせるわ」
支えてくれている人物がそう言う。
土屋みたいな呼びかたする人だなと思う。
頭と肩のあたりはかろうじて支えてくれていたものの、胸部から下はゆっくりと硬い地面に横たわらされる。
さきほどまでのゆれる木製の足元とは違う。現代人にはなつかしいコンクリートの地面と感じた。
「――あっ、救急車は大丈夫です。すぐ車に乗せますから」
支えてくれている人物が、横にむけてそう言う。
ここがどこか知らんが、救急車とかやめてくれてありがとう。そんなもん呼ばれたら恥ずかしい。
頬をペシペシと叩かれる。
「聞こえますかーあ? お名前言えますかあ?」
叩いているのは誰だ。さっきの白装束の葬式幽霊どもだろうか、ふざけやがって。
「だれが名前なんか言うか……それより不法侵にゅ……」
涼一は答えた。
ペシペシペシとさらに叩かれる。
「ご住所言えますかあ?」
「……ご住所なんて教えてもいねえのにどうやってたどり着いた」
ペシペシペシペシとまた叩かれる。
「勤務先は?」
「あ゙ー……給料上げろ」
「年齢は」
「うるせえ。アラサーで葬式やられてたまるか」
「わざわざ迎えに来て介抱までしてくれてるありがたいご友人のお名前は言えますかあ?」
「……行員さん……」
頬を叩く手が止まった。
「……途中からウケねらってない? 鏡谷くん」
だれかが顔を覗きこむ。
土屋じゃん。涼一は目を丸くした。
ようやく意識がはっきりしてくる。おもむろにコンクリートの地面に手をついて上体を起こした。
頭に手をあてて、軽くのこる目眩がおさまるのを待つ。
よくよく周囲を見回せば、自身のアパートの部屋のまえ。コンクリートの通路だ。
ほかの棟の住人が二、三人こちらを見ていたが、気がついたようだと分かるとそれぞれにきびすを返したり窓から顔を引っこめたりした。
「なんでこんなとこで介抱してんの。はっずかしいだろ」
涼一は大きく息をついた。
座りこんだ姿勢のまま、自身のアパートの部屋のドアを開ける。
白装束の集団も白蛇の擬人化のような女もいない。
土屋は、いまだ向かい側でいっしょにしゃがんでいる。変なところまで付きあいのいいやつだ。
「緊急事態っぽいから車で来てやったら、ドア開けたまま無表情で突っ立てたんじゃん。――んで、どうした? って声かけたら、バタッて倒れた」
そういう状況だったのかとようやく呑みこむ。
「……帰宅したら、このまえの白装束集団がここで葬式はじめてた」
涼一は短く説明した。
土屋がしゃがんだまま部屋のなかを見る。
「んで、あたらしい葬式がどうとかあたらしい死体とか言われて斧とか鉈ぶん回されて、あの樽の棺桶に詰めこまれてそのままお葬式開始」
土屋が軽く目を見開いた。
「ケガは」
「あー……ないみたいだけど」
涼一は自身のスーツをざっと見回した。
「……ヤバくね? 鏡谷くん。命取られかねないっていうか」
「何か、千鳥とかこのまえの鬼より不気味ではあるな。目的っていうか何したいのかさっぱり分からんっていうか」
涼一は額に手をあてた。
「とりあえずうちに避難する? どうする、鏡谷くん」
土屋がしゃがんだ姿勢で尋ねた。




