第274話 きら星はづき、東京湾に現る伝説
迷宮省は当該の魔将を、カテゴリー大魔将、識別名オクトデーモンと命名。
オクトデーモンが召喚を続ける、刃のような魚群は尽きることなし。
既に迎撃を行っていたカラスの数機が撃墜されている。
さらに、水中からは大型の半魚人型デーモンが多数上陸。
それぞれが同接数2000人級の強力な力を持つ怪物だ。
これを食い止めるために、集められた配信者たちの力を割くことを余儀なくされる。
「まずい、まずいってこれー! 思ってたのの何倍もまずい状況だよー!!」
思わず弱音を吐いたのは、なうファンタジー所属、トライシグナルの卯月桜。
彼女たちトライシグナルなら、一人で2000人級デーモンと対等に戦える。
その中でも強いカンナ・アーデルハイドであれば、二体までを相手取れるかも知れない。
だが、彼女たちは上澄みだ。
他の大多数の配信者は、きら星はづきフィギュアを携帯してようやく、同接数200から400人に達するかどうかというレベル。
実際に、戦線は押されていた。
次々に半魚人型デーモンの上陸を許している。
配信者たちが押されている。
だが、彼ら以外にこの、海から来たダンジョンハザードに対抗できる者はいないのだ。
ゆっくり、オクトデーモンが陸に近づいてくる。
あれが上陸したら終わりだ。
オクトデーモンの眷属ですら、これほど恐ろしい強さを持っているのだ。
さらに、オクトデーモンの両脇に巨大な半魚人型の個体が二体顔を出しているではないか。
果たして、敵はどれほどの戦力を有しているのか?
ゆっくりと、戦場に絶望の空気が漂いつつあった。
圧倒的。
異世界から侵略してきた魔将の力は、あまりにも圧倒的。
リスナーがスマホの前で、PCの前で唸る。
「はづきっちがコツンとやっつけてたのに」「そんなに強くないと思ってたのに」「これ、こんな強いのか!?」「冗談でしょ」「まじで終わっちゃう? この国、終わっちゃう?」「東京もんが騒いでて気分がいいですなあ」
まあ色々である。
この危機的状況に、迷宮省は所有する全戦力を投入した。
各企業と協力しているエージェントはもちろん。
ついに、迷宮省最強戦力たる長官、大京嗣也が出撃する。
大京長官がスーツを脱ぎ捨て、ワイシャツの袖をまくった。
ネクタイを緩め、ボタンを外す。
秘書が差し出したアタッシュケースから、得物を取り出した。
それは幾重にも封印が施されたウォーハンマー。
大京長官専用に調整された、デーモンバスターに特化した逸品である。
「同接数が厳しい個人配信者は援護に回れ。ここからは俺が出る」
そう告げると、大京長官が走り出す。
彼を目掛けて降り注ぐ、刃の魚群。
長官はこれを、ウォーハンマーの一閃で粉砕した。
一撃が猛烈な風を産み、魚たちはそれに当たるや否や砕け散っていくのだ。
国内に数名の存在が確認されている、同接数なしで強大な戦闘力を発揮する迷宮踏破者と呼ばれる存在。
大京長官はその一人であり、彼らの中でも最強の男だった。
むしろ、迷宮踏破者こそが冒険配信者のオリジナルと言えよう。
冒険配信者とは、彼らを再現するために生み出されたシステムなのだ。
そのオリジナルの最強が、大魔将オクトデーモンへ挑む!
今、同接数2000人級の半魚人デーモンがウォーハンマーで顔面をかち割られ、長官に蹴り倒されて海へ転げ落ちていく。
オクトデーモンは大京長官を指さした。
襲いかかってくるのは、可視レベルまで濃密になった瘴気。
常人であれば一瞬で狂気に陥り、狂死するレベルの邪悪なオーラだ。
だが、大京長官はこれを耐えきる。
次にオクトデーモンが指示したのは、両脇に侍る二体の腹心からの攻撃だ。
小さなビルほどもある二体の強力なデーモンは、それぞれが並の魔将を上回る力を持つ。
「こいつは……少々厳しいな……」
ただでさえ、久々の実戦。
大京長官の顔に余裕の色はない。
その間にも、オクトデーモンは陸地へ近づいていた。
あと数分。
それで、東京湾沿岸はこの大魔将の手に落ちる。
そんな時であった。
エンジン音が響く!
無人の東京湾岸道路を突っ走る、青く輝く車体。
これを認識した魚群が迎撃しようと降り注ぐが、遅い。
あまりにも遅くスローリーだ。
その男が駆るスーパーカー、VMAX2000は今、潮風と一体となっていた。
潮風が駆け抜けた一帯は、魔将が放っていた邪気が一掃されている。
そこにあるのは、爽やかな夏の海風だ。
明らかに、この戦場の空気が変わっていく。
あの車は、走るだけで戦場に満ちる絶望をなにか違うものに塗り替えてしまう存在だ。
「ようやく来たか、斑鳩! そしてはづきちゃん!」
空中で魚群と渡り合っていた配信者、八咫烏。
彼の顔に笑みが浮かぶ。
オクトデーモンが新たな指示を下す。
大京長官と戦っていた、オクトデーモンの腹心。
それが、迫りくるVMAX2000を捻り潰そうと動きを変えたのだ。
「くそっ! させんぞ!! ぬう!」
それを止めようとする大京長官だが、もう一体の腹心を無視はできない。
この腹心は、おそらく同接数100,000人級。
トップランクの配信者が集まらねば相手もできまい。
オクトデーモンでなくても、上陸させてはならない相手だった。
「くっ……頼むぞ! こいつらを止めてくれ!!」
大京長官は眼の前に相手と戦いながら、祈ることしかできない。
だが、その祈りは届く。
恐るべき速度で水中を駆け抜け、腹心の一体がVMAX2000に襲いかかる。
そこは水上に掛かった橋のようになっている部分であり、橋ごと車を粉砕しようと、腹心は空中に飛び上がったのである。
巨体を丸め、回転ノコギリのようになったそれがスーパーカーに襲いかかる。
その時であった。
「じゃあですね、ここまで挨拶をしてなかったので、まとめて挨拶をして行こうと思うんですが」
間の抜けた声が響き渡った。
全く緊張感を感じさせない、彼女の声が、戦場の空気を一瞬で塗り変える。
疾走するVMAX2000の上に、人が立っていた。
ピンクの髪に、ジャージをマントのように纏い、身につけているのは体操服。
盛り上がった胸元のゼッケンには、きら星はづきの名前。
手にするのは伝家の宝刀。
今朝採れたてのゴボウ。
「お前らー! こんきらー!」
次の瞬間、彼女の周囲に無数のコメント欄が出現した。
※『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』
『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』
『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』
『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』
『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』
『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』
『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』
『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』『こんきらー!!』×……たくさん!
周囲を包みこんでいた、深海の色をするダンジョンが別の色になる。
それは、ファンシーさすら覚えるピンク色。
腹心はこれに気付くが、急速で落下する勢いを変えられない。
なに、気にすることはない。
我が主たる偉大なる大魔将Cのために、このわけの分からぬ小さな人間を粉砕して……して……て……。その手にした細い物を振りかぶってどうしようというのか?
細いものが光り輝きながら、纏うオーラが大きく伸びて、まるで長い棍棒のような。
足を大きく振り上げて、こちらの落下にタイミングを合わせてその女は。
「あちょー!」
カキーン!!
気持ちのいい音が響き渡った。
東京湾沿岸まで迫っていた大魔将オクトデーモンは、一瞬何が起こったのか理解できないでいる。
腹心の一体が橋に飛びかかったと思ったら、次の瞬間には上空高く打ち上げられていた。
『ウグワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!』
腹心からついぞ聞いたことのない悲鳴……断末魔が聞こえてくる。
彼、あるいは彼女は、遥か上空まで吹っ飛び、いや、さらに雲を突き抜けてどこまでも吹き飛んでいく。
やがて空気が無いところまで到達したようで、声が聞こえなくなって……。
そこで爆発した。
その爆発が、ダンジョン化していた東京湾沿岸に明確な風穴を開ける。
『─────────!!』
オクトデーモンが吠えた。
それはなんであろうか。
怒り、悲しみと言った感情が入り混じった叫びだ。
長く付き従ってきた腹心の一体が、意味のわからない状況で倒された。
そう、一番強い感情は戸惑いだ。
何が……何が起こっている!?
VMAX2000が海に飛び降りた。
あろうことか、水上を走り始める。
向かうのはオクトデーモン。
スーパーカーに続いて走ってきたマイクロバスから、わらわらと配信者たちが降りてきた。
彼女たちからも、強大な力を感じる。
この世界の人間たちは、まだ隠し玉を持っていたのか。
いや、それどころではない。
己に迫る車両を見て、その上に立つ少女を見て、オクトデーモンは気付く。
星々の海を超え、悠久の時を生きてきた己に終わりを告げる力を持った何者か。
それが今、眼の前にいるのだと。
今、大魔将は己の慢心のツケを払わねばならぬ状況に叩き込まれていた。
「えー、それではですね、誕生日配信の続きをやっていこうと思います。逆凸したいんですが凸も大歓迎です~! ……で、配信しながらなんですが、じゃ、倒しますね」
オクトデーモンにとって、魔王以来の最大の敵、きら星はづきはそう告げて……。
露骨に大魔将を無視してAフォンをポチポチ始めたのである。
お読みいただきありがとうございます。
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