4話 親
「ま、待てよ。俺はまだ死にたくな」
左腕が急激に熱くなる。と思えば何も感じくなった。
「あ、ああ?」
左腕が無い。大蛇はうまくとも何とも無さそうにそれを飲み込んだ。
痛い?あれ、そこまで痛くな……痛いッ!痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいい!
俺は絶叫しその場に倒れ込んだ。体を赤く染めていたはずの蛇の血が、俺の流れる血と混ざりあっていく。体に力が入らず、自分の血で滑ってのたうち回る。
その度にすべて自分から出ているとは思えないほどの赤い液体が飛び散り、彼女の衣服にも付着していく。
「良い叫び声。ふふ、私は期待していたんです。なにせあなたは……いえ、もう関係ありませんか。大人しく逃げていれば助かっていましたのに」
何を言ってるんだこの女は。もう頭がおかしくなってきた。目がかすんで、まるで自分が傍に立って、自分を見下ろしているような感覚。
これは自分ではないという強烈な願望と現実。これが夢ならばどれだけ良かったのだろうか。悪夢で終わってくれていたら。
「あなたは結局何も知らず、始まらずに終わっていくのです。例えば……目的とか、あとー、私の名前とか?」
彼女は意地悪そうに舌をベッと出す。普段ならどれほど愛らしく思えたのだろうか。
「名、前……?あ、あれ?」
そういえば俺は彼女の名前を知らない。忘れているのではなく知らない。だれも彼女の名前を呼ぶ者はいなかったし、彼女の家族も知らない。
一体彼女はどこへ帰り、どこからこの村へ来ていたのか。なぜそんな大事なことを誰も知らないのか、誰も気づかないのか。
「モンスター、魔物、怪物。人はいろいろな呼び方を私たちに付けますね。一番有名な固有名詞は、えーっと、そうそう魔王でした。じゃあ冥途の土産に教えてあげます」
彼女はひざを折り、俺と目線をそろえる。
「私の名前はリザ、魔王候補の一人。さようなら、私のお気に入り」
彼女は何かを指で合図した。きっと俺はこのでかい白い蛇に丸のみにされるのだろう。こんなことなら彼女の名前や素性なんて知るんじゃなかった。
ジジイと一緒に安い給料で働いて、彼女の仕草一つにドギマギして……。
そんな生活を、突然現れた化け物に終わらされた。それで良かった。それが良かった。
こんな、こんなのってないだろ。
気づけば俺の両目から涙があふれていた。
俺は生暖かい口の中に入り、細かく咀嚼されて死ぬ。そう思っていた。だが俺に次の瞬間襲い掛かってきたのは、大蛇の口ではなく強烈な蹴りだった。
地面に倒れ伏していた俺はその衝撃で横に吹っ飛んだ。余りの衝撃に大きくせき込む。
その拍子で口の中にたまっていた血が吐き出される。最悪の味だ。
「さっさと、逃げろと言っただろ」
そこにはボロボロのジジイが立っていた。どうやら蛇の丸のみから間一髪のところで、俺を蹴って回避させてくれたらしい。
「ジジイ……」
「てめえついに言いやがったな。密かに俺のこと愚痴ってたの知ってるんだからな」
ジジイは転がっていた、俺が持っていた剣を拾い上げる。
「逃げろ。これは何でもない、ただの俺の願望だ」
「逃がしませんよ。たかが一人のお爺さんなんて3秒で十分です」
リザは蛇を操って、ジジイに仕向けた。ジジイはさすがの反応スピードで避ける。だがその裏から飛び出てきたリザには対応できなかった。
リザは小型のナイフのようなものでジジイの身体を引き裂いた。
ジジイはそれを意にも返さずに剣を振り下ろす。だが後ろから戻ってきていた蛇が、剣を持っていたジジイの右腕を喰った。嫌な音がした後、ジジイは倒れ込む。
「じ、じい」
「早く逃げろと何度言ったら分かるッ!」
俺はどこにそんな力があるのか分からない、絶叫にも近い声に委縮した。
「最後くらい、俺の言う事を聞けッーーー!」
俺は走り出した。ジジイとリザに背を向けて。体が痛むのも忘れて無我夢中で走った。
「あはは、お爺ちゃんの頑張りに免じて今日の所は見逃してあげましょうか。ヒトモドキ」
リザは俺にも聞こえる声で言った。
ジジイは満足げに笑った。気がした。そして村中に響き渡るような大きい声で叫んだ。
「てめえといた生活はクソだった!でも悪くなかったぜ、最後には親らしいこともできたしなあバカ息子!」
なんどもコケた。左腕が無いから体のバランスを保つのが難しい。走るのだって一苦労だ。なんどもコケて、コケて、コケ続けた。
その度泥と血にまみれて汚れていく。でも生きている。
死んでしまったら汚れることは無くなる。でもきれいになることもない。
「ごめん、ごめん……父さん」
俺は昨日修理した家、今は燃えカスの場所にまで戻ってきた。そこでもまたコケて、蛇に下半身を喰われた人と一緒に倒れ込んだ。
そのもう何も移さない瞳を見て、俺は何に悲しいのか、涙が止まらなかった。もう何が悲しいのかも分からない。
血が、血が足りない。このままでは結局死んでしまう。
俺は住人の死体を掴む。
口を大きく開けて、かぶりつく。おいしい。まずい。まずい。おいしい。
部位によって味が異なっていた。でも血が補給できれば良い。
十分腹を満たした俺は空を見上げる。白い大蛇と同じ様に月を見る。月はまるでこちらの出来事には無関心なように、ずっと変わらず同じように輝いていた。
今持てる力全てで月に向かって吠えた。喉が焼き切れそうになる。熱くてたまらない。
それからしばらくして、俺はふらりと立ち上がった。左手左手で、歯に挟まった残骸をかきだす。どこを目指すわけでもなく歩き出す。
その村は次の日から、地図に載ることは無くなった。
いよいよ物語のプロローグ的な話は終わりました。さあドンドン話を回していきます!
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