ㄚ県ㄚ市郊外 一
三千メートル越える高さのF山が商店街の間近にせまる景色を社用車のフロントガラスからながめ、涼一は遠近感がおかしくなりそうな感覚を覚えた。
山はさきほどまではきれいな青と白の姿だったが、夕方ちかいいまは夕日を浴びて朱金に染まりかかっている。
出張の仕事を終えて訪ねた企業を後にし、商店街の裏にある駐車場に車を停める。
巨大な山が目の前に迫ることにはげしい違和感を覚える以外は、活気のあるふつうの郊外の商店街だ。
風にはためく商店街フラッグ、レトロな街灯とこれまた昭和レトロっぽいアーケード。
途中で買ってきたコーヒーを飲みながら三十分ほどF山とユーチューブをながめて待っていると、うしろからエンジン音が聞こえて紺色の車が横に停まった。
運転席のスーツの男がこちらをうかがうっている。
土屋だ。
涼一はコーヒー缶を持ったまま車から降りた。
ルーフに腕を置き、ズズッと缶コーヒーを飲む。
「よく着けたな。場所特定できんかと思ってた」
「できるでしょ、なんとか。ナビとGPSと、ポイントごとに画像くれたし。――あとは勘? 土地勘ない人が込みいった道はぜったい行かんだろうって感じで」
そう答えながら土屋が車から降りる。バンッと音を立ててドアを閉めた。
「なぁんか、異世界みたいな景色だから。ちがう次元に来てたら怖えなって気になんね?」
「あー分かる」
土屋が街にせまるF山をながめる。
「こっちじゃまず見ない景色だもんな」
「F県に出張行ったときも、市街地のどまんなかにいきなりドーンと山があって、なんじゃこりゃ思ったけど」
涼一は顔を上に向けて缶コーヒーを飲み干した。
「んで仕事終わったの?」
土屋にそう問いかける。
「終わり。営業で行ってるとこがこっちの小さい企業を傘下にしたとかで、納品の手配とか」
「こっちも。こっちは業務提携だったけど」
涼一はそう応じた。
「あー。傘下と合併と業務提携と、企業によってはムチャクチャこだわるやつ」
「んだな」
涼一は缶コーヒーを二、三度振った。
ダメ元で周囲を見回すが、やはりゴミ箱のようなものはない。
自身が運転してきた車のドアを開け、助手席の足元に置いているゴミ入れに放りこんだ。
「何も起こらんかったよな……」
土屋がF山をながめて尋ねた。
F山はさきほどよりも鮮やかになった夕陽に染まり、赤みが強くなっている。
「いまんとこはな。桜も咲いてねえし」
涼一はもういちど周囲を見回した。きのうのカフェレストランの駐車場とおなじで、周辺には桜の樹すらない。
「仕事中、ヒヤヒヤだったけどな。こんどは桜の妖怪に “もういいかい” 言われんかとか」
「おなじパターンで来られるなら、まだ対処しやすそうだけどな……」
車のルーフに肘をついて土屋がそう応じる。
「考えてみりゃ、はっきり何かしろって言われたわけじゃねえし。何も起こらんうちに帰るってのも手かもしれねえぞ」
涼一は車のドアを開けた。
こうなったら世界トップクラスの自動車産業技術でバックれてやる。
高速飛ばして一時間ちょいすれば地元だ。怪異の起こる土地がここなら、逃げきってやれと思う。
「んじゃ、あとでな。行員がそっちに現れたら、涼一さんはバックれました、お使いとかしませんって伝えとけ」
涼一は土屋に向けて手を振った。
「水着で現れたらどうする? いちお電話する?」
土屋が問う。
「いらね」
涼一は答えた。ちょっと惜しいがたぶんそれは罠だ。
生暖かい風がサァッと吹いた。
地元よりは西の地方だから、すこし平均気温が高いのか。まるで春の風だ。
涼一は車のドアハンドルを持った手を止め、風の吹いてきた方向をながめた。
桜が咲くのも地元よりはこちらの地方のほうが早いのかもしれない。
出張の時期がもう少しあとだったら、こちらで桜を見たあとに地元に帰ってもういちど桜前線を待ち受けるという感じになったかもしれないが。
口元に、小さな白いものが飛んでくる。
雪かと思ったが、つまんでみると何かの花びらのようだ。
「桜……?」
涼一はつぶやいた。
ながめていると、みるみるうちに桜の花びらは赤色に染まった。




