自宅アパート 一
午後七時半。
涼一は、営業回りを終えて退社したあと途中のスーパーで割引になった弁当を買い自宅アパートに戻った。
はーっと息を吐き、玄関の鍵を開ける。
前回のかくれんぼの件のように、営業先で鬼におそわれたらどうしようかとヒヤヒヤしながら仕事をしていた。
何ごともなく終わってよかった。
明日も無事に済みますように。こんなときだけ不動明王に祈ってみる。
メシ食って風呂入ってちょっとユーチューブ見て寝よ。
首を回してほぐしながらドアを開ける。
玄関を入ってすぐ左手にあるキッチン、右手にある洗濯機と風呂とトイレ。
そのあいだにある短い通路を通って、フローリングの寝室兼リビングに入る。
部屋のなか。三十人ほどの白装束の者たちが、ぎっしりとならんで正座し涼一のほうをふりむいた。
入りきれずにベッドの上に正座している者も何人かいる。
いちばん奥の窓ぎわには、Y県で見た樽型の棺桶。横に立てかけているのは、かつぐときの棹か。
「ひっ……?!」
涼一は後ずさった。
白装束の人々は、無表情で涼一を見つめている。
「ちょっ、なに。不法……!」
涼一は玄関口のほうまで後ずさりながら、通勤カバンからスマホを取りだした。
一一〇番をタップしかけたが、警察に正体不明の幽霊の不法侵入を訴えても受理してくれるわけなさそうだと思い直す。
そもそもこいつら他県の幽霊だ。管轄外なのでそっちの署に行けとか言われたらどうする。
どこの行政機関にかけたらいいんだと考えたあげく、けっきょく土屋になった。
履歴にある土屋の番号をタップし、白装束の人間たちとにらめっこしながら呼び出し音を聞く。
「──はい」
ややして受話口から土屋の応答する声が聞こえた。
「何かとりあえずおまえんとこしかなかった。いまヤベえんだけど」
「──なに? またサイフ忘れたの?」
土屋が大まじめに返す。
「何べんも忘れるか。──やっぱ俺はお不動さん信じてやらんことにした。さっきせっかくちょこっとだけ祈ってやったのによ」
「──あー順番に説明してくれる? 鏡谷くん」
涼一は通勤カバンを持ちかえた。
カバンには、とりあえずサイフとスマホが入っている。現代人としては最低限これさえあればどこに逃げても何とかなる。
ギリギリまで後ずさり、玄関のドアに背をつける。
白装束の人々は、じっとこちらを見ていた。
彼らが写真のない時代の人々であろうことが救いだ。樽の棺桶のまえにもし自分の遺影が掲げられたりしていたらメンタルを保つ自信がない。
「……いまどこ。いまからそっちのアパート避難していい?」
涼一はいやな汗をかきながら尋ねた。
「──いいけど狭いよ?」
「どんくらい」
「──鏡谷くんのアパートと同じくらい」
ごもっともな返答だ。
給料ざっくり同じくらいだろうからそんなもんだろと思う。ボーナスの額は知らんが。
「──何なら車で迎えに行くけど」
土屋がそう提案する。
「まじ? ありがたい。いまどこ」
「──あたしメリーさん。いまあなたの家の前にいるの」
土屋が裏声で言う。
「アホかてめえっ! 葬式幽霊とメリーさんで前門のトラ後門のオオカミとか俺のメンタルぶっ壊す気か!」
「……あたらしい葬式け?」
白装束のうちの一人がつぶやく。
何人かが立ち上がり中腰になった。さきほどより目を大きく丸くしてこちらをじっと見つめる。
「あたらしい死体じゃん」
「ほだね。あたらしい死体じゃ」
異様な空気を感じて、涼一はさらに背中をドアに押しつけた。
血の鉄くさい匂いと、桜の花のうすく清涼な香りが混じりあって部屋のほうからどんよりと流れてくる。
「これでこっから抜けれるじゃん」
黄ばんだ白装束の若い娘が、泣き笑いのような表情になる。
表情をつけることできるのか、こいつら。涼一は少し面食らった。
「あたらしい死体さよ」
娘が、どこからともなく大きな包丁を持ちだす。
「ほだ。あたらしい死体じゃ」
何人かが立ち上がった。
「死体じゃ。あたらしい葬式じゃ」
ほかの参列者も、いつの間にか手に出刃包丁や斧や鎌を手にしている。
あたらしい葬式って。涼一は目を大きく見開いた。
「……なにやってんのあんたら。無理やりあたらしい死体作って葬式やってるとか?!」
涼一は玄関ドアに背中をグググっと押しつけた。




